シルフィウム
小さな拳が勇敢にも巨漢へ向かう。
単純な質量では弱く頼りない手、だけどそこに宿った魔力は視認性を持つ程に膨大だ。包み、循環し、柔らかな拳を容易く岩をも砕く脅威へと至らせていた。
アイリスの真に渾身ともいえるその一撃は――されど金剛石を砕くにまでは至らない。腕で軽くいなされ反撃に弾き飛ばされた。
アイリスは地を転がるが、即座に気負う事なく起き上がり、へこたれる事もせず再度殴り掛かった!
(……本気ではないにしても凄いですね……。)
武器なしで戦う経験なんてそうないだろう。そんな状況にも関わらずかなりの根性だ。あれだけの相手に対してこれ程まで長く立ち向かってるのだ、もしかしたら耐久面ではバルクより上かも知れない。
流石は獣人の多く住むアルパインから留学して来た貴族というべきか、その神掛かった身体能力と精神性は天性のものなのだろう。
戦う武王とやらもどこか楽しげに見える。戦闘と言うより、まるで才能ある娘に武術を教える男親のよう……。
(――……村を滅ぼした癖に。)
魔力を整える瞑想をしながらそんな事をふと思う。恨めしい憎らしい気持ちは確かにありはするがどこか現実味がなくて形に成り切らない。
村どころか、数多くの町をも滅ぼしてる紛う事なき豪傑にも関わらず彼は、なんと言うか――そう、人間らしいのだ。
聞いた姿と違いはないし、最初に名乗った名前も知ってるのと同じ。そもあの神の如き武威は本物だと何よりもの証明だろう。
多くの戦場を経ていなければあの深き海の如く広い威圧感を持つ事など到底出来るまい。
確信はあった。それでもなお心が定まらない……わかってしまう。単純な話、それは単に彼が――邪悪ではないからなのだろう……。
やった行いに悪い所はあれどそこに悪意を感じ得ない。流れる気功は荒々しけれど精錬そのもの、あれで悪人はどだい無理がある。
なれば武人と称するのが正当だろう。憎き悪漢など本で見ただけの幻で、過去の事象も今の行いも多々ある戦いの中の普遍的な一幕でしかないのだ。ただ領主に駆り出されただけ、そんな当たり前が嫌でも考え付いてしまう。
(………なんで、なんですかね。恨めしいから復讐するでいいじゃないですか……。)
自虐するように下唇を噛む。もしも復讐の相手が表れたのなら、その時は感情に任せて殺しに掛かると思っていた。それがいつも見る悪夢の答え、過去に置いてきた人達への弔いになるだろうと。……でも――
(――それは答えとならなかった。……なら、、、それがしはどうすればいいのですか……。)
言葉に出来ない感情が胸を締め付け叫び出しそうになる。
過去の自分だったら耐えてなどいないだろう。幼い自分なら疑問を感情で掻き消して、がむしゃらに武王へ殴り掛かって行っていたに違いない。なのに、何故……? ――ふと、なんとなくバルクの姿が脳裏に過った。
「あ……。」
――ああそうか、うつったのだ。あの感情的に見えて考え過ぎる性格をずっと見てたから、馬鹿だなと思いながらも真っ直ぐ芯のある生き方が羨ましかったから……。
自分とどこか似てるのに、それがしとは真逆な背中を。過去に後ろ髪を引かれながらも前を向いて――そればかりかこっちに手を伸ばす不器用さが――燃え盛る過去への身投げを優しく防ぐ。あぁ、これじゃあ……
―――思考の停止はもう出来ない。
「恨むですよバルク。」
瞑想が終る。無色だった魔石は自分の色――深い紺色に染まり身体に良く馴染んだ。
腹は決まった。それがしの願いは見たことも無かった仇に復讐する事じゃない。そんなところまでいってない。
滅んだ村のことすら伝聞でしか知らないのだから。だからまずは―――悪夢のその先を見に行こう。
「その為にも、ここは勝つですよ……!」
前を向いて目を細める。大きく息を吸うと、魔石を握り締め、気合いを込め詠唱を紡ぎ初めた。
***
吹き続いていた風がとんと止み、図ったかのような静寂が会場を包む。
呼吸を整え様と意識すると、ふと他方からの視線を強く感じた。
――観られている。避難してない事を鑑みるにおそらく王様やその関係だ。おそらく、大男と小娘が拳を向き合わせているこの状況、この不利極まりない現状で勇者がどう活路を見出だすか否かで注目の的となってるのだろう。全く、悪趣味な事で。
……息を吸う。魔力を身体を包む様に循環させ整えると、ため息を吐く様に大きく吐き、依然として揺らぐ事なく立つ大壁を強く睨む。
それを見てか、武王は変化の薄い表情を少し歪ませ――おもむろに拳を振るった。俺は跳ねるように拳の線上から飛び退く……緊張にひとつ息を呑んだ。
「限界か?」
「いや、ぜんぜん。」
虚勢ではない。気が抜けない戦闘を続けていた為か感覚がどうにも鋭敏になっている。まるで目が増えたかの様だ。俯瞰した様に周囲が理解出来る。気のせいか魔力の操作が巧みに、身体の動かし方が巧妙になった気さえした。
訓練の結果が土壇場で花開いたのだろうか? いままで本番に強いということは無かったが現在の俺は違うと言うことか。
そんな極まった集中状態で何度かの攻防を繰り返し、一つわかった事がある――……これ攻撃すんの無理だわ……。
実力差云々の前に、身長差、所謂リーチの問題だ。剣を持ってすら攻撃することは至難だったと云うのに、身長差が五十センチ以上とあっては、二歩、三歩と相手の間合いに踏み込む必要があった。
(……いや無理じゃん。武王さんちょっと背丈を下げてくれません??)
