加熱
よし……覚悟は出来た。あとは行動するだけだ。
早朝、俺は衣装棚の前に立っていた。正確にはその横の布の被った鏡の前にだが。
外はまだ日が出たばかりで薄暗い中、俺は鏡を覆う布に手を掛けた。
いままで後回しにしてきたことだ。意志を強く持とうとするがどうしても恐怖で腕が震えてくる。当然だこの布を払い除けたら嫌でも自分の姿を見ないと行けないのだから。
今まではあまり意識しないように気を付けて来ていた。着替えの時も風呂入る時も意識して鏡を避けてきた。見るのが怖かったからだ。
考えても見てくれ、俺は俺じゃないんだ。身長体重、手や足の太さ長さ、果ては性別まで全て変わってる。そんなのが自分だと認識出来るのか?
どういうわけか自分の手足を見ても多少の違和感すら無いが、流石に姿を見てまで自分だと認識するかはまた別の話だ。
昔聞き齧った話では鏡に向かってお前は誰だ。と言い続けると気が狂うそうだし、それが嘘でも自分が誰か判らなく成るのは危険だ。精神が壊れかねない。
「とはいえ、すんなり受け入れられたらそれはそれで怖いけど……。」
弱音を吐いてても仕方ない、避け続けてもいつかは絶対に見る事になるんだし。それで恐慌したら場合によっては致命的な事に成り得る。なら、一人きりの今の間に確認して気休めでも慣れないといけない……。
「はあ。覚悟決めたと言ったのにいつまでくよくよしてんだよ俺……。」
――よし、なるようになれだ!
俺は一息に布を取り払った――。
はっと息を飲む。鏡に映し出されたのは琥珀色の髪を肩まで伸ばした東洋風の美少女だった。
金色の瞳が優しげで、鼻筋が通っていて口元がぷっくらとしている。年齢は若く見え、印象では十代半を越えることは無さそうに思えた。
試しに笑みを浮かべたら小さくえくぼが出来た。その笑みはかわいい感じで、見る人に人畜無害で優しそうな印象を人に与えるに違いなかった。
「……とりあえず忌避感は無いな、自分だと考えると変な感じだが……。」
見た感覚を例えるならば、ゲームでアバターを動かしてるみたいな気分だ。自分の生まれ持った身体では無いものの、間違いなく自分だと解る様な……。変な感覚だが写真を見ても自分だと解る程度の自分感?はある。これなら想定していた問題は起きないだろう。
「それにしても……幼いな……。」
俺はこの姿で偉ぶってたというのか……性格と見た目ずれすぎだろ……。
試しに王様を前にした時を想定して顔を引き締めてみる。すると途端に目の力が強くなり、口元が引き締まる。優しい気な感じが消え去り、反対にどこか冷たさを感じる空気感を纏った。
想定以上の変化に我が事ながら感嘆する。これなら拙い演技にも箔が伴うというものだろう。
安堵に息をつくと、途端に表情が弛み表情がほにゃっとした。
………
(これは……王子とバエルさんには演技してるのがバレてそうだな……。遅いかも知れないが気を引き締めなければ。)
いくら平時は厳めしい顔してても、こんなほにゃほにゃした顔を時折してたらもう……大人の真似してる子供にしか見えなく成るに違いないよな……。
* * *
「何?魔導学園? 私がか?」
朝御飯を食べ終え後の訓練に備えて食休みをしていると、メイドのマリアンナがそんな事を聞いてきた。
「はい! 国王様が魔法を学ぶならどうかと。アイリス様はこの国の事を知りたがっていましたし年齢的にも丁度良いですし、王都からもそう遠くは無いから移動も楽ですね! どうでしょうか!」
「ふむ……。」
いきなりだな……確かに色々調べたり出来、魔法を学べるのは利点だが……。
正直脈絡が無いしなんか裏がありそうなんだよな……いやまあといってもぱっと思い付くデメリットは無いけどな……俺の見た目的には違和感ゼロだろう。距離もそのくらい近ければ戻るにしても苦はないし。
「悪くは無いが……。どうしていきなりそんな話になったんだ?」
「それはですね♪ 国王様がアイリス様が魔法や魔族の知識を求めているのを聞いたそうで、それならばどうか?とのことです。
……ここだけの話ですが、密かに学園生活に憧れてたジョセフ様を護衛の名目でついでに学園に通わせる心積もりらしいのですよ♪」
「なるほど……。」
俺のついでというのは建前で、それが本題か。
何かしらの理由で学園に行けなかった王子を学園に通わせたい、という親心なら分からなくもないか? ……なんか別の理由もありそうだが……。
「まあ、拒否する理由は無いし構わんが……。」
「! 畏まりました! 準備がございますので、日時が決まりましたらまた追って伝えますね♪」
マリアンナは元気良くそう言うと止める間も無く足早に部屋を出ていった。
……
早まったかな?
