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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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帝国海軍のDNA③施設その二

 正確には施設と言うよりは、軍艦に関しても大日本帝国海軍の昔から使用されていたものはあった。「梨」→「わかば」の様に例外的な経緯をたどった軍艦もあったが、戦後も使われた軍艦のほとんどは状態の良かった物に限られていた。

 通常軍艦と言う物は、20年~30年サイクルでサイクルを過ぎると退役するのが常である。要するに寿命が来るのである。そうした兵器の引き継ぎに関しても、陸海空各自衛隊の中では、海上自衛隊が群を抜いていた。

 それは軍艦と言う特殊性も去ることながら、大日本帝国海軍の使用していた軍艦の技術水準が高かった事を意味している。戦前は世界第3位の規模を誇っていたのは伊達ではなかった訳である。

 艦上で生活する海軍兵士にとっては、家であり居住区であり、戦闘を担う軍艦でもある。これを施設と呼ぶ事も一応の道理はある訳だ。決して広くはないスペースの中で、海兵は戦闘と居住を同時にこなす。当たり前の事かもしれないが、広い海の上では陸兵の様にテントを張る事も出来ないし、航空兵の様に高速移動も出来ない。そうなると居住区が軍艦に辿り着くのは納得の行く事であろう。

 組織は、変わっても末端の兵士の戦い方に基本的な変化は無い。それは、海上自衛隊と大日本帝国海軍が同質の存在である事を示すものである。確かに言われて見れば、根拠となる法体系は異なるものの、国防と言う点から見れば全く同じものである。大日本帝国海軍と自衛隊の関連性に関しては、散々述べて来たが、大日本帝国陸海軍と自衛隊の間にはつながりがあるが、軍艦での生活一つとってみても同質である事が伺える。戦後70年以上経つが基本的な戦闘スタイルは大日本帝国陸海軍の時代と大差はない。

 勿論、技術水準は上がっている為、軍艦(護衛艦)内部での環境は異なるものの、軍艦内部での生活基盤を確立したのは、明治生まれの大日本帝国海軍である。潜水艦なども大日本帝国海軍の時代から引き継がれて来た遺産である。高度な潜水艦隊の運用スキームは、イロハ潜水艦を運用して米国や連合国船舶を恐怖の底に落とし入れて来た大日本帝国海軍の遺産と言える。歴史の表舞台には現れなかったが、大日本帝国海軍の潜水艦技術は東洋随一のものであった。日本は戦後復員して来た海兵や陸軍兵に好待遇な機雷処理や陸上自衛隊の前身である警察予備隊(保安隊)の幹部や中堅ポストを与え、有効活用した。表現が悪いかも知れないが、これは日本政府と貧しき日本国民とをその経験をウィンウィンの関係で繋ぐ事になった。

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