再び
「それでも、主には行ってもらわねばならぬのよ。」清輪が、言った。「我らには、その肉の身がない。ゆえに制限があって、人に干渉し過ぎると眠りにつく。それこそ何百年の眠りになるゆえ、その間他を放り出しておくことになり、滅多なことはできぬ。が、主はそれを嫌ってわざわざ人になった。人世の治安がどうのとのことだったが、誠はこの中をなんとかしたいと思うたのではないのか。結界の劣化は…キリサの時に始まっていた。主は愚かではなかったし、伊津岐のことを何より心配していた。その結界内に孕む、これを無視できなんだのだと我は思うぞ。」
瀧は、下を向いた。
それは、自分が思い出したことだった。
心の中で、このままでは伊津岐が、と焦っていた事実が、浮かび上がって来るからだ。
「…分かってらぁ。」瀧は、答えた。「お前に言われなくても、とっくにな。」
伊津岐は、言った。
「お前、オレのために黄泉へ行ったのか。あれをなんとかするために?!」
瀧は、顔を上げた。
「うるさい!オレは暇だったんだっての!やりたいこともできねぇ立場なんか、クソ喰らえだ。人のが自由だ、好き勝手できる。とにかくオレは、もう一度行く。術を発動させられねぇ。中心部の、あの場所を破壊して来なきゃならねぇ。お前らにはできねぇだろ?オレが行く。外からだったら山だし魔法陣はそのまま残る可能性がある。だから、直接行って壊れるのをこの目で見て来る。」
聖矢は、言った。
「ならばお供を。飛べぬと崩れた時に下敷きになる可能性があります!あやつらと共に。」
瀧は、首を振った。
「お前らこそ、巻き込まれるぞ。もう場所は分かってるんでぇ。一人で大丈夫だ。あいつらは人だし、オレは術を使える。お前らには直接殺せないが、オレにはできる。だからやる。」
人を殺すと、穢れる。
例外は、穢れていてあちらが、襲い掛かって来てやむを得ない時だけだ。
しかも、その血を浴びてはいけない。
判定は曖昧だが、闇雲にやると瀧も穢れる可能性は充分あった。
それでも、やるしかないのだ。
「伊津岐、お前は上で見てろ。お前は神だから、穢れるわけには行かねぇ。だがオレは大丈夫だろ?最悪死ねば穢れはなくなるしな。黄泉の浄化は強烈だ。オレの記憶も綺麗サッパリなほどにな。」
伊津岐は、黙り込んでいたが、頷いた。
「…とにかく、一度戻って飯を食って来い。」伊津岐は、言った。「宮へ行け。仕切り直しだ。」
聖矢に頷きかけると、聖矢は頷いて、瀧に背を向けた。
「背負って参ります。さあ、こちらへ。」
瀧は、素直に聖矢の背に乗ると、そのまま一之宮まで、運ばれて行ったのだった。
名津は、息をゼエゼエと上げて結界の穴から外へと飛び出した。
「…猛!」と、そこに倒れる、二人を抱き起した。「仁志!」
猛は、うーんと目を開いた。
「…名津?あれ、オレなんでこんなところで寝てんだろ。」
仁志も、首を振って起き上がった。
「なんか…急になんかが降って来たみたいに感じて。気が付いたら今だった。」
祥が、言った。
「違うだろ、ごつい男が来たんじゃないのか!お前ら、顔を見なかったか?」
猛は、首を振った。
「なんだって?いいや、オレ達は見張りについてすぐの頃だから、深夜だぞ。その時、急に倒れたんだ。ごつい男どころか、何も見てねぇ。」
名津は、チッと舌打ちをした。
「…クソ!つまり、侵入する時後ろからガツンとやられたんじゃないのか。あいつ、真っ暗なのに灯りも持たずによくあんなところを逃げられたな。光を追って行けば、見失うことはないと思っていたのに。急にふっと暗闇の中に消えたように見えて。」
後ろから来た、別の男が言った。
「あれ、一人だったか?なんか…他にも人影が見えた気がしたんだけど。」
祥が、え、とその男を見た。
「え、本当か?!オレ達は、亜津真の叫び声で走り出したから、全く見てないんだよ。足音がしてたのに、途中から何も聞こえなくなって。物凄い速さで走って行ったのか。」
名津は、息をついた。
「あの瓦礫の山をか?だとしたら超人だぞ。オレ達があっちの空洞を通らないのは、上り下りが多くて瓦礫だらけだからだろ。こっち側なら、ちょっと片付けたら真っすぐ奥まで行けるから。」
祥は、同じく息をついた。
「…仕方ねぇ。戻ろう。」と、猛たちを見た。「行くぞ。賊が入ってて、書庫を燃やしてったんだよ。恐らく、奥の魔法陣の所も奴の仕業だろう。」
え、と猛は祥を見た。
「そんな、大丈夫なのか?書庫って、あの本は?」
名津が、肩を竦めた。
