神殿へ
アウラが部屋を訪ねてきた次の日、勇司は早速教皇に呼ばれた。教皇が居るという神殿は勇司が過ごしている部屋がある建物から城内にある小さな森を抜け、二十分以上歩かなければいけない場所に建っていた。
神に仕える司祭である彼らは魔力とは違う神聖力という力を扱うことで神と語らうことの出来る存在で、毎日の礼拝が日課なので神聖力がより高くえられる場所で過ごしているのだという。
その話を聞いた時、勇司が一番に思ったことは「魔力も得られやすい土地があるんじゃないか?」だった。
テオフィルスに会ってからというもの、勇司は大学受験の時を遥かに超える集中力で魔力のコントロールの修行をしていた。テオフィルスとの婚約を退けたとしても、他の国の婚約者候補がクソなのは十分あり得る。
勇者として他の奴よりパワーがあるなら、腐らせずそのパワーを使うしかない! そして、パワーで無理やりにでも婚約を全部破棄する! と、少しやけになっていた。
それもこれも護衛であり、唯一の話し相手であるクロの境遇があんまりにも酷いのが少しずつ分かって来たからだった。
「城の使用人にも似たようなことを言われることがありますので、大丈夫ですよ。ユージ様は御自分のことだけを考えて下さい」
テオフィルスのことを怒っていないのかと聞いた時、クロはなんでもないことのように身近なイジメを打ち明けた。
勇司はクロの口調と内容のちぐはぐさに思わず顔が引きつらせる。
「えっ、いや、それは何も大丈夫じゃないだろ!」
「いえ、皆さん上品な方ばかりで殴ってきたりしないので平和なもんですよ」
「へっ、平和?」
「はい。口を開いただけで殴ってくる人のところにお世話になっていたこともありましたから、その時に比べれば楽です」
そう言ってクロは、初めて会った時と少しも変わらない明るさで笑った。その表情から、本気で言っているのが分かった。勇司には到底平和とは言えないことが、クロにとっては平和なのだ。何故ならば、劣悪の環境のせいで認知が歪んでしまったから。
ダメだ、この子は俺が幸せにしてあげなきゃ。
勇司は胸がぎゅっと掴まれ、その反動で涙が上にこみ上げてくるのを感じたが泣きはしなかった。泣いたら、いたずらに彼の不幸を消費してしまうような気がしたからだ。消費してしまえば、安っぽい同情を表明する偽善者になってしまうような気がして嫌だった。
クロはテレビに映し出される発展途上国の子供のように遠い存在ではなく、目の前に居る。手の届くところに居るのだから、勇司がやるべきことは泣くことではない。自身に降りかかった不幸を悲しんだり、不当な扱いに怒れるように幸福指数を上げることだ。
というわけで勇司の目標は「望まない婚約を破棄する」から「自身の未来を明るくすると共に、クロの労働環境を改善する。その為にあらゆる方面のパワーを身に着ける」というものに変わっていた。
「おおっ、ここが教皇の居る神殿か」
視界が急に開けたかと思うと、目の前に大理石でできた神殿が現れた。
城の敷地内にあると聞いていたので小さな教会のようなものを勇司は想像していたが、ギリシャのパルテノン神殿を思い出させる巨大な柱に囲まれた四角い建物だった。
入り口らしき扉の前にはツルツルとした石の階段があり、顔が映る程に磨き上げられている。クロが重い扉を開くと部屋の奥から吹いてくる不思議な風が、勇司の頬をそっと撫でる。
白い大理石で作り上げられた神殿に一歩踏み入れて扉を閉めると、周りの温度が下がったような気がした。それに自分たち以外誰も居るようには見えないというのに、何かの気配を感じる。密閉空間だというのに身体をするすると撫でるように吹くそよ風が、神聖力という物なのかもしれないと勇司は思った。
数歩進んだところにもう一つ扉があり、その扉を開くと巨大な空洞が現れた。部屋と呼ぶには殺風景で生活感が全くなく、室内の両端に彫られた溝に水が流れている。天井は異様に高く、あちこちに設置されている巨大なガラスのはめ窓から入り込んでくる自然光が照明の役割を果たしていた。
「お待ちしておりました、勇者様」
扉の近くで待機していたらしいアウラが勇司の前に進み出てくると、腰を曲げて挨拶をした。つられるように勇司も頭を下げる。
「どっ、どうも。お呼び下さりありがとうございます」
「いえ、本来ならば私共が参らなければいけない立場です。ですがそうなると大事になるかもしれませんので、無理を承知でお呼び致しました。教皇様はまだお若いので色々と……」
アウラは言葉を濁すとそのまま黙り込んだ。国も大変だが、教団の方も色々と問題を抱えているようだった。
アウラと共に部屋の奥へ進むと最奥にはこの国の神々らしき像が彫られた祭壇があり、祭壇の足元には舞台が設置されていた。舞台は半円状になっており、最上部は皿のようにくぼんでいて中心から水が湧いている。どうやらこの皿から溢れ出た水が両端の水路へと繋がっているらしい。
舞台の上には湧き水の中に膝を突き、祭壇に向かって祈っている少年が居た。
まさか、この少年が教皇っていうんじゃないだろうな。
勇司は嫌な予感がしてアウラの方を見た。彼の視線は明らかに少年に注がれている。
「教皇様、勇者様がいらっしゃいました」
アウラが呼びかけると少年が祭壇から立ち上がり、勇司の方を振り返った。勇司の嫌な予感は見事に的中してしまったのだ。
「ようこそいらっしゃいました、勇者様。ユーピテル教の第二十二代目教皇、ヨアニスと申します」
天使の輪が出来る程に輝く白金の髪をそっと揺らし、ヨアニスは勇司に頭を下げて挨拶した。彼の輪郭には丸みがあり、肩も薄ければ手足はまるで棒のように細い。勇司の目からはヨアニスはまだ小学校に通っているくらいに見えた。
「はっ、はひめまして教皇様。お会いできて光栄です」
想像よりもずっと幼い教皇を前にし、勇司は動揺して言葉を少し噛んでしまった。誤魔化すように笑うと、ヨアニスはキラキラと瞳を輝かせて微笑み返してきた。その姿は宗教画の天使が絵から抜け出してきたんじゃないかと思う程神々しく、そして愛らしかった。
こんないたいけな少年が水につかってお祈りしなきゃいけない労働環境って、時代錯誤すぎだろ! 勇司は心の中で児童相談所に通報していた。




