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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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受け継がれて行く技術

 何も掃海部隊だけで、日本海軍の技術が伝承された訳ではない。1954年に防衛庁・自衛隊が発足したのは前述の通りだが、敗戦から10年も経たずして、自衛隊という準軍事組織が生まれた。

 この時期に旧軍とは全く別離した組織を作ろう。そういう考え方は、当然あっただろうし、現実にそうなっている。

 しかしながら、これまでも散々書いてきたが、旧軍陸海軍の中級幹部の存在無しには、黎明期の自衛隊を語る事は出来ない。だから体裁としては繋がってはいないが、現実には大日本帝国陸海軍のDNAが残っているのである。そう言った歴史的流れがある事も見逃す事は出来ない。直接的な繋がりがあったのが、掃海部隊であった為取り上げたが、細かく見ていけば他部隊にも、もっと色んなストーリーが出て来るに違いない。

 受け継がれていたのは、技術だけではない。日本海軍で使われていた艦船も数多くこの時期、活躍している。その事に関しては前述の通りである。

 軍隊の特殊性と言うものは、名前が変わっても変わらない。その事を証明するのが、大日本帝国陸海軍軍人を自衛隊の幹部に添えた事ではないだろうか?理想としては、旧軍人は一人も使いたく無かったはずであり、完全に大日本帝国陸海軍の血は根絶やしにしたかったはずである。その為の公職追放であり、組織改編だったはずである。

 しかし、現実には下ッ端だけしか集まらず、軍隊の真似事にしかならなかった。本物の軍隊として、機能する為には経験豊富な下士官と士官と将官が必要であり、それが分かったから、これだけ多くの大日本帝国陸海軍人が自衛隊に再任されたのだろう。軍人にとっては、仕える軍隊が無くなる事は、サラリーマンで言うところのリストラにあたる。技術職で軍隊じゃなくても仕事があるならまだしも、ほとんどの旧軍人は仕事をなくし、家族もなくした。敗戦からの10年間で民間会社は息を吹き返したものの、大量の旧軍人を受け入れるキャパシティは無かった。40代、50代の中堅幹部には、自衛隊が無ければ野垂れ死にしていただろう。そういう人間の受け皿に自衛隊はなった。たまたま偶然かもしれないが、そういう苦境にあたってきた旧軍人にとっては、有り難かった。

 その名称が自衛隊ではなく、日本軍だったとしたら、後世の我々は自衛隊の事を日本軍と呼んでいたかもしれない。単なる技術の継承だけにとどまらず、自衛隊には明治維新以来日本人が築き上げてきた国防のノウハウをしっかりと自衛隊に残したのである。日本は敗戦した。

 しかし、今尚、約30万人の人間がそのノウハウを生かし日本国の防衛の任についている。それくらいの事は我々は知っておかねばならないであろう。大日本帝国陸海軍は、死しても尚、影響力を行使したのである。良くも悪くも。

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