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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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シャバ

 シャバの空気に感動している時間は、黒沢には無かった。待っていたのは、厳しい現実であったからだ。これならば、巣鴨プリズンであろうが、網走刑務所だろうが、知らぬが仏。塀の中の臭い飯を食っていた方がよほどましであったと思う。

 そのくらい、農家と言う職業は食って行くのは辛い。毎日農作物の心配をしなければならない生活は、確かに楽なものではないが、それでも食って行く事が出来た黒沢は、幸せだった。

 戦後直後の昭和20年8月頃と言う時期は、多くの日本人が淘汰された時期でもあった。生き残れない人間は容赦なく世間から外され、死んでいった。誰も助けてはくれない。そして、誰もが生き残る為に、必死であった。

 無論、黒沢も大根の葉にかじりついてでも生き残ろうとした。シャバに戻っても、何かが好転した事はない。相変わらず米軍相手のあこぎな商売をしていた。その様な日々であっても、いつか良くなる日が来ると信じて、ただひたすらやるべき事をやるだけの事であった。

 今は、後ろを振り返る時ではなく、前を向く時であった。それが、黒沢には良く分かっていた。例えあこぎな商売とは言え、それがいつか日本の成長に繋がる。日本が復興する為には、まず自分達がきちんと生計を立てねばならない。それが白菜や、大根と言った地味な野菜を作る事であっても、形振りかまっていられない。

 下を見ればきりがないが、後ろを向いていても仕方は無い。物事には、程度と言うものがある。分相応に生きる事の大切さを知る、黒沢には、野菜作りは、苦行では無くなった。寧ろ、帝国陸軍で少佐にまでなれたことの方が、黒沢にしてみれば、異常な事であった。

 本来ならば、陸軍に入隊するつもりは無かった。本来ならば、農家の長男坊だ。順当に行けば農家を継ぐのが定め。所がどっこい勉強をやらせては学年トップ。走らせては右に出るものはいないと来た日には、陸軍のお偉いさんも黙っちゃいねぇ。そんな事はさておき、黒沢はたまたま順序が変わっただけの事であった。それが成功するかしないかと言うのは、別問題である。生きて行ければそれで良かったのである。

 家族を養う為、自分が生きる為に百姓をやらざるを得なかった。好きか嫌いと言う以前の問題で、戦争で死んで行った戦友や巣鴨プリズンで収容されている同胞の事を思うと、自分は何て幸せなんだろうかと思う。生き残ってしまったのが運の尽き。とにかく黒沢は粉骨砕身働いた。慣れない農作業をコツコツと。

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