日本国民の想い⑤
米国万歳に日本人全員がなっていた訳では勿論ないが、一部の人間は米国万歳、民主主義万歳に成っていた側面はあるかもしれない。しかしながら、それは氷山の一角でしかない。氷の欠片を見て氷山の全体像を判断する事が出来ない様に、日本国民全員が米国を享受していた訳ではない。
米国と言う国家の言いなりにしか、動けない状態に日本が置かれていたのは、逃げようのない事実である。米国の犬として諸外国からは見られていたかもしれない。とりあえず言いたい事はあるけれども、得策なのはどちらかと言えば戦前回帰する事は不可能だった。そう言ったやむを得ず米国に従った日本人の方が遥かに多い。
現在も日米同盟は継続されているが、その負担の約7割を占める沖縄でも、米国に対する感情は利害関係により、賛成派か反対派かで拮抗している。現在の沖縄の姿こそ、戦後日本の安全保障政策の縮図ではないかと想う。沖縄の米軍基地問題とは、戦後日本が答えを出す事を拒み続けて来たものの集大成でもある。現状、日本は独力で国を守れる力があるにも関わらず、コスパや外交上の理由から、米軍の傘下に入ったまま本当に必要最小限度の戦力しか持っていない。
そして日本は、その現状に満足してしまっているのである。戦後の焼け野原から超高層ビル郡を建設して来た状況とでは、全く話が違うのかもしれない。それでも日本人は、未だに70数年前と基本的には全く変わっていない。変わったのは、テクノロジーや経済規模と言った目に見えている物質的なものだけである。物質的な豊かさはもう充分に達成した。後は、日本人がそれに胡座を欠くことなく自らの弱点にメスを入れられるかと言う事であろう。
日本の現状を見ると、臭いものには蓋をせよ的な考え方が多過ぎる様に散見される。それは期限を辿るならば、戦後レジームに遡る。では、その戦後レジームとは一体何ものなのか?答えは簡単である。米国による日本支配とそれにより発生した環境の事である。時代が平成から令和に変わっても、未だに日本は戦後レジームから抜け出せていない。残念ながらロシアや中国に地政学的に近い日本は米国にとって見れば、絶対に譲れない軍事拠点である。特に沖縄は戦略的に中国やロシアを抑え込む上では必要不可欠な位置にあり、日本側がどんなに求めても、中国に米国が勝つまでは米国は沖縄を返還するつもりは無いであろうと思われる。米国の日本支配は日本が米国の同盟国であり続ける限り、終わらないだろうし、日本の軍事的独立は大惨事を招くだろう。