ふと同じ丈になった武王を想像してみようとするがぴんとこない。かわいらしさの欠片も無いからだろう。ばからしくなって中途半端な妄想を投げ捨てる。なにはともあれ――今のままでは不利だ。戦い方を変える必要がある。
おもむろに拳をほどくと、ボクシングの構えを雰囲気で真似した踵を浮かせた体勢を取り、脱力して前に出した。
「構えを変えるか。どれ、今度は幾許かはましだと良いが。」
「五月蝿い。わざわざそんな威圧感たっぷりで聞くなよ、どうせ試せばわかるだろう? こっちも試行錯誤してやってるんだし、御託は無駄だ。
………というかなんで私なんだ? 他に才のあるやつなんていくらでも居るだろうに。」
「ふむ。」
ふと思った事を口に出す。バルクとかグリムとかは伸びしろ凄そうだ。二人以外でも近接戦闘なら武術校の生徒が、魔術においてはアルシェとクズハさんが優秀だろう。
どちらも中途半端な俺を気に掛ける理由は弱い気がするが? ……前半戦はほぼあの剣のお陰だしな……。
「底が計れぬ。興味を持つにしかる理由だろう?」
「――っ!?」
会話のついでとばかりに、まるで力んだ様子もなく試すように重い拳を振るう。
虚を衝く拳撃、だが二度目だ。気を抜いたつもりはないぞ……!――ここだ!!
集中。拳の軌道を直感的に理解すると、先回りして軌道上に手を置いた。
そして、叩き付けるような武王の拳を掴み取る。
「ぬ。」
柔道、いや合気の技が適切か。振り切る前、力の乗り切る刹那の拳を脱力した手で掴み取ると、引っ張り込む様に受け流した。それでもサンドバッグをそのまま叩き付けられた様な衝撃が走り抜け、腕を軋ませる。
受け止めては駄目だ、直撃を受けそこねれば即座に骨を砕かれるだろう。
たが――これは防いだぞ……!
流しきれなかった衝撃を身体に伝わせると、人体で最も長いリーチを持つ部位――足に乗せて蹴り放つ!
「てぃやぁ!!!」
本当かどうかは知らないが足の筋力は腕の三倍らしい。それに武王本人の力を僅かにせよ加えれば流石にダメージがあるだろうと、願いを込め鳩尾へつま先を差し向ける。
幸いな事に俺という小柄な者に拳を放ったせいで武王は軽い前傾姿勢となっている。カウンターで大きなダメージを見込める……筈だ。
そんな思いを込めた一撃は――空いていた左手で雑に掴み止められた。……あ。
「は、離せ!?」
「よかろう。」
そのまま宙に持ち上げられ強い風圧が襲う。視点が一気に高くなり――地面が迫る!?
――激突。とてつもない衝撃が身体を襲い、全身から息を吐き出した。砂煙が高く舞い上がり、意識が遠く、暗くなる。
「ぐっ、、、はぁっ……。」
「頑丈なやつだ。だが限度もあろう?
