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防人(さきもり)の戦後  作者: 佐久間五十六


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海上公安局構想

 保安庁の成立により、当時の日本政府は海上保安庁と保安庁所属の警備隊という、海の2つの実力組織を抱える事になる。しかし、当時の財政事情を考えると、負担は軽いものではなかったというのが、政府内部の偽らざるところではなかっただろうか。

 保安庁法が成立したのと同じ日、1952年7月31日に海上公安局法と言う法律が成立している。この法律は、海上保安庁を廃止して海上保安庁の水路灯台関係事務は、運輸省に移し巡視船艇を抱える実力部隊である警備救難部は保安庁に設置する海上公安局に移すと言うものであった。警備救難部の仕事は、法令違反の防止、海難救助、海上交通の安全、海上における犯罪捜査、逮捕、海上秩序の維持等である。

 実施されていれば、保安庁は警備隊に加えて海上公安局も所管するはずだった。つまり、海上保安庁の巡視船艇を抱えていた法執行・実力部門と海上自衛隊の前身組織である警備隊を同じ保安庁(後の防衛省・自衛隊)に所属させると言う法律が成立していたのである。法律通りに事態が進めば、海の実力組織は保安庁の元に一本化されるはずだった。

 しかし、海上保安庁法には、「海上保安庁又はその職員が、軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営む事を認めるものとこれを解釈してはならない。」(海上保安庁法第25条)という規定がある。「海軍再建」を意識した警備隊と、法律で軍隊ではない事が強調された海上保安庁とでは、基盤の考え方が、牛肉と大豆ほど違う。その為か、新たな海上公安局法には、軍隊と見なしてはならないと言うような強い規定は記されていない。

 海上公安局法は、参議院での審議の際、修正され施行日について、「別に法律で定める日から施行する」とされた。ところが、その施行法はついに、国会に提出される事が無いまま、今度は保安庁そのものが無くなってしまう。

 海上保安庁の巡視船艇・実力部分を防衛庁の前身組織とする構想は遂に幻に終わってしまう。戦後と一口に言っても、これだけの歴史と人間ドラマがあったのである。随分と前置きが長くなってしまったが、時代背景はこの辺りにしておいて、大文字龍太の戦後を見ていく事にしようと思う。

 時は連合国軍総司令部(GHQ)から、日本政府の責任において出された「一般命令第一号」と言う命令の出た1945年8月19日まで、時計の針を戻そう。

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