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連続性

 第二次世界大戦後、確かに大日本帝国陸海軍は徹底的に解体・排除された。防衛庁(現在の防衛省)自衛隊は、新憲法の元新たに発足した組織である。しかし、それは完全な無から誕生したものではない。専門性の高い仕事が多く、使うノウハウも必要である。その為、自衛隊に帝国陸海軍の名残が様々な形で残ったのは、寧ろ自然な事であると言えるだろう。無論、それは結果論であり体裁としては、帝国陸海軍は無くなった事にしている。

 その証拠として、1950年8月から募集の始まった警察予備隊には、帝国陸軍の下士官や兵士経験者が入隊しているし、中には酷いもので階級の経歴詐称者も少なからずいた。結局、その後指揮官の不足から1951年からは旧軍人の将校出身者245人が採用され、更に尉官クラスの旧軍人414人と、左官クラスの405人も採用された。要するに下ッ端の若者だけでは、組織は構成出来なかったのである。

 同様に、前述の掃海部隊が所属していた海上保安庁航路啓開部は、1952年に海上保安庁の付属機関として発足した海上警備隊へ移管された。この海上警備隊が2年後に海上自衛隊となる。また、1954年の防衛庁の発足と共に、誕生した空の実動部隊である航空自衛隊初期のメンバーの中にも、旧陸軍から3129人が採用され、旧海軍からも558人を採用している。旧陸海軍のパイロット経験者の技術回復、つまり航空機操縦のカンを取り戻す事からスタートしたのである。

 このように陸海空各自衛隊の草創期には、旧陸海軍人が部隊運用を支えていたのは、紛れもない事実である。この結果、旧陸海軍と自衛隊に連続性がある事が証明された事になる。陸上自衛隊の駐屯地や海上自衛隊及び航空自衛隊の基地のほとんどが、帝国陸海軍の使っていたものを踏襲している。新設された航空自衛隊の基地のほとんどは、陸軍航空部隊や海軍航空部隊の跡地を利用する事になった。これで、自国を防衛する為の、最低限の人員と体勢は揃った訳である。

 話がそれてしまったが、民間のソフトパワーというのも、戦後の自衛隊には生かされている。国産の戦闘機開発や、国産の潜水艦開発などは、帝国陸海軍の正の遺産である。その時に培われた技術力は、戦後の日本を支えていた。日本人は職人を重んずる文化がある。その性分が軍艦や戦闘機の隅々まで出てくるのだ。日本にとっての財産は、そういった民間のソフトパワーの蓄積である事は言うまでもない。

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