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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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保安研修所

 発足ホヤホヤの頃限定で、この保安研修所という所は、威力を発揮したものと思われる。その証拠に現在の防衛省の組織の中に同等の組織が存在していないからである。

 さて、この保安研修所は何をする所だったのか?分かり易く言えば、幹部隊員に適切な部隊運用のスキルを身に付けさせる場所とも言える。あくまで、幹部隊員に対する研修を施す所であって、教育や学校という表現は適切ではない。確かに、出来立ての保安隊員の幹部クラスは、帝国陸海軍からの再雇用組であり、保安隊の士官として相応しい人間とは何かを知る経験豊富な人間はごくわずかだった。

 そこで、経験の少ない新米士官に即席ではあるが、スキルを身に付けさせる事を目的に、部隊運用の合間を縫って技術を身に付けさせる機関の重要性が増した訳である。確かに、日本政府としても、定年間近の古参兵に頼り過ぎるのは、未来の為にならない。米国海軍や米国陸軍から、顧問を呼んだのか、またしても大日本帝国陸海軍の将官クラスの老体に鞭打たせたのか定かではないが、とにかく、保安大学校の一期生が卒業し任官するまでには、体裁を整えたかったのであろう。

 大日本帝国陸軍には陸軍士官学校や陸軍大学校が、大日本帝国海軍には海軍兵学校や海軍大学校と言う立派な幹部の養成機関が存在した。その教育内容は保安大学校(後の防衛大学校)にも多々通ずるものがあり、幹部隊員の養成に四苦八苦していた当時の保安庁の苦悩が手に取る様に分かる。

 現に部下を束ねて行くと言う資質は教育されて身に付けるものではなく、経験で身に付くものである。だがその経験を与えるような惨禍を日本が繰り返せるはずもなく、そんなことをすれば、今度こそ本土玉砕も有り得る。そうしなくても済むように、普段から集団行動を意識させればかりそめの資質は身に付く。

 そうやって四苦八苦した結果、幹部の養成と言う課題を解決したのが、現在の防衛大学校→幹部候補生学校→任官。と言うシステムである。陸海空各自衛隊によって幹部候補生学校は異なるが、その更に上を目指すスーパーエリートの為の統合幕僚学校というのも存在する。

 海上自衛隊の幹部候補生学校は広島県江田島市にある。通称"赤レンガ"として知られている。明治の大日本帝国海軍健軍以来江田島は海軍兵学校として利用されてきた長い歴史があり、自衛隊が誕生すると今度は海上自衛隊の幹部候補生学校として使われる様になった。結局、大日本帝国海軍色の強い伝統を重視するようになってしまった。日本海軍(大日本帝国海軍)のDNAは、途絶える事は無かった。

 自衛隊設置前の僅か数年ではあったが、自衛隊創草期にこの保安研修所があったという事は、記録に残すべきであると共に、軍隊(に準ずる組織)の形成には幹部(士官)の養成が不可欠であった事を示している。

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