巣鴨プリズンへ①
黒沢が、新たな世界で一歩を踏み出した頃、事業が軌道に乗りかけた時の事であった。神様は酷な運命を黒沢に突き付ける。
黒沢徹男元大日本帝国陸軍少佐はB、C級戦争犯罪人の疑いで、巣鴨プリズンへ収監されてしまったのである。黒沢には、思い当たるふしがあった。それは南方のガダルカナル島の激戦の最中、現地住民をジェノサイド(大量虐殺)するのを部下に命じた事があった事が、頭をよぎった。上官の命令とは言え、大日本帝国陸軍軍人のプライドや名誉を著しくおとしめる行為であり、当時の自分は乗り気ではなかった。
しかしながら、当時は"餓島"と呼ばれるくらい食糧に困っていた為、現地住民を酷使して食糧を生産させていた。ろくに食事も与えず、生き絶えた現地住民は少なくない。米軍の脅威を目の前に、正常な判断を出来なかったのは確かである。だが、これが戦争犯罪に当たるのは、紛れもない事実であった。現実には、こうしたケースが人道に対する犯罪として、裁かれる事が多いとは言え、中には上官の指示でなくなくやった黒沢の様な中級将校がしょっぴかれる者も、少なからずいた。A→B→Cと罪の重い順に Aランクに近づく訳であるが、黒沢の場合はC級だった。
現場指揮官であった黒沢の上官である、赤岩令大佐はB級でしょっぴかれている為、妥当な判断であったと言える。C級戦犯も戦犯とは言え、死刑や無期懲役等の極刑はまずあり得ない。せいぜい5~10年位の服役が目安だった。
折角野菜の事業が波に乗ろうとしていただけに、黒沢は残してきた社員が気掛かりであった。無論、副社長の大戸沢春彦に全ての権限を与えて、任せる方針を示していた為、大きな混乱は無かった。もし、自分が戦犯と正式に認定されて、会社に迷惑をかける事になっても、その時は一才黒沢徹男と会社は関係無いと言うんだぞと、箝口令を出していた為、被害は最小限で済んだ。と、同時に副社長の大戸沢春彦は、いずれ出所して来る黒沢代表のイスとポストはきちんと用意していた。黒沢は知らぬが、こんなに幸せな事は無いだろうと思う。互いに苦労した事は分かっていたし、この時代を生きた人のほとんどが戦争に巻き込まれていた。とは言え、戦犯となると周りの目も気になるし、風評被害も出る可能性は無くもない。それでも、大戸沢副社長は代表と社長のポストは開けて待つと言ってくれた。陸軍時代に世話になった命の恩人なだけに、黒沢が戦犯で裁かれても御構い無しで信頼していた。悪いのは大本営陸軍参謀本部だ。俺達は命令に従ったまでの事。そう思わなきゃやって行けなかった。




