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第二復員省

 第二復員省は主として海軍系の業務を担当した。第二復員次官には現役の海軍中将が就任した事は、既に述べた通りである。その後の第一復員省との統合・縮小も既に述べた。

 勢力としては、陸軍より少なかったが、それでも膨大な量であった事は確かで、その作業は気の遠くなる様なものであった。既に紹介した日本海軍の掃海部隊も、海軍省が消滅して復員庁が発足するまでは、この第二復員省に所属して活躍をしていた。

 1945年8月24日、朝鮮半島へ帰還する人々を大湊(青森)~舞鶴(京都)へ運んでいた「浮島丸」が、触雷して沈没して5000人を越える犠牲者を出したという事故や、同年9月29日には、東京湾で米国海軍の護衛駆逐艦「DE-197ロッシュ」が、浮遊機雷に触雷。3名が死亡し、多数の負傷者が出るなど、引揚船や帰還船が触雷して沈没し多大なる犠牲者を出すという様な事故が多発していた。

 流石に敗戦直後とは言え、掃海部隊までは、解散させられないという情勢だった事は確かである。機雷処理オペレーションは、正に急務であったが、純粋な民間人に委託出来るものでもない。

 大文字は、特別なノウハウを持っている日本海軍の軍人ではないが、日本の周辺海域が機雷で埋め尽くされていることは当然の様に、知っていた。内地にいた大文字は、復員と呼べる復員をした訳ではないが、海軍省と言う雇用主を無くしてしまったのだから、新たな生活の糧を得なくてはならなかった。幸いにも親戚が造船会社をやっており、機関系の知識が多少あった大文字は、そこで世話になることになった。

 だが、大文字の様に、早急に就職先を決められた旧軍人はほんの一握りであった。将官クラスの兵士は、巣鴨プリズンに送られたり士官や下士官でもB、C級戦犯として裁かれる事もあったし外地にいた兵士は、帰って来るだけでも、命がけであった。

 大文字は、待遇こそ良くなかったが、贅沢は敵と懸命に働いたのである。そこで大文字は、日本海軍の掃海部隊が、終戦後海軍省が解体されてからも、活動を続けている事を知るのであった。

その膨大な機雷の数が現在の海上自衛隊に世界トップクラスの掃海能力を持たせる事になるとは、長い目で見れば不幸中の幸いであったのかもしれない。島国日本を機雷で兵糧攻めにしようとした事は、米国海軍としては悪く無いアイデアだったのだが、結果的には戦後統治の大きな邪魔になった事は言うまでもなかった。米国海軍も結果的には撒いた機雷を自分達も回収する羽目になった。

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