文民統制(シビリアン・コントロール)
防衛庁と言う組織の外ではあったが、国防の重要事項を図る「国防会議」が設置されたことは、防衛庁・自衛隊になってから変わった所である。
国防会議とは、防衛庁設置法の規定によると、国防の基本方針や防衛計画の大綱、防衛出動の可否などの、重要事項を首相が諮る機関として内閣に置かれるものである。言い換えれば、国防に関する重要事項は、国防会議を経てから決められる事になる。
言うまでもなく内閣は、国民から信任を得た国会議員から選ばれた総理大臣の元にある組織であるから、自衛隊に対する文民統制を実行ならしめる仕組みの1つと言う事になる。
1986年7月、中曽根康弘内閣の行政改革の一環として、内閣の危機管理+安保機能強化の為、新たな組織に衣替えしている。それが今のNSCにつながる国家安全保障会議であり、常任メンバーも国防会議より増やして拡大し、海上保安庁を抱える国土交通大臣や、警察を所管する国家公安委員長が加わり、首相(議長)、外務大臣、財務大臣、防衛大臣(防衛庁長官)、経済企画庁長官、首相の臨時代理を務める事を指定された国務大臣で構成されていた。また、首相が認める場合には制服組トップの統合幕僚長(陸海空各幕僚長)を出席させ、意見を述べる事が出来る様になった。
こうした機関を充実化させ、人事に関しても新しい規定を盛り込んだ(参事官制度)のは、きちんと訳がある。その根本は、自衛隊を民主的に管理運営する為の文民統制=シビリアン・コントロールの制度を欧米等の民主主義国家に同様の整備が成されている事を国の内外に示す為であった。
文民統制の解釈で、よく誤解されるのは「文民」とは、誰の事を指すかと言う事である。つまり、背広組が自衛隊を制するのではないと言う事である。序列上防衛大臣のサポートするのは内局の隊員である。内局の背広組も自衛隊員である事を考えると、シビリアン・コントロールとは、あくまで国民とその代表であり国政選挙で選出された、国会議員の事を「文民」と呼び国会での議論を通じた内閣総理大臣を専任して、内閣総理大臣が防衛大臣を専任する。彼等が統制を諮るのが、本来のシビリアン・コントロールである。
防衛庁(省)・自衛隊の統制は日本国政府によるものであり、防衛省の官僚も自衛隊員である事を考えると、内局の背広組がコントロールしていると考えるのは間違いである。旧日本軍と自衛隊の違いは、日本国憲法もそうだが、軍人が直接政治とコミットしない事にある。シビリアン・コントロールの前提を無しにして自衛隊を語るべからずと、言っても過言では無いだろう。戦前の日本とは180°違うんだぞと言う強い明確な意思を、そこには強く感じる。