「亜津真が茫然としてたから、多分焼けたんだろ。ま、オレは来斗の奴に聞いて、少しは術を知ってるからな。来斗は隙をつくのが上手くて、亜津真の目を盗んではあの本を読んで、知識を蓄えてた。あいつは馬鹿だから、ちょっとおだてたらオレにも教えてくれたんだ。お前らにも、教えておく。亜津真の奴には、あの大層な術の方を何とかさせて、オレ達は身を守る術ってのをしっかり覚えとこうや。」
祥が足を止めた。
「…まじか。オレ達にも教えてくれるのか?」
名津は、頷いた。
「オレは出し惜しみはしねぇんだよ。誰かさんと違ってな。ほら、中へ戻る前にそっちで覚えよう。仁志、お前は馬鹿だから、頭の中で何度も唱和して覚えとくんだぞ。いいな?」
仁志は、むっつりと言った。
「覚えとくが、腹が減った。」
そういえば、この二人だけここに居て食べていない。
名津は、息をついた。
「それは後で食わせてやるから、今は覚えろ。亜津真の奴が横暴なのに、お前はそれでいいのか?一生あいつの犬で居るつもりならいいけどよ。」
仁志は、目を鋭くした。
「…あいつの命じ方が気に入らねぇって猛と話したところだ。だが、居場所がねぇからここに居るしかないだけで。」
祥が、頷いた。
「オレもそう思う。だが、もう少しだ。もし、あいつが何か偉そうに言ってきたら、あの術を発動した後ならいくらでも殺していいぞ?オレたちはそう決めたからな。」
猛が、ぱあっと明るい顔をした。
「ほんとか?!だったらしっかり覚える!あいつに殺されないためにな。」
そうして、出て来た亜津真と三奈以外の男たちは、侵入者を追うふりをして、脇の森へと駆け込んだ。
そして、そこで名津から、必要な呪文を教えられたのだった。
その頃、亜津真は茫然と燃え尽きた本を前に立っていた。
まだ、これを収めていた頑丈な箱はメラメラと炎を上げている。
消し止める暇もなく、一瞬にして消し炭になってしまったその本は、触れると端が崩れて全く持ち上げることもできなかった。
「…なんでわかったんだ。」
亜津真は、誰にともなく言った。
ここには、本棚に多くの呪術書があって、それらは全て試してみたが、全くの無意味な代物だった。
この本の呪が本当に効くと知って、それから亜津真は貪るようにこれを読み漁った。
そして、あの術を見つけたのだ。
どの先人かはわからないが、それが残してくれた、自分のための術だと亜津真は思っていたのだ。
それが、一瞬にして失われてしまったのだ。
…だが、この頭の中に残っているものもある。
亜津真は、思って顔を上げた。
特に、長年必死に考えて準備してきたあの術だけは、頭の中にこびりついて忘れようはずはなかった。
むしろ、これが失われた今、他の者たちに盗まれる心配もなく、自分にとって代わろうとする不逞な輩も、諦めざるを得ないだろう。
何しろ、これを盗み読んだりしていたのは、来斗だけだったのだ。
その来斗を、面倒なので外へ行って、資金を稼ぐ任務に出したが、あいつは愚かで自分が助かるために、ここの場所を明かしたのだと言っていた。
そして、この近くまで運んで来させて、それから魔法陣を使って逃げて来たと、自慢げに話すのに腹が立ち、亜津真は良い機会だと火炎の呪文を使って、来斗を貫いて殺した。
術は、しっかりと来斗に向かって飛び、来斗は一瞬でこと切れた。
良い練習台だったと思うが、面倒な奴を排除する理由ができて、そこは満足していた。
他には、この本に触れられた者は一人としていないはずだった。
つまりは、皆は自分が居ないと何もできないのだ。
逆らうことも、もうないだろう。
「…亜津真さん?」
亜津真は、ハッとした。
振り返ると、三奈がこちらを見て心配そうな顔をしている。
亜津真は、言った。
「…急がなければならなくなった。」と、三奈の両肩を掴んだ。「三奈、お前の肩にかかっている。お前は優秀な女だから、重要な役割を与えようと思っているんだ。ほかの男では、お前ほどうまくやれないだろうと思ってる。オレ達が、神の支配から逃れる術だ。呪文がある。それを覚えられるか?」
三奈は、ゴクリと唾を飲み込んだが、頷いた。
「ええ。やって見せる。呪文はどこ?」
来斗は、頷いて書庫を出る方向へと足を向けた。
「こちらだ。オレが覚えてるから、紙に書くよ。しっかり覚えてくれよ。」
三奈は頷いて、亜津真と共にそこを出た。
…外には、私の居場所などないもの。私はここで、しっかり立場を確立してみせる。
三奈は、そう思っていた。




