武術学園の指揮官
街中を影が疾走する。その人影は灰色の残滓をちらつかせ、道に限らず塀や屋根の上を飛ぶように移動していた。
規則性のない動きだ。一見、屋根を駆け最短距離を行こうとしてる風だが時にジグザグに時に引き返して、まるで目的地なんか無いかの様にうろちょろしている。
それは突如速度を上げると、この辺りではひときわ背の高い建物に駆け上がる。天辺までたどり着くとやっとその足を止めた。
――少女だ。もっと言えば先日魔術学園に攻め込んだ大鎌使い、グリムだった。
今日はあの特徴的な大鎌を背負ってはおらず、身軽な姿だ。その代わりと言っては何だが手に異様な手甲を付けている。――それは、例えるなら爪が逆に生えた鉤爪だろうか?手の甲の方に湾曲した刃が数本、威圧するように生えている奇妙な手甲だ。
もしそれを、とある偉ぶろうとしてる少女が見たのなら半目で出所を理解するであろう、この街生まれの珍品である。
彼女は前半の授業をまるまるサボってまで、購入したばかりのそれを身に付けて試していたのだが………。
「……ここ、何処だ?」
いつの間にか何処か遠い所に来ていたらしい。さすがに授業全てをサボる気はなかった彼女は慌てるが、それでも諦めるのは気分じゃないと目に入る中でも一番大きな塔に視線を向けた―――
*
「よっしゃ! 間に合った! さっすがグリムちゃんだぜ!!」
武道館の扉を吹き飛ばしてひとりの少女が滑り込む。普通なら中にいる人は驚いて動きを止めるところだろうが、授業中であろう生徒や先生は慣れたように、ただ視線だけを少女に向けた。
「間に合ってません! そろそろ授業半分終わる所ですよ?」
生徒達の中で一番小柄な男の子が声を返す。その頭には、茶色い髪に紛れて犬耳を垂れさせており、腰元では細く短めの尻尾をゆったりと揺らしている。
「はははっ! 固いこと言うなよ、終わってなけりゃ間に合ったで良いだろ、ちびいぬ? うりゃ~!」
近付いて来た彼を捕まえ撫で回そうとするが、嫌なものが迫るかの様に大袈裟に身を引き躱した。
「……ちっ、逃げるなって、減るもんじゃないだろ?」
グリムは不機嫌そうに舌打ちをすると睨み付ける。
「躱しますよ! 何ですがその手に着けてるものは!!」
そう言って彼の指差す先には、相も変わらず刃の付いたヘンテコな手甲が少女の手を覆っていた。それは見る者に何処か異物感をもたらし、少女を異常な怪物であるかのように彩っている。
「あっ、忘れてた。」
「そんなものつけてたらボクでなくとも避けますよ!! 頭ぼろぼろになります!」
当然の主張だ。これには流石のグリムも堪えたのか、少し手甲を外そうかな〜と思案をする。
「――ま~いっか。悪い悪い、それで何してたんだ?」
「……相変わらず自由人ですね。」
「? なんでいきなり褒めたんだ?」
「…………まあいいです。
昨日グリムが出て行ってから、指揮官を決めて。現在対策会議と言う名の小競り合いを行ってる所です。」
そう言って彼が水を向けた先には、生徒達が戦い合っていた。
武器も戦い方も、歳や性別、たまに種族すら違う若者たちが、所構わず争い会う姿には世紀末のような荒れ果てた印象を覚えるが、この学園ではよく見られる日常的な風景だ。
「意見でも割れたのか?」
「いえ、そうではなく。何人かで団体行動を提案したら、何故か誰が一番強いか順番を決めるということになりまして。
それで魔術学園はどうでした?」
「それがな――」
「モート、変わらず旺盛だな。」
少年に訊かれた事を話そうと口を開くと、横合いから低い声が投げかけられる。ふたりしてそちらを向くと、大男が威圧するように立っていた。
見上げるような巨漢だ。身長だけでなく横にも筋肉の鎧が分厚く覆っており、少年と見比べると人体の不思議さを想起させる。
中でも一番異様なのは、頭上に並び立つように生えた二本の角だろう。まるで魔物の鬼を思わせる様相、手に持つ武器が棍棒なのもその認識を助長させる。ただひとつ、背中側からちらりと覗く先端が筆のようになった尻尾だけが、彼を鬼ではなく獣人であると主張していた。
「ヴラド君……順位決めはいいんですか?」
「あそこの者達では相手に不足だ。邪魔したか?」
「いえそうでも――」
「ははは! じゃあ戦おうぜ!! ちょうど試したい武器があったんだ!!」
「望むところ。」
