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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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朝鮮出兵

 1950年に勃発した朝鮮戦争で、掃海部隊を日本が派遣していたなどと一体、今の日本人の何割が知る情報だろうか。そんな事はさておき、米軍の朝鮮半島上陸にあたって、掃海部隊は必須だった。そこで米軍は、日本海軍の生き字引である掃海部隊に対して出動を要請する。

 これを受けて当時の海上保安庁は、特別掃海隊を編成して、秘密裏に朝鮮半島元山沖、仁川沖等で掃海作業を実施した。このうち一隻が触雷し沈没。犠牲者いや、戦死者も一人出たと言う。その後も数次に渡って、延べ46隻の船艇約1200人が、朝鮮半島海域で掃海作業に従事。一隻が座礁した。大文字もこの朝鮮出動に際しては、参加している。

 さて、こうした命懸けの大掃除の甲斐もあり、1950年10月、米軍を中心とする「国連軍」が元山に上陸。1950年10月末の当時の日本の内閣総理大臣である吉田茂は、「朝鮮掃海は、対日講和に寄与」したとして、日本の掃海部隊の活動を評価した。朝鮮戦争は、序盤こそ北朝鮮軍が、中国の後ろ楯もあり、破竹の勢いで進軍するものの、ソウル陥落後は、米陸軍投入が決定する。(1950年6月29日)

 日本にいた占領軍である米陸軍第8軍の4個師団中3個師団が1950年7月中までには朝鮮半島へ出兵した。更に日本に残っていた第7師団からも兵員を抽出した為、日本の北方の警備は手薄になったと言う。結局、北朝鮮と韓国は停戦協定にサインした。結局2024年12月末まで、およそ70年以上両者は休戦状態のままであり、未だに戦争は終わってはいない。

 話が逸れたが、大文字龍太ら日本海軍掃海部隊を中心とする特別掃海部隊は、法的に問題がある。つまり、コンプライアンスに抵触する為、秘密裏に行われたものの、最小限度の被害で任務を完遂した。やることは日本近海の機雷の除去と変わらないのだが、決定的に異なる事がある。

 それは、日常の延長である日本近海の機雷の除去と違って、朝鮮半島への出動は、明らかな戦場であると言う事である。この差はいかんともしがたい。海外派兵とも、捉えかねないこの特別掃海部隊の派遣は、いくら米国の要請があったとしても、日本側としては断るべきミッションだった。しかも、あろうことか一人の人員を失うと言う汚点を残している。

 それを公表しているならまだしも、秘密裏に処理されている事が、どうしても腑に落ちなかった。精々米国側からの圧力でもあったのかもしれない。今の時代の様にインターネットやSNSが普及していなかった当時ならば、右向け右の論理で事を進める事が可能であったのだろう。

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