終幕
子供の頃、俺は世界で一番不幸なんだと思っていた。
両親が居なくなって一人ぼっちだ。親の仕事仲間達が世話を焼いてくれたし、残された遺産があったから生きるのに苦労はない。だけど友達は居なかった。
大人達に囲まれて育ったせいか同年代の子供はどうにも馴染めないし、何となくムカついた。そのせいか喧嘩ばかりしていた様な気がする。
自分は独りぼっちで、世界に嫌われてるなんて黄昏ていたものだ。
なんて世間知らず。同じ様な境遇のものは数多く居るし、自分だけが特別なんて思い上がりも良いところ。でもあの時の俺はそれが絶対だったし、そのまま育ってたら厭世感に満ち溢れたひねくれ者が出来上がっていた事だろう。
そうならなかったのは彼女と出会ったから。この世の終わりの様に泣いて、嘆き、絶望に踞っている彼女を見た時から――
(ああ、俺より不幸なやつって居るんだな。)
*
(くっそ……)
右腕が折れている。朦朧とした意識を肋骨を抉る様な激痛が引き戻す。……これは何本か折れてるだろう。足もまともに動いてくれない。でも――そんな満身創痍を容易く凌駕する程に心が痛い。
あれが来た時、あいつは真っ先に戦いに出て来た。毒まで使って何とかやつを始末しようとした。
それは故郷を奪われた私怨だ。恨みを晴らす為の反射的な行動。当然だろう。幼い時の記憶は容易いものではない。いきなり仇が現れれば衝動的になるのは何もおかしい事ではないだろう。
――そう思っていた。彼女の、あの瞳を見るまでは。
(敵なんて見ちゃいなかった! あいつはずっと、武王を通して過去を……観ていた!)
故郷を思う、言葉にすればたったそれだけ。だが仇を前にして尚それをするのは異常だ。
多少の想い出は浮かぶだろう。それは恨みを育てて仇への執着を産む。使い古された内容だ。あいつの好きな小説や演劇なんかで幾度となく見てきた定番中の定番。それを上回る程に、仇なんてどうでもなくなる程に、望郷の想いが強いのか……。
――頭がくらくらする。意識が重い。
彼女は帰るのだろう、夢にまで見た故郷へ。………そして二度とは帰っては来ないのだ。俺は、また……家族を失う。
失意の底へと落ちていく。抗えぬ喪失感に精神がかき乱され、涙すら出てこない。空気を喪った様な嗚咽だけが痛々しげに漏れていた。
半端に獣化したままの左手がふと目に入る。それなら、失うのなら。いっそ、ここでこのまま……。
「――立ってください。」
明瞭さを欠いた世界へ急に凛とした声が届いた。鈍い反応、芋虫の様な鈍足で顔を上げると、犬の耳を持った少年が近くで立っていた。
「ぅ……ぁ?」
「――聴こえませんか? 立てと言ったんです。」
うまく声が出せない。確かこいつは武術校の人だった筈だ。ぼやけた頭でもそのくらいは分かる。でも多少話したことある程度の相手がいったい何の用だというのだ。
「……ぐっ……。」
「……はぁ、さっき立って歩いていたでしょうに。まさかあれが最後の力だとでも言うつもりですか?」
呆れた様な顔を向けられる。……むっとした。ふらっとやって来て、なんでそんな事を言われなければならない?
「なん……だよ?」
「やっと喋った。なんだも何も――蛇足程度で満足してるんじゃない。」
「蛇……足だ?」
理解が出来ない。困惑する俺を余所に、遠く。瓦礫が大きな音を立てて崩れ落ちた。
「ええ蛇足。蛇足ですとも。ボクは怒っているんですよ? 誰が好き好んであんな化物と対峙するものですか。痛いし怖いし、命懸けにしたって無謀過ぎて話しにもならない。」
深々とため息を吐く。そこには一切の偽りなく、ただ単に面倒事に巻き込まれて煩わしいという感情がこれでもかと込もっている。
「……なら、なんで。」
「聞きますかそれを。そんなの――仲間の為に決まってるでしょう?」
当たり前だと告げる声に少し呆然として顔を見上げる。すると見られた当人は口を尖らせ、どこか別の方を見るように顎で促す。
流されるようにそちらを向くと……誰かがこちらに向けて歩いて来ていた。
「あなたの戦いは武王を倒す事じゃない。約束したんですよね? 彼女と――ここで決着を着けるって。」
服も髪も焼け焦げてぼろぼろ。手に持つナイフは高熱に晒されたせいか不自然に湾曲しており、足を怪我してるのか亀の様な鈍足。なれど……その瞳はぎらぎらと鋭く輝き、口元は愉しげに歪んでいた。
「グリム……。」
「思いだしましたか?」
思い出したとも。俺がなんでこんなとこに居るのか。それは単純な意地の張り合いだ。俺とあいつ、どっちが強いか決着を着けよう。そんな約束で俺は今ここに居た……。
「さぁ、邪魔物は去りました。勝敗を決する時です!