両者共に、少年の事など知らぬとばかりにその場で武器を構える。嗤うグリムに目を細めるヴラド、武術学園初年度の麒麟児が両名共に相対した。
「行くぜ?」「こい――!」
「―――いや、待ってください!!」
距離を詰め、激突する寸前、細剣がふたりを阻むように差し出される。
「どうした?」「ちっ、なんだよ? お前も戦いたいのか?」
ヴラドが動きを止め、それを見て仕方ないとグリムも構えを解いた。
「――戦うのは良いのですが、先に魔術学園の様子を教えて下さい。」
「あー、話途中だったからいいけどよ。そんな気になる事か?」
「当たり前です。今回の団体戦の指揮官を任されましたから、情報は新鮮な方が良い。」
「へぇ――? まあ、お前なら良いか。」
一瞬目を細め威圧を送るが、すぐにそれを収める。どうやらこの小柄な少年は彼女から一定の評価を受けているのだろう。順位決めから外れ、指揮官と認められる。つまり彼はそれだけ強いのだ。
「で、何が聞きたいよ?」
「相手側の戦闘能力です。戦ったんですよね?」
「もちろんだろ?」
何でもないように話を進める。彼にとって、彼女が攻め込むのは当たり前の事なのだろう。そこには確かに信頼があった。……それが良い悪いはともかくとして。
「話下手だからよ、端的に言わせて貰うと――強かったぜ?」
「なるほど……正直意外ですが、あなたが相手を贔屓にするとは考えられないですし、本当なんでしょう。」
「おう、特に獣人と獣もど……あ~、尻尾無しが強かった。あと、何人か警戒した方がいいかもな?」
「案外多いですね……それと尻尾無しも侮辱にあたる場合がありますよ、最初のよりはましですが。」
特に表立って種族間の差別等は無いが“獣化”を使うのに、耳尻尾が無いのはかなり奇妙に映るらしい。獣人間ではそんなことは起きないのを鑑みれば、少年もその感覚にも一抹の納得を覚えるが。
(まあ、変な感傷はその方にも失礼ですか。)
「それにしても蔑称をわざわざ避けるなんて珍しいですね?」
「ああ、負けたからな。敗者が言うこと聞くのは当たり前だろ?」
「―――」
何気無い言葉に少年は驚愕し閉口した。
「それで、その獣人の女の方がなんか変な技使っててさ? こう、ピン!と来そうなんだよ! で、同じ武器を使えば分かるかなってさ!!」
話てる内に興奮してきたのか声が弾んで来る。彼女が想起だけでここまで愉しげなのは珍しいのだろう、驚きから立ち直った少年は目を軽く細めそれに興味を示す。
「ずいぶん変な武器を使う人ですね……。」
グリムの腕には相変わらず奇妙な鉤爪?が主張している。――これを、しかも“獣化”を主戦力とする獣人が使うなんてかなりの“変人”だ。流石は獣人なのに魔術学園に通っているだけはある……。
少年の中で、何処かの委員長の警戒度が不名誉に上がった。
*
少年、武術学園の指揮官、プルト・ガンドが集合の声を掛ける。争い合っていた生徒達は一部を除いて、手を止め文句も言わず集結した。
「えーでは、皆さんに伝えたい事があり集まって貰いました――――結論だけ、今のままでは負けます。」
グリムとヴラドの戦闘音だけが響く中、静かに、それでも確かな確信――意思を持って宣言すると、ざわめきが沸き起こる。
「それは無い、魔術師って言っても一年経って無いのが殆どだろ? 負ける気がしないって。」
「いえ、少なくともグリムは負けました。」
「「!?!?」」
先程よりもよっぽど大きなどよめきが辺りを覆い尽くす。それだけ彼女の強さには信頼が高い、皆一度は戦い、彼女に敗北を喫してるのだから。
「平均の実力はこちらが上をいくでしょう。それでも一部強い者がいます。それにひとりで当たったら抵抗する間もなくやられるでしょう。せめて複数人で当たって時間稼ぎをしてください。」
辛辣な言葉だ。だが、反対をするものは誰もいなかった。
勝てないのなら引き延ばし託すのが上策だと知っているのだろう。無理をしない、それがそのまま実戦での生存に繋がるのだから。
「時間稼ぎをしたらぁ、あとは誰に任せるのぉ?」
「ボクがヴラド、グリムのふたりを連れて救援に向かいます。指揮官がやられる危険はありますが、ボクら三人が揃って負けるのなら勝ち目は最初からありません。」
尻尾を振り回し、最も小柄な少年は大言壮語を口にする。
「――勝ちましょう。この群れでなら余裕です。」




