そうだ、魔法覚えよう
鳴神の説明によると、勇者降臨の儀が無事に終わった報告を受けて各国から続々と婚約者候補が集まっているらしい。鳴神が姿を見せなかったのも思ったよりも到着が早かった外交団がいたので、急な会議を上層部としなければいけなかったからだそうだ。別に好きで勇司を軟禁状態にしていたわけではなかったという。
昨日もテオフィルスの母国であるメオガータの外交官と今後についての話し合いがあり、双方の折り合いが悪く難航していたところに事件が発生し会議が中断になったという。
「いやー、メオガータの外交官は癖があるから中断になって助かった部分もあるんだけどさ」
この時のはははと笑う鳴神の顔を思い出す度、テオフィルスとの会合は実は仕組まれていたんじゃないかと勇司は思ってしまう。
何故ならば、テオフィルスは魅了の能力故に話し合いの席には出席しないのが最初から国同士の取り決めで決まっているという。魅了の力を使えばメオガータが有利になるように話が進んでしまうからだ。
そしてテオフィルスが庭でハーレムを形成していたのは昨日だけに限ったことではないらしい。前に来た時も同じようなことをし、他国の貴族とちょっとしたトラブルになったという。
ああいう事態が起こる可能性を鳴神は知っていた。知っていて勇司だけでなく、クロに何も言わなかったのだ。
せめてクロにはいうべきだったんじゃないか?
何度となく脳裏に浮かぶ疑問。心が揺らいだのを察知したかのように手元でバチっと音が鳴った。
「わっ、わわっ!」
勇司はパチパチと火花が散るのを見て、思わず手に持っていた筒を床へと投げた。筒は床にぶつかって一度跳ねたかと思うと、コロコロと床を転がっていく。その筒をクロが拾った。
「ユージ様、落ち着いて下さい。大丈夫ですから」
「あっ、ありがとうクロ」
勇司はお礼を言うとクロが拾った筒を受けとった。この一見何の変哲もない金属の筒は鳴神が作った雷の魔法の力を貯めておく為の装置、簡単に言ってしまえば魔力の電池だった。
昨日テオフィルスが婚約者候補であると知った勇司は鳴神に即座にお断りを入れた。
「国の事情ってあるのは分かってるけど、俺はあんな奴とやっていける気がしない」
「でもあれだけ強力な魅了の魔法があれば魔物からの被害は最小限に抑えられるんだぞ?」
「そりゃ、そうだろうけど……」
「そう難しく考えるなよ。日本で暮らしていたら政略結婚とか側室とかよく分かんないだろうけど、こっちでは結構当たり前のことだからさ」
鳴神の言いたいことは何となく分かる。婚約は国の思惑であって当人同士の意思は関係ないのだ。けれども、納得できない。
「でもあんな奴の力を俺は借りたくない。何より、クロのそばに置いておきたくない」
勇司がハッキリと自分の意志を伝えると、何故か鳴神は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「なんだよ?」
「いや、短期間でクロと随分仲良くなったんだなと思って」
「別に友達に嫌な思いして欲しくないのは普通だろ?」
「そっか……そうだよな」
鳴神は彼らしくもなく、ぎこちない笑みを浮かべていた。今の会話の何が彼をそんな顔にさせるのか、勇司にはよく分からなかった。
「ユージ様、私は友達じゃなくて護衛ですから」
「細かいことはいいんだよ。俺がそう思ってるってだけの話だから」
真面目に主張するクロを一蹴し、勇司は鳴神に向き直った。
「とにかく、あいつと婚約するのは嫌だ。もし俺の能力とかに不安があるっていうなら、俺は真面目にレベル上げするつもりだからな!」
そう啖呵を切った勇司に鳴神が提案してきたことは二つだった。
まずはこの世界の情勢についてある程度把握すること、二つ目は魔力をある程度扱えるようになることだった。
