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大日本帝国憲法から日本国憲法へ

 旧陸海軍と現在の自衛隊の間を、更に大きく隔てている存在として、日本国憲法の存在が挙げられるだろう。陸海軍の各戦力の存在を明文化していた「大日本帝国憲法」から、「戦争の放棄」と「陸海空各戦力の不保持」を明文化した日本国憲法。この大転換は、草案をGHQが作成し議会で議決。公布の手続きを経て「帝国憲法」に則り施行、実施され今に至る。

 終戦から一年余りでまだ、占領状態にあった1946年(昭和21年)11月3日に「大日本帝国憲法」の正式な「改正」と言う手続きを経て、新しい「日本国憲法」が公布された。戦争の放棄を謳った日本国憲法第9条は以下の通りである。

 「日本国憲法第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 「日本国憲法第9条第2項 前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」

 日本国憲法についてGHQの最高責任者であるダグラス・マッカーサー米陸軍元帥は、日本国憲法公布の日に、「新憲法は新日本建設の確固たる礎」と、これを評価した。この一文だけでは彼が憲法9条について、どう解釈しているのか分からないが、その4年後の1950年の年頭の辞では、もう少し踏み込んだ言い方をしている。

 「この憲法の規定は例えどのような理屈を並べようとも、相手側から仕掛けて来た攻撃に対する自己防衛の冒し難い権利を、全然否定したものとは絶対に解釈出来ない。」

 と言う見解を示している。何て勝手な憲法解釈だろう。まぁそれはさておき、ここでマッカーサー米陸軍元帥は、初めて日本国の集団的自衛権を認める解釈を打ち出したとされる。この意を汲んだのか、当時の内閣総理大臣吉田茂の国会答弁も変化した。元々吉田茂は、1946年の草案作成の際にこう述べている。

 「戦争放棄に関する規定は、直接には自衛権を否定して居りませぬが、従来近年の戦争は多く、自衛権の名の下において戦われたものであります。我が国に於いては、如何なる名義を以てしても、交戦権は先ず、第一自ら進んで放棄する。依って、全世界の平和の確立の基礎を成すと思うのであります。」

 どんな理由があろうとも交戦権は進んで放棄する。そして自衛権については、憲法は直接には否定していないとしつつも、偶発的な戦争に繋がるとして、どちらかと言えば後ろ向きなイメージで説明していた。しかし、マッカーサー米陸軍元帥の発言がなされた後の1951年には、こう述べている。

 「戦争放棄の趣意に撤する事は、決して自衛権を放棄するという事を意味するものではないのであります。」

 と、自衛権放棄をはっきり否定する物言いになっている。随分とこちらも憲法解釈の変更が目に余る。結局安倍晋三元首相の時代に至るまで集団的自衛権の議論は宙ぶらりんのままであった。

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