ゆずれない想い①
朝鮮戦争時、米軍の要請で日本海軍の掃海部隊が出動した事は、既に触れたがその特別掃海部隊の指揮官だった男について話をしたい。
名前が分からぬ為、"M中佐"という事にしておく。"M中佐"は、帝国海軍出身で終戦時の階級は海軍中佐である。掃海部隊を率いた後、防衛大学校訓練部長、横須賀地方総監部副総監等を歴任している。46隻の艦艇約1200人を動員した戦後初の戦争参加で指揮を採った男のプライドを見せたストーリーがある。
事の発端は一隻の哨戒船が、仁川沖掃海作業中に触雷。後沈没して、1名の日本海軍軍人が亡くなったという事だった。1200人の内の1人等仕方無いと思われるだろうが、部隊を率いている指揮官にとっては、100人だろうが1000人だろうが、部下を死なせた想いは1人でも変わらない。
M中佐は、掃海任務を中断させ、米軍の意向に反して残りの全船艇を引き連れ、日本に帰投。指揮官を解任されたが、それでもM中佐は自分の行動に対して後悔した事はなかった。M中佐が主張したのは、いくら掃海作業が可能でも、隊員(部下)の動揺はあった。その様な状況の中で掃海作業を実施するのは、合理的見地から考察しても良好ではない。と言う事であった。
しかし、米軍としては、折角後ろ向きだった日本のケツをひっぱたいて漕ぎ着かせた「掃海」という汚れ仕事をやっていて欲しかった。朝鮮戦争中断後の韓国(南朝鮮)強いては朝鮮半島にとって機雷は、無い方が良い。だから米軍は、日本の特別掃海部隊には、任務の継続を求めた。それが米軍の偽らざる本音だったからだ。
これを聞いたM中佐は激怒した。自分達は所属先も不確定な上に、何の為に命を掛けて良いのかも分からず、その様な状況で、米軍に命を預けて使い走りをしているのだ。日本の国益がそこに繋がっているのは分かるが、そもそも、海軍も存在しない日本から、技能のある旧軍人を投入している事に、腹の底から沸いてくる怒りを抑えられずに、日本の特別掃海部隊の撤収を命じた。
アメリカの言いなりになった敗戦後の日本人からすれば、M中佐は「異端」にあたるのかもしれないが、帝国海軍無き後の帝国海軍軍人としてのプライドを見せつけた反骨の帰投であった。