魔力を扱う練習として渡されたのが魔力電池だった。一気に魔力を込めてしまうと魔道具自体が爆ぜて使い物にならなくなってしまうので、ある程度魔力の量を調整しなければいけない。勇者の魔力量は膨大なので普通の魔法を練習するにしても危険が伴う。故に初歩の初歩からやれというわけだ。
普通は魔力量の細かい調整など教えないそうなのだが、覚えるとかなり効率よく魔法が使えるのでクロも魔法の力を上げる為に使っていたらしい。
「うーん……なかなか難しいなこれ」
「魔力量の少ない私でも大変でしたから、ユージ様はもっと大変だと思います。けど、最初よりずっとお上手になってますよ」
「そりゃ一日やってるからな……」
勇司は山の様に積まれた失敗して壊してしまった魔力電池と、まだ三本だけの成功を見た。道のりはまだ遠そうである。
「はー……ちょっと休憩するか」
「それじゃあお茶を準備させますね」
「うん、頼んだ」
クロは一度頭を下げると、外に待機している者に指示をしに部屋を出た。勇司はティーセットが置けるよう、テーブルの上に置いていた魔力電池をとりあえず片付けることにした。本当は外に出るのが一番気分転換になるのだが、今日だけは絶対に出るなと鳴神から言われている。
今日じゃなければいいのか? と尋ねると、鳴神は何故か意味ありげに笑っていた。また奴のいいように使われなければいいなと願うばかりだ。
「ただいま戻りました。軽食も用意してくれるそうです」
「そっか、助かるな。魔力使うと結構腹減るから……」
「魔力を使うのに慣れるようになれば、それもなくなりますよ」
クロはふふっと優しく勇司に笑いかけた。
まだ数日しか一緒に過ごしていないが、クロは本当に良い奴だと勇司は感じている。テオフィルスがつっかかってくる理由がクロの方に問題があるようには思えない。百パーセント向こうが性格悪いからだ。
「そういえばテオフィルスがクロのこと『名無し』とか呼んでたけど、あれなんでなんだ?」
ふと気になって勇司はクロに尋ねた。最初にテオフィルスはクロに向かって名無しと確かに呼んでいた。
「そのままですよ。私は戦争孤児という奴で、親が名前を付けたのかすら分からなかったんです。昔はそこの黒いのとか、犬っころとか呼ばれてたんです。クロというのはトール様が付けて下さったんです」
「へ、へー……」
それは名前を付けたのに入らないんじゃないか?!
クロは良い話っぽく言っているが、勇司には適当に名前を付けられたようにしか思えなかった。というか「黒いの」とか呼ばれていたのに「クロ」とつけるのが酷過ぎる。
「あっ、いや誤解しないで下さいねユージ様」
勇司が心配しているのが顔に出ていたらしく、クロが慌てたように弁明を始める。
「戦争孤児なんて、こっちじゃよくある話なんです。それにユージ様が居た世界の言葉を名前にしてもらうのは古い祝福なんです」
「祝福?」
「はい。古いまじないの一種に古代語を使うというのがあるんです。この名前を付ける時トール様は何にも染まらず、自分を貫ける強い存在になるようにと言ってらっしゃいました」
クロが言っていることが本当か嘘か、勇司には分からなかった。鳴神が面倒臭がって適当に名付けた可能性がなくなったわけではない。しかし、クロにとっては良い思い出になっているのだからそれもまた一つの事実なのかもしれない。
「クロが鳴神に出会ったのでいつ頃なんだ?」
「えっと……十歳は超えていたと思います。ちゃんと数えていないので正しい歳は分からなくて」
「それって何年前だ?」
「五、六年前です」
「五、六年……」
体格が良いので同い年か年上かと思っていたが、もしかしたらクロは自分より年下なのかもしれない。というか鳴神は一体いつからこっちに居るんだ?
それはいくつかの疑問が払拭され、新たな疑問に勇司が出会った瞬間だった。