ほら立って、ここまで頑張らされたんですから無駄になんてしないで下さいね? ……それとも、不戦敗がお好みですか?」
「………上等だ。」
腕を突き体を起き上がらせる。無理だ止めろと、体が痛みで以て静止するが――知るか、無視を決め込んで気合いで起き上がる!
「うぎぎッ……ぐぁあ!!! ……ぜぇ、ぜぇ、、、。」
「お見事。さすが獣人の血を引くだけありますね。良い根性だ。」
「………どうも。」
実際は魔獣の血だが、それは良い。回復力を高め、身体を頑丈にする魔血の力は、只人と比べれば凄まじい程の優位性を誇っているのだから。
「だったらなんだ? あいつは竜の血でも貰ってるってのか?」
「純正の人間ですよ。……少しばかり人並外れていますけどね。」
足を引き摺り歩いて来る。受けたダメージは同じくらいの筈だ。生身にも関わらずそれに耐え、どころか俺以上の回復力で立ち上がって来た。冗談じゃない……あれが純粋の人間だというなら、俺が受けさせられた実験のなんて無価値な事か。
魔獣の血が肉体を強化するというのなら、彼女がそれを行えば神にすら手が届くに違いない。
たっぷり数分掛けてグリムがたどり着いた。
「おいプルト、邪魔すんなよ?」
「分かってるよ、ボクは見学しに来ただけだから。全身が痛くてさ、頑張ったご褒美が欲しくなったんだ。」
「あん? 知らねぇ勝手に観てろ。丁度審判が居なくて退屈だったんだ。」
「了解、見届けるよ。」
グリムが眼前に立つ。
近くで見てより深く状態が分かる。片腕が折れているのかぷらんとしており、服は焼け焦げただけではない赤黒さに染まっていた。まともなのは一腕一足だけという満身創痍。……だというのに――倒れる姿が想像出来ない。
「はは、時間がねえ。やるぜ! 武器はあるよな!」
「はっ……当たり前だろ!」
無事な左手、指に引っ掛かる程度に残った獣化の力。それを最後の力を振り絞り肘まで押し拡げる。どろりとした赤黒い色の毛皮が腕を覆う。
気力も体力も限界を越えている。相手もその筈だ。
故に――一撃。それに己の全てを込めてぶつける……!
ここに至っては悩んでるなんて無粋。いや、いっそ心中のもやもや全てを使い尽くす積もりで力強く拳を構える。
グリムは反対に、ゆっくりと歪んだナイフを構えた。相手を侮っての事でも、ましてや限界が来たからでもない。獲物を前にした肉食獣のように、完全なまでに筋肉を張り詰めさせる。
「ガァア……!!!」
「はははっ!!! しっ……!!!!」
力が溜まり切ったと見るや競うように攻撃を仕掛けた。奇しくもコンマ数秒の差で同時に一撃が放たれる。
獣声と嗤声、獣の拳と歪んだナイフが競り合う。
圧し勝った方が勝者となる。それを本能で直感し、打ち勝たんと両者は渾身の力で抗し合う。
「ぐ……おぉぉ……!!」
「あぁぁ………!!!」
勝利せんと抵抗をし続け………糸が切れた様に均衡が崩れ去る。
最後まで力を使い果たし、敗者は背中から地面に倒れ落ちた――
***
街の中心に聳え立つ高き塔。研鑽の塔と呼ばれるそれの前に、大勢の人だかり出来ている。
「皆のもの。白熱した戦いの末、日を跨いでしまったが……これより表彰式を執り行う。」
聴客の皆がにわかに沸き立った。大会から一夜明け、観客全員避難してから終了したのでは些か締まりが悪いということで、例の乱入者を除き表彰を行う運びとなった。ここで開催となったのは会場が壊れてしまい他に広い場所を求めての事だ。
急ぎ用意された壇上にて国王が会式を執り行う。
「皆の者、今回の大会を通して武の強大さと怖さ。そしてそれすら上回る我が国の盛況さを痛感したことと思う。故に……であるからして……。」
つらつらと言葉を連ねる。王は今回の件を侵略ではなくただの騒動として蹴りを着けるつもりなのだろう。