* * *
「なに? 魔導学園がどんなとこか聞きてぇ?おれにか? 随分と藪から棒な話題だな……。それをどうしておれに聞こうと思ったよ人選間違えちゃいねぇかい?」
朝の模擬戦を軽く済ませ、次の魔力操作?訓練の準備をしているバエルに学園について聞いて見るとすっとんきょうな顔を返された。
「ああ、数刻前に学園に話を聞いてな。誰かに詳しい話を聞きたかったのだが……あいにくと私には知り合いが少ないのでな。」
俺が知り合いと呼べるのは三人だけだ、その中でマリアンナは忙しくしてるし、王子も用事があるらしい、邪推するなら学園関係のあれこれに忙しいんだろう。
それで今日はやっと護衛無しかと思ったが、そうではないらしくバエルが代わりに護衛をすることに成ったらしい。部屋に迎えに来たバエルの不服そうな顔が記憶に新しい。
「忙しくしてる使用人を捕まえて聞く程では無いし、ダメもとで聞いてみたのだが?」
「ダメもとってなあ……。あとおれも今忙しくしてるんですがね?」
不服そうに拗ねた顔を作るバエル。? 俺には何故かそれが少し寂しげに思えた。
「準備に忙しいは分かるが口は空いてるだろう?」
「違いねぇな……。はあ、まあいいけどよ?あんまり話せる事無いぜ? 通った事があるでも無いしな。」
「構わんよ。」
「へいへい。」
軽く返事すると思い出すように頭を捻る。
「……そうだな……お嬢の言う魔導学園は、王都から馬車で二時間程の所にある学術都市ソドムにある学園の一つだぜ。
お嬢に説明すると、ソドムは魔術を含む学問や王国剣術を初めとした武術を研究、進歩させるのを目的としたとこでよ、何代か前の王様が造ったんだとよ。
でだ。ソドムには学術、魔術、武術をお題目にした三つの学園があるんだがその一つがお嬢のいう魔導学園ベリアルだな。魔術を学ぶならこの国で一番良い場所だろうが……。もしかしてお嬢、興味があるんで?」
おお……思いの外詳しいやんバエル……。王都から近いからか? それともそれだけ有名な所なのかな?
「ああ、興味が無いではないんだが……。
――実は王からの要請で今度通うことに成りそうでな……。」
「えぇ!? ほう!? あー、それで……なーるほどねぇ……。」
バエルは思わず作業の手を止めて驚愕するが、少しして納得するかのように嘆息した。
? どうしたんだろうバエル、なんか少し嬉しそうなんだが。もしかして俺が居なくなって清々するとか?だったら拗ねるぞ?
「にしてもお嬢が学生ねぇ。お嬢は国元離れて身内もないんだし、同年代が多い学園に行けんならよかったじゃねぇか。」
同年代……。成人前って意味ならそうだが俺本当は十八才だぞ? それだと逆に肩見狭いんだが……。その年頃の女子に馴染める気がしないぞ? 俺の学生時代とか勉強三昧で女友達が居たことすら無いからな……。
てか勉強どうすんだ?
「そうか? 今朝いきなり決まったから私は大いに不安なんだがな……知らない場所は好かないし勉強について行ける気がしない。」
はぁ。まーた勉強地獄に成りそうだな……。勉強は嫌いでは無いが俺はこの国の知識どころか文字すら知らないんだぞ?