そら、起きぬと死ぬぞ?」
「……ぐぅっ――!?」
明滅する意識を精一杯繋ぎ止め、仰向けに転がると、すぐ真横を太い足が踏みつけた。
気合いだけで身体を動かすと、跳ねる様に立ち上がる。
「……ぜぇ、ぜぇ……ごほっ!」
頭がふらふらする。酸欠だ。酸素を求めて、肺が心臓が命を繋げる様に早鐘を打つ。ヒューヒューと喘鳴が嫌に五月蝿い。
目眩を起こしたのか眼球が意思に反して微動して焦点が定まらなく、疲労が来たのか足が小鹿の様に震え、立っているのすらやっとだ。
だけど――
「――さあ、期待はずれか?」
熱い。
全身に火が着いた様に熱い。まるで酷い風邪をひいた様、新陳代謝が馬鹿みたいに活性化し身体を燃やし尽くす。
集点が定まらないにも関わらず敵の姿が、やけにくっきりと焼け出されている――
満身創痍の俺へまったく容赦する事もなく武王は拳を降り注ぐ。今までで一番速く強力な拳撃。それは――今までで一番遅く見えた。
――眼前へ迫るそれに、俺はおもむろに焼けた左手を向け。
「“燃えろ”―――「浮かべ!『風綿毛』!!!」――うぇっ!??」
――ふいに重力から解放される。まるで浮かんでる様な不安定な足どりに戸惑い、もとから冷静でない頭が更なる混乱で完全に停止した。そんな状態のまま武王の拳にふんわりとまるで綿毛の如く殴り飛ばされる。
「ぐお!? え?な、なんだ……!??」
「――しゃべんな、舌噛むぞ!」
地面に落ちる寸前、更に誰かに引っ張られた。そのまま荷物の如く小脇に抱えられる。混乱極まる視界に半分が毛皮に覆われた足が見えた。
「バルク!?!?」
「おう、お疲れさん! すごかった……って、熱っ!? お前、身体どうなってるんだよ!??」
「知らん! そんな事より何がどうなって……!?」
そうとう熱かったのか一瞬驚いて飛び上がったが、やせ我慢する様に涙目で走る。
――その隣を岩石が通り抜けた。
「あぶねっ……!?」
「――横やりがいった。……逃げれると思うてか?」
「はっ、逃げるんじゃねぇよ! 避難するんだ!!」
「ぬ……?」
逃げる二人を追おうと踏み出した足が水を踏む。待ってましたといわんばかりに一瞬で纏わり付き、一息で渦を巻く水底まで引きずり込んだ。
武王は気迫で振り払うも、即座にまた水に纏わり付かれる。
「“水よ至れ 呪いと成りて呼び掛けに応じよ 水霊 冥府 沼底 彼の者を引きずり落とし 永劫の静寂へ誘え”
……魔力の全部、全開を喰らうです!!!『永粘執水!!!!』」
「小癪な。ここに至って足止めなど……!?」
「……――“雷よあれ 雷は滅びの印 天の女神の拒絶なり”」
――一瞬にして暗闇が辺りを包み込んだ。まるで夜の帳が下りたかの様な暗転。手指すら視認出来ない程の暗闇。空を見上げると、光を呑み込む様な黒雲が重く覆い被さっている――!?
「おいバルク! なんか暗くなったぞ!? いい加減説明を――」
「――知らねえんだよ!避難させろってだけで……はっ、なんだよこれは……まさか……?」
「バルク?」
揺れが止まる。暗くてわからないが走るのを止めたのだろう。聞こえる声はどこか呆然としていた。
気になって更に問いただそうとしたが、その前に武王がぽつりと呟く。
「――大魔術。
馬鹿な―――」
大魔術。その名がいやにしっくりくる。なにせこの暗闇だ。おそらく会場どころかソドム全体を覆っているのだろうから。例えどんな巨体な台風であってもこんな暗幕を落とした様な暗闇を作り出せまい。
そんな暗闇の中で、ひとつ、星の如きが産まれた。街灯へ群がる虫の様に釣られ無意識にそちらを向くと、少女――アルシェがその光を包むように手を添え、捧げる様に空へ打ち上げた。
――直後、黒雲に無数の稲光が走る。
「“私は神の巫 天と人の架け橋なれば 天にまします我等が母よ その名を忘却せし咎人に紫電の戒めをもたらしたまへ”」
「――なんという……いったいどれだけを犠牲にするつもりだ……!」
天を仰ぐ。既に暗闇は晴れた。雷光が青白く標的を照らし出す。蓄える様に幾重もの電流が走り抜け、遂には溢れるが如く雷轟が轟いた。
詠唱が完了する。――ここに来てやっと理解した。あれは交流戦で見た広域殲滅魔術、その上位互換だ。
「……期待はずれが過ぎる。こんな駄策とはな。」
「酷いね。これでも精一杯の策なのに。」
失望を隠す事なく吐き捨てる武王へ、いつの間に近づいたのか、ジョンが肩を竦めて返す。
「避難を行ってたのを知っている。それにお主らが加担していたのもな。
その苦労をかなぐり捨てるなど思いもしない。奇を衒うのなら叶っていよう、だがそれも結果が伴わなければ無為と変わらぬ。民草に要らぬ犠牲を払ってまでご苦労な事だ。」
「お、珍しく饒舌だね。」
「茶化しおる。分からぬなら教えてやろう。分散した魔術ではこの身に届かぬぞ?」
武王の言うとおりだ。あれが交流戦で見たものと違わないなら、それは辺り一帯に雷を降らせるものとなる。総合してみれば破格の威力であろうが、単発ではあのヴラドの一撃を越えれまい。
そんな軽症に対して被害は甚大。バルクの危機迫った表情から見ても街が大きくダメージを負うのは確かだろう。
――ジョンのやつ、いったいどうするつもりなんだ?
