お説教
「それで、逃げ帰ってきたわけか」
鳴神は笑顔でうんうんと首を縦に振っていたが、部屋の中の空気は穏やかではなかった。勇司はクロと共に床に正座をさせられていた。
クロに担がれてテオフィルスの前からダッシュで逃げ帰った後、タイミングを見計らったかのように鳴神が部屋にやって来た。どうやら騒ぎをどこかから聞きつけたらしい。部屋にやってくるとことの詳細を話すように言ってきた。
「クロ、お前を勇司の護衛にしたのはお前が真面目に任務をこなせるからだ。信用していたお前がまさか勇司にたぶらかされるとは……」
「申し訳ございません」
クロはしゅんと耳と尻尾を垂らして鳴神に謝った。
「たぶらかしたって……」
「実際お前はクロの純真さに付け込んだだろ。言い訳せずお前も反省しろ、勇司」
「ぐっ……」
鳴神の言う通り勇司がクロに無理を言って庭に出なければ、テオフィルスとは遭遇しなかった。勇司を部屋から出すなという鳴神の指示を、クロに破らせたのも勇司だ。
事の発端は勇司の軽率な行動と言える。
「向こうが仕掛けてきてくれてよかったな。言い合いじゃ平民の従者と、まだこっちの常識が分かってない勇者じゃ敵わないからな」
「そうですね……」
こっちの常識が身についても鳴神には口で勝てる気はしない。勇司はそう思ったが、口にはしなかった。何倍もの言葉が返ってきそうだったし、それよりも気になることがあった。
「ところで、あいつが出した霧みたいのはなんだったんだ?」
「勇司が見た霧の正体は恐らく魔力だ」
「魔力?」
「魔力の流れは熟練の魔法使いか、聖職者じゃないと見えないんだ」
そう言って鳴神は人差し指を立てて見せた。指先からゆっくりと煙が出て来たかと思うと、空気中の中で意思があるかの様にゆらゆらと動き出す。
「お前は勇者だから見えたし、触れたんだろうな」
「普通は触れないもんなのか?」
「俺は無理だった」
「ふーん……」
もしかして、魔塔首でも使えない能力ってことは使いようによっては便利なんじゃないか?
魔法の原理が分からないのですぐには有効な活用法が浮かばなかったが、暇な軟禁生活が少しは魔力のおかげでマシになりそうだと思った。上手く利用する方法が思いつかなくとも、暇つぶしにはなる。
「ユージ様が見えて助かりました。見えなければ対処できませんでしたから」
「そういえばあの時クロが引っ張れって言ったよな」
あの時クロに言われなければ、霧を引っ張るだなんて勇司には思いつかなかった。
「昔聞いた勇者伝説の一節に魔力を操る力に長けているとおっしゃっていたので、もしやと思いまして」
「クロは魔力見えてるのか?」
「ハッキリとは見えないです。ゴーストに憑りつかれている感じですかね?」
「……ゴースト」
ゴーストという単語を聞いて勇司は寒気を感じた。
正直、心霊現象が得意ではない。地球で言う幽霊と、こっちの世界のゴーストは違うかもしれないが……霊的な現象なのは同じだ。出来れば会いたくない部類の存在である。
というか、クロは憑りつかれたことがあるのか? 一体クロは今までどういう生活を送ってたんだ? それともゴーストに憑りつかれるのは、この世界ではわりとよくあることなのだろうか?
勇司は色々聞きたいことが多すぎてじっとクロを見つめるが、クロは勇司をいつも通りの朗らかな笑みで見返すだけだった。
「まっ、何はともあれ無事でよかった。あのままテオフィルスにメロメロになっていたら、どうしようかと思ったぞ」
「いや、あんな奴にメロメロになる訳ないだろ」
確かにテオフィルスはびっくりするぐらいの美男子だったが、性格が最悪だ。クロを何故か目の敵にしていたし、勇司が使用人じゃないと分かってもクロをからかう為に利用した。かなり関わり合いになりたくないタイプだった。
「もしかして……気づいてないのか?」
「何に?」
鳴神が言わんとしていることが分からず、勇司は首を傾げた。
「テオフィルスの能力は『魅了』だぞ」
「はっ、はぁ――――? みっ、魅了?!」
だからあんなに沢山の女の人達が集まっていたのか!
物凄いハーレムだとは思っていたが、まさかそれが能力だとは思い至らなかった。そんなことをしなくても彼は美形だったし、勇司の知る単純な『魅了』とはまた違っているように見えた。
「えっ、でもなんか苦しんでたから毒系とかなんじゃ……というか、あの後あの人達は大丈夫だったのか?!」
「大丈夫だ。テオフィルスからしばらく離れれば中毒症状は治まる」
「中毒症状……」
急に出てきた物騒な言葉に、勇司は目を瞬かせた。
「アルコール中毒と一緒さ。テオフィルスの『魅了』は中毒症状を起こさせ、能力を使っていない時も彼のことを考えるように仕向けてくるんだ。満たされなければ苦しくなり、得られれば楽になる」
「だっ、だから強すぎる中毒症状で苦しんでたのか……」
「そういうこと」
鳴神はニヤッと笑ってこう続けた。
「彼の『魅了』の力こそ、お前の婚約者候補に選ばれた理由だ」
「こっ、」
婚約者候補?!
勇司は驚きのあまり声にならない叫びを上げたのだった。




