ダグラス・マッカーサー
コーンパイプをくわえ、レイバンのサングラス姿で、日本人に強烈なインパクトを与えたのが、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー米国陸軍大将(元帥)である。マッカーサー元帥と昭和天皇様の2ショット写真は、戦勝国と敗戦国を印象付けるものになったが、これもGHQ(連合国軍総司令部)のウォー・ギルド・プログラムの一環であった。
当時のマッカーサー元帥は、とにかく日本と言う国家の反米の芽を摘むことに力を出していた。飴と鞭作戦を中心に、日本の軍国主義を排除する為に徹底的に米国型民主主義を埋め込んだ。そのやり方は、半ば強引なものであったが、マッカーサー元帥の強いリーダーシップの元で、その基盤を築いて行った。マッカーサー元帥は、先陣を切ってあれこれ政策の主動をしていた訳ではない。
寧ろ、優秀な部下のやり易い様に下地をならす事に力を注ぎ込んだ。と同時に自分はあくまで、GHQの最高司令官としての権威を保ち、部下にも日本人にも、高圧的に振る舞った。これは役者が演じる様な安い演技ではない。心の底から自分の役目を演じきる事により、米国の占領政策をスムーズに進めて行った。
日本人だけでなく、後世の米国人にも国益として役に立つだろうと、力を込めた。米国の占領政策の歴史は、そこまで深いものではないかもしれないが、マッカーサー元帥が中心となって行ったGHQによる占領政策は、米国の建国以来の成功例となった。勿論、全てが上手い事運んだ訳では無い。それでも全てをひっくるめても、成功だと言われる所以は、マッカーサー元帥の強いリーダーシップの元で日本を米国の国益に見合うような、都合の良い国家に変えたのは、現代に繋がるものである。それは変えられない、変わらない事実である。日本人にとっては、嫌な現実かもしれないが、米国側(マッカーサー元帥にしてみれば)これほどの占領成功は日米同盟となって花咲いた。
喜びもひとしおだろう。少なくとも米国人にとっては、損は無いと言える。沖縄県を中心に米軍を半永続的に駐留させ、不安定な東アジアに米軍のプレゼンスを発揮させ、その駐留費用を日本に負担させる。(思いやり予算)と言う形、つまりタダで日本の安全保障にコミット出来る体制を構築したのである。日本側は反発したが、当時はまだ自衛隊も洗練された部隊ではなく、この状況下では米国側いや、GHQの案に従わざるを得なかったのであった。ただ、米国側の日本への信頼度は意外に高く、横須賀に海外では初となる海軍の第七艦隊をそのまま移転させるなど、ただ布石と言う形ではなく、本格的な日本の安全保障へのコミットを実現したのであった。




