自民党の源流
1952年10月の衆議院選挙で、自由党(240議席)に次ぐ第二党になったのが、改進党(85議席)である。旧海軍の海軍大将等を顧問としていたとされる改進党は、「専守防衛たる民力に応ずる民主的自衛軍の創設」、「憲法の再検討」等を基本政策とし、自衛軍基本法の要綱まで策定していた。
自由党と改進党の流れを組む日本民主党は、1955年11月所謂保守合同を行い、自由民主党が誕生した。これが現在の自民党の源流である。結党時に作られた「党の政綱」は、「現行憲法の自主的改正」や、「国力と国情に相応した自衛軍備」を掲げていた。2009年民主党に政権を奪取されるまで、約半世紀を政権与党として過ごして来た経験とノウハウは他党の追随を許さないだろう。
良い事ばかりしてきた訳ではないが、悪い事もする政治家がいたのも事実である。そんな自民党も、2012年にわずか3年足らずで政権交代を成し遂げ政権与党に返り咲いた。一方で民主党や日本維新の会は惨敗した。
今振り返れば、自民党のDNAに、自由党と改進党の保守合同がなければ、今の自民党はない。やはり、政治には経験とノウハウが必要であり、それをしなければ、いくら人気のある政治家でも長くは持たない。政治力のある政治家にカリスマ性がなければ、国民はついてこない。それが行きすぎると独裁になる。その悲劇は20世紀の中で何度も経験した事である。それは今の北朝鮮や中国を見れば分かる。
斯くして自由民主党は日本の政権を担って来たのである。真の保守とは何か?それを知りたいならば自由民主党の事を知るのが最短ルートである。戦後政治の生み出した自由民主党と言う怪物政党は未だにその党是とする憲法改正を実現出来ていない。
一方の自衛隊の部隊整備には、課題は残るものの、ある程度の道筋はつけられたと言える。米国に依存し過ぎない程度の通常兵力を持つに至っているが、核兵器の拡大抑止と言う形で核兵器を持たずにいられる事は知っておかねばなるまい。米国の強大な核抑止力があるからこそ、日本の東アジアでの生存権は保たれている。確かに核兵器は恐ろしい兵器ではある。唯一の被爆国である日本国が核兵器を保有してしまえば、世界の終わりをこの目にする訳であり、あってはならぬのであるが、もし仮に米国との同盟が無くなった場合に、中国や北朝鮮と言う大きな脅威に核兵器無しで渡り合えないことは誰の目にも明らかであろう。国是とされている非核三原則もただの口約束に過ぎず何の法的拘束力は無い。にもかかわらず日本人は非核三原則非核三原則と馬鹿の一つ覚えの様に連呼しているのは滑稽だ。




