好奇心
剣を媒介に生成された暴威的なまでの風を、乱雑に吹き荒らし駆ける。
試しに属性魔装をしようとするがすぐに維持出来ず拡散してしまった。相変わらず剣を介した風の魔力を使うとどうにも上手くいかない。そもそもの属性魔力を使う難しさはあるが、どうも磁石同士が反発してる様な感覚だ。
身体に向けて風を吹かす事は出来るのだが、いざ纏うとなるとまるで嫌がる様に肌から魔力が離れていく。
(……ちっ、やっぱり出来ないじゃないか! ジョンのやつ適当言いやがって……!)
走りながらも内心で悪態をつく。そんな事をしてる間にも武王の前にたどり着いた。たどり着いてしまった……。
「……二度立ち塞がるとはな。よいぞ、抗ずる手立ては得たか?」
「いいや全く。考えても利口なやり方など分からないからな―――まあ取り敢えず戦ってみようかなと。」
「無謀だぞ。」
「――分かってるよ。」
本当に無謀も無謀だ。ぐうの音も出なく肩を竦める。
だけどそれは武王にとって満足のいく答えだったようで表情が僅かに緩む。それがなんだか癪に障って、消し去るように風纏う剣を振り下ろした。
*
アイリスが武王と対峙した同時刻、ジョンの元に半獣の少年が駆け寄った。
「――ジンのやつは隅に避難させたぜ、睡眠薬でぐっすり寝てる。」
「助かったよバルク。ジン、あのままじゃ心を壊しちゃいそうだったからさ。
……彼はがんばり屋だけど気弱だから、普段なら応援したくはなるんだけど今回ばかりは相手が悪すぎるよ。」
武王とアイリスの方から目を外す事もなくジョンは肩を竦め返答する。
ジンは心が折れ、まるで芯が抜けた人形の様に平衡感覚を失っていながらも……それでも義務感だけで起き上がろうと足掻いていた。あのままだとジョンの言うとおり心が割れて精神に大きな傷を負う事になっていただろう。
あいつの意思に反した行動ではあるが渡された睡眠薬を飲ますのに躊躇いはしなかった。
(後で謝らないとな……。)
ジョンは何か小声で呟いたかと思えば指示をしたり魔術を放ったりと、とても忙しそうだ。クズハとアルシェの二人も詠唱の為か集中しておりそれを守るようにチェルシーさんが弓を構え、たまに矢を射放っている。
――不意に岩塊がこちらに向け飛来してるのが目に入った。
気付くと同じに射線上に飛び込み獣化した腕を振い打ち砕く。どうやらちょっかい程度のものだったらしく少々際どいが十分対処可能だ。
「よっしょ……!
ジョン、俺はここで二人の護衛をしとけばいいか? それよか武王に攻撃を仕掛けた方が良いってんならそうするぜ?」
「いや、どっちも大丈夫。それよりは……――足下、踵よりに三射! チェルシーさん!」
突然の鋭い声に反応し、チェルシーさんが矢を即座に三本射る。
矢は武王の動きを阻害する様に三本とも足付近の地面に突き刺さった。
「学生、人使い荒い。
……あれ、というか別に聞く必要無いのでは。」
「雇うよ。内容に関わらず金貨三枚、成果報酬で追加十枚でどうだい? もちろん矢や装備の修復費なんかは別途で用立てるよ。」
「……さっきの無し、私ばりばり言うこと聞く働き者。
王さま、標的はどこ?」
無表情ながらどこか瞳を輝かせる。どうやらやる気を出したらしい。
現金な事だがまあ分からない話ではない、金貨は一枚でも結構な大金だ。それが十三枚となれば一般家庭の一年の稼ぎにも匹敵する。
それをポンと提示されれば奮起するのもやむなしだろう。
「……お、王さま? ………はぁ、学生から随分むちゃな出世な事で……ジョンでいいよ。」
「わかったジョン君だね。」
「……ああうん。そう、それでいい。もう完璧だよ、うん。」
チェルシーの自由な態度に、ジョンは少し疲れた様子だ。どうやら彼は彼女の事が少し苦手らしい。
「……大変だな。」
「ん、ごめん話途中だったか。バルク、身体の調子はどうだい?」
「“半獣”までなら万全だ! バリバリ働くから何でも言っていいぜ?」
ジョンの気遣いに励ます様に元気良く返す。
実際、魔獣化までしたにも関わらず異常に程に身体は軽い。おそらくは迅速な治療が項を無したのだろう。
――だがそれはあくまでも比較的な話。もう一度完全獣化をすれば動けなくなると確信する程度には全身に突っ張る様な感覚が残留している。
「バリバリね……おっけ。そうだ、あの赤いのも無理な感じかい?」
「え、ああ。あれは完全獣化を暴走させてるだけだからな、今の体調じゃ自滅するだけだ。」
「ふぅん? まあいいや、それで頼みたい事なんだけど――」
ジョンから作戦を聞く。やることは至極単純だ。聞き終わるとすぐに行動に移す。
……にしても何で魔獣化に言及して来たんだ?