うっかり了承したが早まった。そこんとこどうしろっていうんだ……。
「………そりゃ災難だったな。まあ勉強とかその辺は心配要らんと思うぜ?王から行けってんなら多分免除される筈だ。」
あー確かに。行かせておいて成績不振で退学とかはさせないか。
「そうだとあり難いんだがな。」
「ダイジョブだって。ほら、それより準備出来たで始めんぞ!」
そう言うバエルの前には机が置かれ、その上には色とりどりの玉が並んでいた。
「それは?」
「魔宝玉だ。こいつは観賞用の石だが手に持つと共鳴して魔力を活性化させる効果がある。といってもほぼ効果は無いなようなものだが魔力を実感する助けにはなるだろうさ。」
「なるほど、では複数あるのは何故だ?」
「相性があるんだよこいつにはな。全く無意味にはならないが相性が悪いと効果も弱く成るんだよ。あっ、だからといっても全部一遍に持っても意味無いかんな? まあ難しく考えずとりあえず全部順繰りに触ってみな。」
ふむ、ならとりあえず一つ触って見るか。まずは、赤からかな?
……お?おお?なんか暖かい……。
面白いな、緑は……涼しい? じゃあ青は……冷たい……。茶色は柔らかい感じだし、白は刺す感じ、黒は重い?
「変な感じだな……。」
「おっ?その様子なら効果ありだな! 効果があったので好きなのを持ってくんな。」
じゃあ……赤かな? 俺は赤い石を持ち抱えた。
「赤か。ほんじゃあ、その感じ取った魔力が全身を満たすようにしてみな? こつは考えないことだ。」
言われた通りやってみる。
石を抱えた腕を中心に広がるこのぽかぽかした感覚を全身に拡げればいいんだな、よし。
そこまで難しくは無い、意識すればそのとおりに暖かい感覚が全身に広がって行く。途中少し抵抗があったが、そこを越えたらあとは地面が水を吸うが如く広がった。
「出来た。」
全身がぽかぽかする。まるで風呂上がりのような感覚だ。錯覚だが湯気が立ち上がってる気さえした。
「早いな……おし! じゃあそのまま軽く模擬戦だ!剣を持ちな、出来る限りそれを維持しながら戦うんだ!」
そう言うや否や斬りかかって来た。
「はあっ!? うそお!」
なんとか剣で防御が間に合ったが危なかった。
――てか今の脳天直撃コースだったぞ!?手加減しろや!?
「おっ!よく防いだな。じゃあペース上げてくぜ?」
「手加減はしてくれよ?」
「当然、だ!!」
力強い横凪を剣で防ぎながら後ろに飛ぶ事で受け流すが、思わぬ威力にたたらを踏んだ。
――っ!さっきの模擬戦よりパワーが上がってる!?
体制を立て直したいがバエルはそれを待たず距離を詰め二度目の唐竹割りを見舞った。
――避けられ無い、受け止めるしかない!!剣の峰に手を添えて全身全霊で受け止める!
ガアン。と金属音を響かせ、足を滑らせながらも受け止める。
バエルはその上から押し込もうと更に力を押し込めた。
――おっ重い……。
なんてパワーだ。こっちは両手で横持ちだというのに完全に力負けしてる。押し込まれるまでにそう時間は掛からないだろう。
――何か手は無いか……? そうだ、魔力……。
今まで忘れていた魔力を瞬時に身体から吹き上げ腕に載せる。
すると腕が少し軽く成り、少々の余裕が出来たのが分かった。
――こ、こ、だ!!
素早く身体を曲げ、空いた余地を十全に使い重量挙げの要領で剣を押し上げる! そしてその勢いのままに後ろに飛んで距離を取った。
「おうぁ! その調子だ!魔力を維持しつつ、力を込めたいところに集中させるんだ!」
「むっ、ずぃ! 出来るかボケ!」
俺は背を丸め身を低くすると、動画で昔見た瞬地の要領で滑るように接近する。
少しだけわかってきた。魔力操作はイメージだ――なら俺は暖かい魔力を火に例えよう、魔力を纏う姿は火だるまだ。全身が火なら俺はさながら火の化身だ、陽炎の様に動き燃やし尽くしてやれ!
