お守りします、勇者様
部屋に敷かれた毛足の長い絨毯は、見ただけで高価なものだと分かった。
踏んだらもっとヤバかった。ふかっとした感触と共に、絨毯の中に足が数ミリ沈んでいった。恐るべし、高級絨毯! 数年履き続けたせいで底がすり減った靴でそれを踏むのはなかなか勇気が必要だった。
しかし慣れとは恐ろしいもので、半日ほど部屋を行ったり来たりしている内に絨毯のふかふかの感触にすっかり慣れてしまった。
勇司は見るからに高そうな調度品が置かれた部屋に昨日から閉じ込められている。鳴神からざっくりと自分の状況を聞かされた後、放り込まれてそれきりだ。勇司はもっと聞きたいことがあったのだが、急に現れた使いによって質問タイムはなしで会はお開きになった。
召喚された勇者に真っ先に起こるイベント「王族に会う」が起こらないまま、軟禁イベントがスタートってかなりヤバイ状況なんじゃないか?
キングサイズのふかふかのベッドでのんきに眠った翌日、勇司は不意に思った。
昨今の勇者ものでは実は王族がヤバい奴で、召喚勇者がいいように使われるパターンがよくある。婚活を強要されている時点でヤバいのだが、さらに政治を指揮している奴らがヤバかったら勇司の意志など全く反映されずに結婚させられる可能性がある。気がつけばR指定待ったなしの貞操の危機に直面もありえなくはない。
不安がどんどん膨らんでいくというのに、鳴神は今日一度も顔を見せていなかった。鳴神の代わりに勇司と一緒に居るのは、愛想があまりよろしくない獣人の男だった。
「彼はクロ。君の護衛をしてもらう」
鳴神からそう紹介を受けると、彼は勇司の足元に跪いて深々と頭を下げた。
「勇者様の護衛を務めさせて頂きます、獣人族のクロです」
上から見下ろしたクロの頭には、真っ黒な犬の耳が生えていた。髪の毛も黒くて、腰近くまでのびている長い髪を後ろで一つに束ねていた。身長が高いというより、身体全体がデカかった。立派な筋肉がついているのが服の上からも分かるが、しかしマッチョと呼ぶほどではない。彼は犬のようなので、走る為に筋肉はつけ過ぎないようにしているのかもしれない。
「見ての通り彼はイヌ科だ。身体能力と忠誠心が高いから、安心して良いよ」
何について安心すべきなのか分からなかったが、勇司はとりあえず鳴神の言葉に頷いておいた。
命についてなのか、貞操についてなのか、はたまたもっと深刻な何かがあるのか。数時間前に勇者だという通達を受けた勇司には分からなかった。
クロは鳴神の言う通り、実に真面目で忠誠心が高かった。勇司はクロに色々と国について質問をしたのだが「トール様から何も言うなと言われておりますので」の一点張りで、何も答えようとはしなかった。
忠誠心が高いってお前にかよ、鳴神!
勇司は話し相手が居るのに会話が出来ないという状況に苛立ち、結果部屋を行ったり来たりするしかすることがなかった。もしかしたら今の自分の一番の敵は鳴神なのかもしれない、と思った程だ。
気晴らしをしようにも部屋の窓から見える景色は森だけだった。部屋はビルの三階程の高さで、シーツやカーテンでロープを作れば下りれる気はするがやる気にはなれない。それ程事態は切羽詰まっているわけではないので、やって怪我でもしたら馬鹿だ。堂々と扉から出るという方法もあるのだが、クロが外に出ようとすると全力で止めてくる。
部屋を歩き回るのもストレスに変わり始めた昼過ぎ、勇司はもう一度クロに話しかけてみることにした。
「なあ、クロ」
「なんでしょうか、勇者様」
「その勇者様ってのやめろって言ってるだろ」
勇者という言い方は日本で育った二十代男性にとって、痛い呼び方に聞こえて嫌だった。
「すみません、ユージ様」
「なんだったらお前話すんだよ」
「と言いますと?」
「質問を変えるわ。お前は鳴神に『何を話すな』て言われてるんだ?」
今まで勇司はこの世界のことを知りたくて国やら、情勢やらを聞いていた。もしかしたらその話題が悪いだけで、しゃべること自体は禁止されてないのかもしれないと勇司は思った。
勇司の記憶の中の鳴神は、イタズラはしたが何故か先生達からの受けはよかった。誰にどう接すればいいのか、よく心得ていたのだ。その鳴神が何も暇つぶしをつぶす物がない部屋に閉じ込めるだなんて、少し変なのだ。スマホ世代が耐えられるわけがない!
「えっと、国とか政治のことは言うなと……その、自分は難しいことはよく分かりませんので……間違った情報や、偏見を勇者様に植え付けない様にと言われております」
そう言ったクロの耳は少しだけ垂れていた。
「お前って貴族とかじゃないわけ?」
自分の予想が当たって内心喜んでいるのを隠しながら勇司は尋ねた。
城で騎士をやっているのだから勝手に貴族だと勇司は思っていたのだが、クロから気品のようなものは感じられなかった。むしろ年も近いせいか、護衛というより部活の後輩を思い出させる気軽さを勇司は感じていた。食事を運んできたメイドには育ちの良さを感じていただけに、なんというかクロは変に浮いていた。メイドがいる間彼はお尻の間から生えている尻尾をそわそわ揺らしていたぐらいだ。
「自分は農村の出身でして、本当は勇者様のお世話をできるような身分ではないのです」
「え? そうなの?」
「はい」
クロはこくんと頷いた。
「縁あってトール様に拾われたんです」
クロという名前を聞いた時、道端で拾った犬につけるような名前だなと失礼なことを思ったが本当に拾われたとは思わなかった。
城の騎士を使わずにわざわざ外から人材を連れてきて護衛にするだなんて、きな臭い。それも言ってはいけない情報なんじゃないのかと勇司は思ったが言わなかった。言ったら折角話し始めたクロがまた黙ってしまう。
「トール様に恩があるのは勿論なんですけど、憧れの勇者様の護衛ができて本当に光栄に思っております!」
クロは言うなり手を身体の前で揉み始めた。でかい男がもじもじしているのを、勇司は奇妙なものでも見るように見つめていた。
「俺、勇者って言ってもまだ何もしてないけど」
「オレ……じゃなかった、私の村は勇者信仰が根強く残っているところでして小さい頃から勇者様の伝説を聞かされて育ったんです。勇者様は勇者様に選ばれたというだけで凄いんです!」
「そ、そうなんだ……」
黙りこくっていた時のクロは、勇者に興味がないように見えていたので熱のこもった言葉に勇司は驚いた。
もしかしたら、上手く利用すれば鳴神への忠誠心なんてあっけなく覆せるのでは?
ふさふさの尻尾を千切れんばかりに振って自分を見つめるクロの姿を見て、勇司はある計画を思いつくのだった。