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復員

 終戦時に内地に約436万人、外地に約353万人の兵士を大日本帝国陸海軍は抱えていた。軍属等の関係者を含めると、もっと沢山の人間がいた。復員と言葉で表すと2文字だが、その作業はもう既に国家事業の領域に入っていた。

 大文字の様に、内地で終戦を迎えた兵士はまだマシだったが、外地で終戦を迎えた兵士は、生きて帰って来るのも一苦労であった。ある地域では、戦争の終了が知らされず、何十年もゲリラ相手にゲリラ戦をしていた者もいれば、満州にいた日本兵は、終戦直前に日本に宣戦布告してきた卑怯なソビエト軍に捉えられ、シベリアに抑留された兵士もいた。

 戦後直後のこの時期は混乱の極みであったことは間違いない。そして、無事に日本に辿り着いても、敗戦直後の日本にはインフラも仕事もなかった。その現実の厳しさは、容赦無く復員者を苦しめた。

 完全に復員作業が終了したと日本政府が公式発表したのは、終戦から14年後の1959年の事であると言うのだから、良い所で日本政府は区切りを付けたのであろう。1959年(昭和34年)と言えば、既に日本は主権と独立を回復し、戦後の高度経済成長が始まりだした頃である。

 大多数の日本国民が再スタートを切っていた時に、役所の一部では戦争が終わっていなかったのだ。この占領軍(GHQ)が居た頃のマインドコントロールは、凄まじいものがあった。何より食糧が足りなく、あえなく天皇万歳からギブミーチョコレートと言う標語に屈するが、米軍の行ったウォー・ギルド・プログラムの一貫で、本当に戦前戦中の日本を否定させる事を徹底的にさせる事によって、ウォー・ギルド・プログラムは成立していた。

 旧軍人はそのせいもあって、肩身の狭い思いを強いられた。いや、今の時代で言うなれば、激しい差別とも言える。この日本国民の冷たい仕打ちも戦勝国アメリカによる仕業なのであるから、旧軍人は尚更怒った。

 只の一回負けたくらいで、なぜそこまで否定されなければならないのか?そんな文化を誰が作った?そんな気持ちがあっても、言葉にする事は出来ない。いや、正確にはアメリカを否定する事は自分の首をしめるだけなので、黙って居た方が良い。そういう空気感があった。

 復員してきた旧軍人の多くは口を閉ざし、晩年になるまで口を開かなかったのには、そういう時代背景と自らの辛い過去の両方があったものと思われる。とにかく、旧軍人には生き辛い世の中になっていた。そんな復員者を安全に迎え入れる準備は整っていなかったのであるにもかかわらず。復員やるしかなかった。

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