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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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巣鴨プリズンへ④

 巣鴨プリズンでの一日は非常に長かった。というのも、戦犯は刑務所とは違う扱いを受ける為、刑が確定するまでは、とりあえず何も課されない。その為、一日中塀の中に入れられっぱなしである。

 栄野木と黒沢の様に、そりが合えば問題無いかもしれないが、万が一そりが合わなければ地獄である。まぁ、人付き合いの上手下手はあるし、友達を作りに来ている訳じゃない。大日本帝国陸海軍人のエリート達にとっては、そんな事はどうでも良い事ではあった。

 巣鴨プリズンは、その名の通り東京都の巣鴨にあった。日本で戦犯指定された人間はここで、御沙汰を待つ事になる。そう。御沙汰とは、あの悪名高き"東京裁判"である。戦勝国に都合の良いように解釈がなされ、インドのパール博士以外の全員が賛成して決めた、出来レースであった。最も、日本人にとっては悪名高いかもしれないが、戦犯指定された人の中には、本当に悪い事をした人間もいた。

 と言うのも、戦犯指定された人間の大半が言われ無き罪、つまり冤罪による戦犯認定であったからである。例えば陸軍大将の今村仁等は部下の犯した罪で責任を問われ、ラバウルの戦犯裁判で禁錮10年を宣告され、日本に移送されるが、かつての部下達と同じ場所での服役を望み、パプアニューギニアのユヌス島で刑に服した。

 嶋田繁太郎海軍大将の場合は、今村陸軍大将の場合とは異なり、東条英機内閣(太平洋戦争開戦時の内閣)の海軍大臣として、海軍軍令部総長を兼ねた事で、悪評を決定的にして、戦後A級戦犯に指定され、東京裁判で、終身禁錮刑を言い渡されるが、昭和30年に仮釈放されている。

 この様に人それぞれ問われている罪の内容が異なっている。だから法で裁くのには無理が出てきてしまうのは、仕方の無い事なのである。黒沢や栄野木の様な中堅士官くらいであれば、ほぼC級戦犯で、稀にB級戦犯がいる程度のものであった。それだけ連合国の裁判は、強引なものであったと言える。本来なら米国の戦争犯罪も追及すべきではあるが、戦争に負けた日本側にはその権利はなかった。原爆投下は明らかな戦争犯罪である。大日本帝国はもう無い。日本は戦争に負けたのである。負け犬には発言権は無い。それが戦争に負けると言う事である。力による現状変更は明らかにルール違反であるが、それを軍事力により行うのが戦争である。戦争は悪である。しかし、人間は今も戦争を止められない。日本の敗戦は全く教訓として活かされてはいない。

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