確かに違和感はあるだろうが、専門家や獣人でなければ見て気付く程の変化でもない筈だ。
それ以前に特に問い詰める感じでもなかった。
……赤いやつが使えるか、か。
不可能だ。考えるまでもなく負担が大き過ぎる。だが―――
「……」
少し胸に引っ掛かるものがありつつも、身を低く、音を殺す様に大地を駆け抜けた。
*
丸太の様な豪腕を風に流される様に躱し、反撃の剣を振るう。
狙いは腕だ。本当は胴体を狙いたいところだが如何せん距離が遠く、潜り込むにはリスクが勝ち過ぎた。
風を高密度で纏いまくった剣での切り上げは、金剛石の如き硬さの腕を撫でるだけに終わる。
成否を悔やむ暇などない、背後から迫るニノ腕を前に転がり込みくぐり抜けた。
即座に起き上がるが眼前に蹴り足が迫って来る。避けれる余地は既に過ぎ去った。致命的なその攻撃を――合間に飛び込んだ矢が射殺す。
一瞬の猶予に急ぎ離れ体勢を整えると、すぐ真横で竜巻の如き巻き上げる様な蹴りの風圧が通り抜ける。
「くっ、はあ。いつまでも続けれないぞこれは!?」
『(まあまあ、がんばってアイリスさん。ほら、上くるよ? しゃがんでね。)』
「ぬお!?」
剣から、正確には剣の柄頭に付けられた石から聴こえる声に沿ってしゃがみ込むと、頭の上、紙一重を蹴り足が通り抜けて行った。蹴りの圧力に押され尻餅を付く。
地に手を付き起き上がろうとすると―――大きな影が身体に差した。
冷や汗が背に流れるのを感じる。剣を強く握り締め恐る恐る顔を上げると、見下ろす視線と目が噛み合う。
威圧感たっぷりな目を細めて武王は口を開く。
「――奇妙だな。」
「……何がだ? ここまで避ける事か?それともお前が追撃をしないで話を始めた事がか?」
「無論小娘、其方だ。」
俺が? いきなりなんだって話だがこちらとしては好都合だ。呼吸を整える時間が稼げる。
「人を指して奇妙とは。はっ、酷いな。」
緊張に飲み込んでいた息を吐き出す。――ジョンの指示は正確だ。俯瞰からの視点、それに心を読むかの様な観察力が合わさった未来視じみた動作予知。それに指示や援護の魔術、射撃を噛み合わせる指揮能力。
その結果を奇妙と称するなら分かる。俺だってこれを相手にやられたら気持ち悪さを覚えるだろう。だが、この男をそれを気にも留めず俺個人をやり玉に上げて奇妙だと断言した。
「……これでも自分は平凡寄りだと思うんだがな?」
時間稼ぎの為なんかじゃなく本心でそう口にする。
そう、勇者とか訳の分からない存在ではあるのだが現時点で俺は平凡だ。
こうして対峙出来るのはこの剣のおかげ、剣抜きの強さではこの会場内で下から数えた方が早い。
「武芸しかり、ただ生きるにしかり。動作には個人毎に特徴や独特なしこりを持つ。」
だがそんな俺の弱音染みた自評など知ったことかとばかりに、武王は滔々と語りだす。
「我は武王の名に恥じぬ程度にはそれを見た。その経験を持って断じよう――お主は“無”であると。
お主には武芸の跡どころか生きたしこりすら存在してはおらぬ。」
