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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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旧日本海軍駆逐艦「梨」の改修工事

 1954年(昭和29年)7月5日、山口県平郡島沖の瀬戸内海から、冒頭で紹介した日本海軍の軍艦「梨」が引き揚げられた。掃海部隊を経て発足したばかりの、海上自衛隊呉基地にいた大文字龍太三等海尉は、このニュースを複雑な想いで聞いていた。

 彼にとっても、引き揚げられた戦前の旧海軍の遺物等、すぐにスクラップにして欲しいと言うのが、本音だった。最も、日本政府としてもそうする予定だった。しかし、船体やエンジンと言った船の航行に必要な物の状態が良く、少し改修工事をすれば、まだ使えると言われ始める。

 結局10ヶ月後の1955年(昭和30年)5月、になんと"梨"の改修工事が始まる事になる。旧日本海軍駆逐艦「梨」に乗り組んでいて、戦後に発足した海上自衛隊に残った人間からすれば、皆一様にあんなオンボロ艦を改修してどうするんだ?と言う意見が大半を占めた。

 しかし、敗戦から10年軍艦1隻でも安く抑えたい日本政府の意向は固く、一隊員の異存はあっても、動く事はなかった。確かに当時の日本は、まだまだ米国の支配下にあり、占領終了(独立)してからまだ3年。軍艦だけに限らずほとんどの兵器が旧日本海軍時代の物ばかり。海外の標準装備を用いていて、まだ自前で装備を充分に補う事が出来ない状況にあっては、現場の感情よりも、コストパフォーマンス的な部分で「梨」をサルベージして使おうと言う選択肢があっても、無理はなかったのである。

 この1955年5月と言うのは、航空自衛隊がジェット戦闘機F86-Fの受領を開始した頃でもある。要するにまだまだ日本の防衛体制が整っていなかった事を如実に現しているのである。大文字三尉はこう話す。

 「とにかく、今の日本には金がない。自分達古参兵がここで反対した所で、御上の意見は変わらないであろうし、日本の平和の為には"梨"をリニューアルすると言う選択肢が、合理的であると言う事は分かっている。しかしそれでも、大日本帝国陸海軍とは別個の組織だと言う事を主張し、それを貫き通す限りにおいては、旧軍の装備を使用する事には、抵抗を感じずにはいられないのである。旧軍のDNAを根絶やしにしたいならそうすべきであるだろう。」

 確かに大文字三尉の言う事は筋が通っている。旧軍とは異なる路線で運用されている組織である防衛庁・自衛隊を発足させた日本政府としては、本来旧軍の士官及び下士官を採用する、あるいは、旧軍の装備を使用するのは、矛盾した事なのかもしれない。そうは言うも、やはり大文字のように固くなな主張をする人間は当時の自衛隊内では、少数派であった。そう言う貴重な意見に耳を傾けられる様な御上様と言うのは、悲しくも存在しないものだ。

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