愛される者
庭を散策しながらクロと話している内に、大体この世界のことが分かってきた。
この世界は予想通りあまり科学技術が発展しておらず、その理由は魔法使いが昔から高い地位にいるからだ。魔法なしでも生活を過ごしやすくしていこうという意思と、財力を持ち合わせた奴はいなかたらしい。というか、魔法が使えるのがステータスなので魔法を使わない選択を皆あえてしていないのだ。
それ故に電気を使う物が生まれていない。灯りは蝋燭や油を消費するものがほとんどで、冷蔵庫という概念はない。氷を使って保存する氷室はあるらしいが、氷は高価で魔法が得意ではない上流貴族が使う物らしい。庶民はまず持っていない。
移動手段も基本は徒歩で、あとは馬に乗るか馬車。他の国では人力や、魔物を使役して使っているところもあるらしいが少数派のようだ。
「魔法なしで大人数が移動できるのはいいですね。魔物の討伐とかも楽になりますし、谷の下に陣営を作られても空から行けるんでしたら奇襲攻撃が可能です!」
勇司が話す地球の話をクロはおとぎ話を聞く子供の様に、それはそれは楽しく聞いていた。口から出てくる感想が戦士らしく血なまぐさいのに違和感を覚えるくらいだった。
「魔王がいるぐらいだから、いるんだろうなとは思ってたけど……魔物もいるんだな」
「アルビオンは聖なる地ですので、ほとんどいないのと同じですよ。遭遇したとしても、弱い魔物しかおりませんのでご安心ください」
「ふーん……そうなんだ」
ということは、この国以外では強い奴と遭遇する可能性があるということか。
勇者が過ごす神聖な土地だから留学する者が多いと聞いていたが、それ以外にもこの国にいるメリットはあるようだ。
「村で暮らしていた頃は食料を求めてやってくる魔物を追い回して過ごしてたんですけど、ここは本当に魔物が少ないので驚きました」
「クロの住んでいたところはどんなところなんだ?」
「私の村、ですか?」
クロの問いかけに、勇司は頷いて見せた。
勇司が城で見かけたお手伝いさんや騎士はほとんどが普通の人間で、亜人種はクロしかいなかった。獣人全体の身分が低いのか、それとも獣人で固まっている国があるのか。もし前者ならば、この世界は奴隷制度が今も続いている世界の可能性が出てくる。
クロが今まで理不尽に苦しんできたように見えたので、勇司は倫理観が日本とは違うなら早めに知っておきたいと思った。
「私の住んでいたところは……」
クロが話始めたところで、ガサっと茂みが揺れる音がした。音を聞いた途端、クロは勇司を背中にかばうような位置に移動する。彼の黒い耳は警戒するようにピンと立ち上がった。
「ユージ様、私の後ろに居て動かないで下さい」
「こっ、ここって安全なんだろ?」
和やかだった空気がピリッと張りつめるのを感じ、不安な気持ちになったので勇司は声が震えた。
「安全ですけど……用心するに越したことはありません」
「わ、分かった……」
勇司は言われた通りにクロの後ろにぴったりとくっついた。
決してビビっているわけではない。無理やり連れてきてもらっている手前、大人しく言うことを聞いているだけだ。それだけ。と勇司は心の中で誰かに言い訳をした。
茂みをガサガサと揺らす音はこっちに近づいては来なかった。むしろ土を踏みしめる足音は遠ざかって行く。どうやら自分達に用があってやったわけではないようだ。
「とっ、遠ざかってるし、大丈夫じゃないか?」
「結論を急ぐのはよくありません。音の正体を確認しますので、ユージ様はそのままここで動かないで下さい」
「うっ、うん……」
クロから離れるのは少し不安だったが、このまま動かずにいる訳にもいかないので了承した。
クロはゆっくりと音がした茂みに近づいていき、木々によってできた暗がりを確認した。しかし人影も、動物もなかった。
「侍女が近道として通っただけかもしれませんね。念の為、隣の区域を確認します。確認したら今日はもうお部屋に戻りましょう」
「ああ、そうだな」
勇司はクロの提案に素直に頷いた。庭の散策は楽しかったが物音ひとつでこんなに警戒することになるとは思わず、疲れたので帰りたかった。
戻ってきたクロと一緒に今度は隣の区画へと移動した。ほんの数歩進んだところに隣の区域に続く道はあった。道にはアーチが設置されており、蔦植物が場所を区切るカーテンの様にアーチから垂れ下がっている。
「うっ……!」
クロが蔦のカーテンを手で払いのけると、向こうから流れてきた甘い匂いが勇司の鼻を突いた。
その香りは花のような、果実のような、華やかでみずみずしい香りだった。魅力的だが、強すぎる。まるで体の中が花畑になったみたいだった。
イヌ科のクロにこの匂いはヤバいんじゃないんだろうか?
「おい、クロ! 大丈夫……」
「テオフィルス様……」
クロは匂いを気にしてはいなかった。それどころか、匂いとは別のものに注意が向いている。
一体何を見ているんだ? 気になって勇司はクロの視線の先を追った。そして、目が限界まで開くほど驚かされた。
「げっ! なんだあれ?!」
隣の区域には大きな池があった。池には人間の数倍の大きさに育った化け物のような蓮の花が咲いている。それだけでも異様な光景なのだが、池に浮かんだ蓮の葉の上で繰り広げられている光景も異様だった。
そこはまるでハーレムだった。池の中心に咲いている一番大きな蓮の花で出来た木陰に沢山の女性が集まっている。その女達に囲まれているのは、まるで天使のような美青年だった。
顔が小さく、スッと通った鼻筋に魅惑的な猫目。肩までのびた銀髪は少しだけ癖がついてあちこちにカールしているが、決して無造作というわけではない。その証拠に彼の髪はまるで星の様に輝いている。手足も長く、モデルでもやっていそうな体形だった。
蜜を求めて花にあつまる虫の様に、蓮の葉の上で美青年に女達が群がっている。現実ではありえない、極楽の景色だ。中心に居るのは西洋の天使のような奴だが。
「おいっ、あいつ誰なんだ?」
「テオフィルス・レグルス様です。マズいですね、気づかれる前に戻りましょう。ゆっくり来た道を戻って下さい」
集まっている女達と同じようにクロも男に魅了されているのかと思ったが、違ったようだ。それどころかクロは少し焦っているように見えた。
「え、うん……分か」
言われたとおりに戻ろうとして足を後ろに引いたら、パキッと音が鳴った。どうやら小枝を踏んでしまったようだ。
それは小さな音だったが、ハーレムの主には聞こえていたらしい。男が急にあらぬ方向へと視線を向けたことに、女達がざわめく。
「ユージ様……」
「はっ、はは……ごっ、ごめん」
クロは見つかったことを咎めるようにユージを見つめた。ユージは何も弁明する言葉が見つからなかったので笑うしかなかった。
「はぁ……できれば会わずにすませたかったんですけど、見つかっては無視するわけにはいかないので仕方ないです。話は私がしますから、ユージ様はあまりしゃべらないで下さいね」
「……了解」
勇司は大人しく頷いた。正直、城で生活するような奴と何を話していいか分からなかったので話さなくていいのはありがたかった。
「なんだ、誰かと思えば名無しじゃあないか」
いつの間にか蓮の葉から降り、近づいてきたモデルのような美しい男はクロを見て唇を歪めて笑うのだった。
こいつ、きっと嫌な奴だな。含みのある言葉を吐く男の第一印象は最低なものになった。