集団的自衛権の誕生
戦後の日本の安全保障関連の議論で、最も長く議論され続けている言葉の1つが「集団的自衛権」である。1950年(昭和25年)2月、衆議院予算委員会で、中曽根康弘衆議院議員(当時)が、「国際連合憲章によると国際連合憲章第51条に集団的自衛権という事が認められている。これは第二次大戦後初めて認められた言葉であります。かくのごとき集団的自衛権というものを総理大臣はお認めになりますか?」
と、問いただした。これに対して当時の吉田茂首相は、「当局者としては、集団的自衛権の実際的な形を見た上でなければお答え出来ません。」と、答えている。日本が独立を取り戻す前から、国会では、議論の対象にしようと構えた議員がいた訳である。
集団的自衛権は、国際連合憲章を作成する過程で整理されてきた概念であり、日本が第二次世界大戦で降伏する前の1945年6月に調印された国際連合憲章第51条には、次のように明記されている。
「この憲章のいかなる規定も国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び、安全の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」
講和の年にあたる1951年2月21日、外務省の西村態雄条約局長は、「集団的自衛権とは、1つの武力攻撃に対して複数の国がそれぞれ自国が危ないと判断した場合、集団で行う防止、抵抗措置の権利である。」と、日本政府解釈を示している。その後の答弁でも日本が独立国であり、国際連合に加盟している以上、集団的自衛権は、ある(持っている)と、解釈している。
しかし、日本国憲法第9条があるため、日本は軍備を持たないし、他国と交戦もしない。日本は集団的自衛権を持っているが、実際にはその権利は行使出来ない。そして外国も行使を求めないというものとしている。サンフランシスコ平和条約第3章第5条C項には、国際連合憲章第51条を前提に、日本に集団的自衛権を認めている。にも関わらず話が複雑になっているのは、日本国憲法第9条と関係があるからである。日本国憲法が許容している自衛権は必要最小限度のものだから、どこかの国が日本ではない他の国に対して行う攻撃に対して、実力を持って阻止できる程の実力には成り得ないし、そうなれば憲法の許容範囲を逸脱するものになる。
集団的自衛権は持っているが、行使する事は憲法上許されない。戦後の日本における安全保障政策は、この制約の元に組み立てられていて、国際連合加盟国の諸外国で、この様な集団的自衛権を持っているが行使出来ないという立場をとっている国は存在しない。日本の独立と集団的自衛権の誕生は切っても切れない関係にある。そして、それは今も続いている。




