制服組と背広組
ここで話を少し変えよう。一般的によく使われる「制服組」と、「背広組」と言う言葉の意味を解説する事にしよう。簡単に説明すれば「制服組」とは、陸海空各部隊で現場の自衛官の事を指す。「制服組」のトップは統合幕僚長であり、陸海空各幕僚長が続く。
「背広組」は、それ以外の内局等の事務方官僚の事を指す。主として防衛省に勤めるリクルートスーツを来た自衛官の事を→「背広組」と呼ぶ。トップは防衛大臣(防衛省長官)である。
警察予備隊本部の初代長官は旧内務省の官僚出身であった。それだけでなく、本部組織は旧内務官僚で一本化されていた様だ。内務省とは、明治時代に出来た役所であり、地方や警察や土木行政や選挙事務等を管轄した「役所の中の役所」であったが、一方で治安維持法の運用、特別高等警察制度等、を担当し国民を厳しく取り締まったとされている。この為、内務省はGHQの意向で1947年に74年の歴史に幕を閉じた。
その旧内務省出身のエリート官僚等が後の「背広組」の基盤を作った訳である。これに対して警察予備隊の「警察官」の中央組織は当初は、「部隊中央本部」と呼ばれて、後に「総隊総監部」と呼ばれた。この組織が後の「陸上幕僚監部」である。この部隊中央本部の初代トップにも、内務省出身で軍歴の無い宮内庁に奉職していた人物があてられた。
尚、この背広組の組織である予備隊本部と、制服組にあたる総隊総監部とは上下関係にあり、予備隊本部の方が上にあったと言う。シビリアンコントロールが浸透する前だっただけに、この上下関係は面白い。警察予備隊令では、警察予備隊の名前通り、警察力を補うものとしていた。それは条文にも明記されている。
「国家地方警察及び自治体警察の警察力を補う為警察予備隊を設け…。」(警察予備隊令第1条)
「警察予備隊の活動は警察の任務に限られる。」(警察予備隊令第3条)
任務について条文には「治安維持の為、特別の必要がある場合において、内閣総理大臣の命を受け行動する。」(警察予備隊令第3条)と、治安維持が明記されている。しかし、一方でGHQのシェパード少将の言葉通りから、警察予備隊は寧ろ軍隊に近いものでなければならなかった訳である。警察予備隊令は、警察予備隊を「総理府の機関」(警察予備隊令第2条)と、位置付けその長官は、「内閣総理大臣の任命」、「天皇の承認」、「内閣総理大臣の指揮監督を受け隊務を維持する」(警察予備隊令第7条)と、規定した。
その指揮監督系統は、内閣総理大臣→担当国務大臣→本部長官→総隊総監(4個管区隊を統括)となっていた。つまり、警察予備隊はその名称に「警察」の2文字があるにも関わらず、当時の警察機構である国家地方警察にも、自治警察にも所属せず、別個に総理大臣が指揮監督する機関となっていた。当時の他の警察組織とは、余りにもかけ離れていた仕組みであった事は確かである。




