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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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空軍構想

 1952年12月29日、ロバート・マーフィー駐日米国大使は、吉田茂首相との会談の中で「B-29撃墜事件以降、ソ連機の領空侵犯は、47回にも及ぶ。」等具体的な情報を示して来た。これを受ける形で、日本政府は1953年1月13日、閣議で次の方針を決定する。

 「不法侵犯に対しては、直ちに駐留米軍の協力を得て、侵犯機を排除する措置を構ずる。」

 と、しているが実際には、戦闘機を一機も持っていなかったから、具体的に何が出来たかは疑問である。

 ともあれ、この閣議決定の方針に合わせる形で、米国極東軍司令官からも、駐留米軍に対して領空侵犯対処の措置を採るように命令が出された事が公表された。こう言った状況もあって、日本の新しい空軍構想がまとまって行く事になる。

 日本が航空戦力を持ち、自衛の範囲内ならば、戦闘機を持つ事も構わないだろう、と言う意見が主流になった背景には、こうした著しい国際環境の変化があった事は否めない。具体的に日本がどれ程の航空自衛力を持つのか、と言う事が充分に議論されてはいなかったが、少なくとも理想的には、ソ連に独力で対抗出来る位の空軍力は、欲しいと思っていた事であろう。しかしそれは、夢物語であった。自衛の範囲外になってしまうからだ。

 米軍と言う大きな後ろ楯がある上に、それに頼りきる事は、日本の影響力が低下する事も意味する。あくまで、自衛と日本国憲法の範囲内で活動する事を考えれば、あまりにも突出した空軍力を日本が持つ事は、出来ない。だが、独立した航空戦力を保有すると決めた以上は、中途半端な戦力は要らない。戦闘機が一機もない状態からスタートする今だからこそ、現実的な空軍構想が必要なのである。

 あくまで、日本の安全保障を第一優先事項として、一体どの程度の戦力が必要なのか考える必要がある。世界の潮流から言っても、空軍を設立、運用する事は、大それた事では無い。寧ろ、これからの時代には、空軍無しでは平和を守れない。

 戦後の混乱期から成長期に移行しようとしていたこの時期に、日本政府がどれ程のビジョンのある空軍構想があったかは定かではないが、日本国がやる事は、夢を抱くよりも現実を直視する事から始めなければならないだろう。戦闘機は即座に米軍から供与される事になっていた。米国としても朝鮮戦争で疲弊していた為、余剰戦力は無かったが、この米国政府の意向に従い、日本政府としても戦闘機を操縦出来るパイロットの育成に乗り出す事になった。

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