「おらぁ!!」
イメージの炎を剣に叩き付け、腰だめに構えて突き込む。狙いは鎧の隙間だ!!
「喰らえやぼけぇ!!」
俺の人生で最速の突進は、バエルが軽く身を翻しただけで躱された。
「どうしたいきなり!? 口調怖ぇよ!! 怒ってる?! 怒ってるのかお嬢!?」
「避けんなてめぇ!!怒って無いから当たりやがれ!!」
ならばもっと早く! 速度重視で連続で切りつけるが軽く防ぎ逸らされ避けられる。
「悪かった!不意打ちしたのは悪かったから! その変な動きで鎧の節々を狙うんじゃねぇ!!」
ちっ!!当たんねぇ!!なんか今なら攻撃が通る気がするんだがな!!
「あっ、もしやてめぇ魔力酔いしてんな!? おい!さっさと魔力込めるのを止めるんだ!」
「了解。てめぇを殴ってからなぁ!!」
「落ち着けぇ!?」
くっそ当たんねぇ!? かつてないほど身体が動くのに当たる気がしねぇ、どうしてだ!?
斬りかかる。蹴る。殴る。掴み掛かる。バエルが戸惑ってる隙に出来る限りの攻撃をするが、全て防ぎ、避けられ、逸らされる。
まるで空気を切りつけてる感覚だ。当たりそうで当たらない。
「あ~!うが~~!!」
あたらねえ~よもうイライラする! あ~、~~こうなったらやけだ!!
――魔力を手足に集める。擬似的な炎がどんどん強まっていって、無いはずの炎の熱が痛みすら齎し始めた。
身体を傾けて体重移動を軸とした走法で詰め寄り、魔力を込めた足の力に左手を背後に振るい、全速力を込めた突きを放った!
避けにくい胴体の中心点に向けて全速力の突きだ!喰らえやぼけぇ!!
音速に届くかと思える先端速度で剣先が突き進む、が――
「しゃらくせえ!!」
――バエルは時間を加速させたかのように急加速をすると拳を固め、迫る剣先をぶんなぐった。
「はあぁっ??!?」
――とてつもない衝撃が剣先で爆ぜる。剣が衝突に耐えきれず捻れ折れた。
「いい加減落ち着け。それじゃあおれには勝てねぇぞ?」
――っ!?
………
(いや、まだだ!!!!!)
熱を持った魔力が体内で荒れ狂う、最早制御は出来ないが。
――熱量を上げることは出来る!!!!
「燃えろ。ただ燃えろ。」
祝詞が勝手に口から漏れ出す。
意味があるのかは知らないが声に重なるように熱の密度が爆発的に増し出した。
「我が焔は欲望焼き救済を与える宿業成り。」
暑くて熱くて篤い。焼いて妬いて厄。焼けて熔けて焼き消える。色が移り変わる。赤から青に、青から白へ。
―――最早炎は幻覚ではなくなり現実世界を燃え融かす。白んだ光が剣だった鉄屑や地面を熔解させ原型を失わせた。
「欲深き者に救済を。這い出る者に粛正を。」
――音すら熔けたのか何も聞こえなくなる。熱の光に眼が焼かれ視界が白む。酸素も燃えるのか呼気が出来てないのに苦しさは無い、そんな機能も燃えたのだろう。
五感は燃え尽き何も判らないがまだ温度は上げられる。
「燃やせ『救済の火』」
――ああ、心地好い。ここまで澄んだ気持ちに成ったのは始めてだ。今なら分かる。世界はここまで素晴らしかったのか。
俺は今まで何をしていたんだ。私の使命は皆にこの救済を教える事だというのに。
酷い回り道をしたものだが過去を嘆く事は無い、今からでも救済を始めればそれまでの事にも意味が持てるのだから。
さあ始めよう、まずはこの城から救いを――――
「いい加減頭冷せ馬鹿。『覚ましの水!!』 冷たいけど我慢しろよ?」
しゅうぅ~。
蒸気を上げて物理的に頭が冷えだす。
ゆっくり、段々と視界が戻り、耳が聞こえだし、いつの間にか体は呼気を取り戻す。
煮え立っていた脳が正常に戻り初め――突如意識を失いその場にぶっ倒れた。




