密入国者対策
朝鮮戦争の惨禍から逃避する為、朝鮮半島からの密入国者は増加の一途を辿った。海上保安庁は、対応の為に朝鮮半島至近の対馬周辺に巡視艇を、常時6隻配備するなどして、警備にあたった。当時海上保安庁が検挙した犯罪(不法出入国、密貿易、漁業関係等)件数と検挙人数は、1949年が、3251件・5397人で1950年が、5014件・6882人、1951年が、10178件・12944人と、急増していた。
この頃の日本は、占領統治下の秩序が不安定要素により脅かされており、その上日本を占領していた米軍は朝鮮戦争で、それどころではなくなっていた。こうした中、米国陸軍元帥ダグラス・マッカーサーは、1950年7月8日「親愛なる総理」と言う書き出しで、当時の首相吉田茂に宛てた書簡を出している。
そこには、公安維持の為の警察力の強化と、日本の海岸線の保安確保の為の、海上保安庁強化の必要性を指摘した上で、次の様に書かれていた。「従って私は、日本政府に対して7万5000人からなる国家警察予備隊を設置すると共に、海上保安庁の現有勢力に8000人を増員する必要な措置を講じる事を許可する。」と言う。マッカーサー元帥は、「許可する」と言う表現を用いているが、事実上、日本政府に海上保安庁の増強と、国家警察予備隊設置を命令したと言うのが実際のところである。
早速海上保安庁増強計画を立てさせた。当時の柳沢米吉海上保安庁次官は、国会でマッカーサー書簡をまるで、奇貨の様に次の様に答弁している。
「マッカーサー書簡をいただきまして、これによりまして現在の海上保安庁の最も欠落している船舶の整備計画と言うものを立てまして…。」
この時柳沢次官が飄々と披露した政府計画は以下の様なものであった。1951年1月末に9075人であった人員を1950年度予算(1950年4月~1951年3月)で、2246人増員する。これは、年度末も近付く中では大胆なプランである。さらに翌年度予算で2450人増員する。船舶も1950年度中に29隻を新規造船だったところへ、1951年度予算において巡視船その他約80隻増強する。あっという間に、人員も船舶も増強が決定されたのだから、マッカーサー書簡の威力恐るべしである。
と同時にいよいよ米国は国家警察予備隊と海上保安庁の増強に加え、機雷処理にあたっていた警備隊の増強にも言及して来る事は明らかだった。どこまで米国が日本の海軍力を強化し譲歩出来るかは国際情勢次第であった。