「そうかな? その仙人術だったかは周りの空間から力を得てるんでしょ? なら、辺り一帯を破壊すれば無傷とはいかないんじゃない?」
「ふん、知恵の浅い。無駄だと何度言えば良い?」
「あらら、手厳しい。」
その言葉に嘘はないと証明するように、身を焼く程の猛烈な覇気を叩き付ける。直接ぶつけられた訳でもないのに身を振るわせてしまう程に強烈なそれを、我関せずとジョンは受け流し、それどころか何かを探す様に懐をまさぐりだした。
「雷は稲妻とも言うんだ。雷が降る日は植物が良く育つらしくてね? それから付いた名前らしい。」
「それがなんだ?」
脈絡の無い話題変換。武王の問いに返す事なく、ジョンはそのまま一方的に話続けた。
「びっくりだよね。神の怒りなんて恐れられてるのに、所かわれば豊穣の恵みだなんて崇められる。」
「だから、それがどうしたと言う!」
しびれを切らして進もうとした武王を、水の手がより一層強く引き留める。
やっと目的のものを見つけたらしく、懐から瓶を取り出した。摘まめる程に小さな小瓶だ。中に植物の種の様なものがひとつだけ入っている。
「あったあった。
ん、待たせたね。」
パチン――指を鳴らすと、それを合図にアルシェが最後の祝詞を口にした。
「“やきこがせ”『大雷天雨』」
「――ああ、止めぬのか。」
「もちろん。」
黒雲に膨大な魔力が渦巻く。雷光が秒毎に光を増す。賽は投げられた。あと数秒とせず光が全てを焼き焦がすだろう。
「ひとつだけ、否定させて貰うよ。
――この僕が、民を犠牲にする訳が無いだろう? 他ならぬ王の御前で!!!!」
いつもの飄々とした態度を崩し、怒声を吐き出す。
「王が国を守るなら貴族は何を守るのか!
それは人、文化、文明だ! 我らがバンニの祖先は花こそがその最たると見出だした!!」
余暇が終わる。黒雲は充填が終わり、極太の雷槍が幾重にも顔を出す。
この世の終わりの様な光景。破滅の空へ向けてジョンは抵抗するように小瓶を投げ付ける。
「平時に置いては心を豊かにすると、戦時に置いては心を癒すと……!!!!」
無差別に降り注ぐ稲妻は、それこそが最たる脅威であるというように―――総てが小瓶へ矛先を転じた。
「これぞ風の王国ヨーゼフを護る貴族の証明。国の門番たる――『バンニの花!』」
街を覆う黒雲総てから雷の線が小瓶に集まる。それはまるで花弁の様に、暗く染まる大空に雷の花を織り成した。
小瓶が蒸発し、中の種が消し飛ぶ。力の行き場を失った雷塊は次の標的へ矛先を向ける。
「厄災を打ち消し花と成す。異国の武人よ、大輪の花を賞味あれ!
……ああそうだ。雷って高い所に落ちるらしいよ? 身長高いっていうのも大変だね?」
「ちぃ!」
避けようにも水の魔術を振りほどく程の余暇はない。両腕を頭上にクロスする。身を丸め防御姿勢を取った武王に――大雷が振り落ちた。
「ぐ……ぐぉおお!!!!」
激しい光と音が鳴り響く。地面が焼け焦げ、オゾンの臭いが鼻を衝く。もはや雷柱とでも呼ぶべき極太の雷の束が、武王を覆い隠す――
雷光が止まり、役目を終えたように黒雲が晴れて行く。一瞬でも余裕で致死量の雷撃。それをたっぷり十数秒も喰らってなお、、、―――武王はそこに立っていた。
「……これは、参ったね。想定を越え過ぎだ。」
――そんな馬鹿な、あり得ない。そんな思いを嘲笑うかのように、後ずさるジョンの前方で武王が白煙を切り裂いた。
さすがに無傷とはいかなかったようで身体の節々から煙を上げているが、歩く姿に支障は見られない。軽症なのだろう。……あれ本当に人間か?
武王はジョンの前で足を止めると、その高身長で見下ろした。
「見事だった。で、次の策はあるのか?」
「や、無いね。魔力も空っぽだし僕に出来ることはもうないよ。完敗だ!」
「そうか。」
数秒確かめるように顔を見合わせると、武王はジョンの横を通り抜ける。
「残念だ。」
 




