第一復員省
1945年9月13日に大本営が廃止され同年10月26日「陸海軍省ノ廃止ニ関スル件」が、閣議決定される。これにより、陸海軍省は同年12月1日に廃止され、その後始末の為、第一復員省と第二復員省が新たに設置される事になった。
その中で今回取り上げる第一復員省は、陸軍系の業務を担当する事になる。第一・第二復員大臣は当時の幣原喜重郎首相が兼任する事になった。ただし、第一・第二復員次官には、それぞれ元の陸軍中将と海軍中将が就任して、日本軍の階級が使用された。
実態としては、「廃止」と言うより、事実上組織の改編と言う色合いが濃かった。第一・第二復員省は、予め設立から4ヶ月後には廃止される事が決められており、その業務は二つの組織の統合・縮小によって誕生した「復員庁」に引き継がれる事になる。
この復員庁も1947年10月15日に廃止され、業務は厚生省と「総理庁」に移管される。さらにその2ヶ月半後の1948年元旦には、復員業務を「厚生省復員局」に統合して引き継がれる事になる。結局、復員業務は1959年まで続く事になるのは、前述の通りである。
復員業務と一口に言っても、徴兵されていた(外地に行っていた)人間の所在を確かめるだけの事で、日本に帰還した後の生活の世話まではしてくれるが無かった。あくまで自分の生活は自分で何とかしなければならなかった。無責任と言われるかも知れないが、日本軍と言う組織が解体されてしまったのだから仕方がない。と言うしか言いようがない。
占領時代は1951年まで続くが、この6年間は想像以上に復員軍人にとっては、肩身の狭い想いを強請される社会の空気感が出来上がってしまっていた。国の為に、国運をかけて戦って来た者達に敗残兵の復員軍人に世間は冷たかった。
しかし、国民の代わりに戦っていた軍人にとっては、この世の現実の厳しさを痛感すると共に、生活を再建する為にはなり振り構ってはいられなかった。占領軍の仕事でも仕事を卸してくれるなら、恥を忍んで食い付くであろうし、人が敬遠する様な仕事でも食って行く為には喜んでやり、それで自分や家族の生活の為になるのなら、やらねば生きて行けなかった。
そして、働いてる間、体を動かしている時間は、とにかく戦争で経験した嫌な事を考えなくて済む。そうやって、必死に自分にとって見つめたくない不条理から逃れる術として、仕事に打ち込む人が多く、それが結果として高度経済成長に繋がって行くのであろう。