「……」
……武芸に身を置いた者は拳を交わす事で相手を深く理解するという。映画や漫画の話のようだが武の王と呼ばれるまでに至ったこの男ならそれが出来てしまうのだ。確信の籠った意志を感じられる。
何か言い返そうとするが……どうしてか何も言葉が出てこない。
「特異な才能、代を重ねた研鑽と思えば理解は出来よう。その才覚は凡人を遥かに越えている。
だと云うのにお主は恐怖心で身を固めたふりをする。まるで只人かの如く。
――これを奇妙と称さず何とする。」
武王は動きを止め、それだけが目的かの様にジロリと見てくる……ああ、それ程に彼にとって俺という存在が奇妙なのか。
その疑問は、その不調和は、俺の転生という普通ではあり得ないものの結果なのだろう。
……いや、そうではない。そんな事など武の王が気にするものか。理解してしまった。彼は単に―――何故お前はそんなに弱いのだと問うているのだ。
「もしや記憶を失っているのか? ならば不可解な現状に納得も出来ようが。」
「……さあ、どうだろうな。失くした記憶が無いと断言する事は難しい。誰だってそういうものだろう?」
……転生で納得させてはいたが俺に失くした記憶があってもおかしくはない。もしかしたら俺は赤子として産まれ成長し、アイリスとして育った記憶があったとしてもなんら不思議はないのだから。
召喚されたあの時までにどうやって身体が変化したのかは定かではない。死んだかのような記憶はあれど俺はあの世を見てはいないのだ。
「しかり。是が非かを問う等――詮の無い。」
「っ……く、ぁうっ……?!」
“無拍子”一切の予備動作なく放たれた掌底が脳天を打ち抜く。脳が揺れ、数歩後退る。慌てた様なジョンの声が一歩遅れて遠く聴こえた。
「――試せばよい。思考を越えた死力の果てにこそ合一を得るであろう。」
腕が軽い、吸いとられる様な魔力の鼓動が聴こえない。いつの間にか手の内から剣の感触が消え去っていた。
――託された筈のその剣は、いま武王の手に握られている。
「……魔剣の類いか、気味の悪い。」
「か、えせ……!」
平衡感覚がずれて上手く呂律が回らない。そんな俺の無様な威勢を意に介さず、後方へ剣を投げ飛ばした。剣は貼り直された結界を貫き無人の観客席に突き刺さる。
「慣れぬ武器など不要。拳を握るが良い――我が手ずから稽古をつけてやろう。」
「けほっ、な、何が稽古だ。余計な世話をやくなんめ随分とお優しい事だで、くそったれ。」
図った様に脳の揺れが収まった。逃げようのない状況に、アイリスとして普段出さない汚い言葉が口をつく。
覚悟なんて出来てない。相手はこれ以上無い強敵。心臓が早鐘を鳴らす音を聞きながら流されるままに拳を握り締める。
「………ぼこぼこにしてやる!」
「ふは、陳腐だがよい威勢だ。……そうでなくてはな。」
拳での拳闘以前に喧嘩すらしたこと無いんだぞ? ……もうやけくそだ!
覚悟を決めると、天と見紛う程の大男に向けて小さい拳をただがむしゃらに振り抜いた―――




