訓練
野砲を打つ為には、野砲を打つ訓練をしなければならない。戦車の操縦には熟練の技がいる。その為にも訓練が必要である。同じ様に歩兵も行軍するのにはある程度の訓練が必要である。
戦後日本人は、これらの軍事的に必要な訓練を「戦争ごっこ」と揶揄し、「税金泥棒」と嘲笑ってきた傾向があった。確かに素人目には訓練が戦争ごっこに見えても、自衛隊に無駄な訓練など存在しない。兵器の使い方や用途を知るためには"戦争ごっこ"が必要なのである。使えるのに訓練不足で使えない。これこそまさに税金の無駄使いである。いつ訪れるかわからない有事に備えるためにも訓練は定期的に行う必要がある。
周囲になんと言われようとも、強い信念を持ち戦後の混乱期間を乗り越えてきた当時の自衛隊幹部は称賛に値する。黒沢もその一人だった。訓練においては、常に全力でやる事を進言して、妥協は一切認めなかった。歩兵にとっては20~30㎏もの荷物を持ってひたすら歩き続けるのは、苦行だ。だが、戦場ではもっと苦しい事ばかりだ。それを理解する為の行軍であると黒沢は考えている。
だから、どんなに辛くても、長距離の行軍を行う内に歩兵には自覚と誇りが芽生えて来るのだと言う。小銃の扱い方も知っておく必要もある。現代戦では、歩兵の持つ小銃の役割は身体防御以外にはないが、陸上兵力の大半を占める歩兵の主要装備は、小銃である。小銃無くして国家防衛は不可なり、と言える。小銃の使えない歩兵は、包丁を使えない料理人も同じ事である。その為、黒沢は行軍と小銃の扱い方にだけは気を使った。
歩兵の真髄とも言える体力と、小銃の扱い方。それさえ出来れば、歩兵としては合格である。後は実戦を待つだけ。とは言え、災害の多い日本では、戦争並の大災害が起こる為災害派遣任務も少なくない。体力のある歩兵の出番である。たかが訓練、されど訓練。実戦で使えるか使えないかはどのくらいの量と質を兼ね備えた訓練をしたかによって決まると言っても過言ではない。
黒沢一等陸佐は、多くの歩兵は言い方は悪いが歩兵(普通科)はある意味消耗品だと旧日本陸軍の時代から教わってきた経緯もあり、部下にもその覚悟を持たせてきた。もちろん、それは先人の教え故に古臭いと言われるかも知れないが、黒沢一佐はその考え方に同意していた。歩兵は消耗品。兵器は備品。片寄った考え方かも知れないが、そうした割り切りも必要だった時代に陸軍に入隊し、戦後は陸上自衛隊の士官として、活躍して来た。その黒沢一佐の略歴が今の黒沢を構成しているのは確かであったと言える。