観客の殆どは武王の破壊から逃げだした者達だ。その脳裏に焼き付いたのは理外の暴力。故に王はそれを騎士団が事も無げに対処したとして喧伝する。
他ならぬ国王様の御言葉だ。深層心理に不安を抱いていたのだろう。多くの者が暗かった顔を明るくさせる。
王が口を一つ動かし、話が進む度に民が枯れた熱気に火を着けていく。
これが国の頂きに立つ者の扇動力。一歩引いて観ているにも関わらず乗せられてしまいそうな魅力がある。流石は広大にして幽玄なる風の国を統べる国王だ。その涼風の様な言葉には精霊が宿っているに違いない。
「~話が長くなってしまったの。余の悪い癖よ、民を前にしては谷風の如く言葉を連ねてしまうのだ。」
一つ咳払いをすると――王の目線がこちらを射抜く。
心臓が跳ねた。
「では、激戦を勝ち進みし戦士よ――余の前へ。」
「は……!」
壇上へ向かい一歩づつ階段を上がる。
……不相応だ。本来なら別の者が貰う筈だった名誉。勝ちを譲られて誇れる程厚顔無恥ではない。だが、王の前に立つのだ。爪を立てた鷹の団章が目に入る。
小さな誇り等捨て置こう。勝者としての虚勢で胸を張り、王の御前で跪く。
「面を上げよスレイ・ドット。」
「はっ!!」
武王が去り、その次に優勝候補だった二人が辞退した。故の繰り上がり。本来なら私も今すぐでも辞退を願い出たいところだが、迷惑をかけた兄の頼みでは断るのは難しい。
今回見せた無様の精算となればこの程度の恥は甘んじて受け入れよう。
顔を上げると、控えの者が豪華な装飾を施された短剣を恭しく差し出す。受けとると、大きな拍手で称えられる。感謝し、頭を下げた。
「優勝した者の願いを一つ聞く事としておる。申すがよい。」
「そんな――……。」
反射的に断ろうとするが、王の瞳に制される。拒否する事は許されていない。
「……ならば、一つ願いがございます。」
ここ数日あったばかりの好敵手の顔を思い出す。彼はこの判断をどう思うのだろうか? 文句があるとして、それは辞退したのが悪いと諦めて貰おう。
「申せ。」
「はっ……では―――。」
*
「はっ、はっくしょん! 痛ててで!?? ……ちっくしょうが……。」
「はっはっは、風邪でも引きやがったか? 移すんじゃねぇぞ?」
「……知るか。」
「無愛想だこった。」
場所は病室。全身に包帯を巻いた男が寝転がりながらふて腐れており、見舞いに来たバエルがそれを笑いながら赤い果物の皮をナイフで剥いている。
「怪我人に愛想求めんなよ。」
「おっさんが見舞いじゃ元気でねぇか? せっかく人が弟子の心配してんのによぉ。やっぱ惚れた女が良いんだろ、クズハってたか? 現金なやつだ。」
「……そんなんじゃねぇよ!? いってえ?!!」
慌てて起き上がろうとするが、引き吊った表情を浮かべベッドの上で悶え苦しむ。
「興奮するからだ。ほいよ。」
「だ、誰のせいだ誰の!」
恨みがましい顔を向けながら、差し出された果物を摘まむ。
「う、うめぇ……。」
「結構良いやつだからな。奮発したんだぜ?」
ナイフの先を得意げに動かしながらバエルが言うと、バルクはまじまじとそのナイフを見詰める。
「なんだよ。」
「いや、空中で一気に果物切るとか出来るのかなって思って。」
「出来るとは思うが汁が飛び散るじゃねぇか。」
「……それもそうか。」
残念そうな弟子に呆れた目を向けると、バエルは席を立つ。
「ま、安静にしときな。お嬢らが後で来るそうだし、おっさんは去るとするさ。」
雑に手を振り去っていく背中に声を掛ける。
「なあ師匠、これからも稽古付けてくれないか?」
「いいぞ。」
「……難しいのは分かってる。だけど俺は強く成らないといけないんだ……!」
「いいぞ。」
「だから………ん?」
説得を続けようとして、やっとバエルの返答が脳に届き固まった。
「だから、いいってんだろ。」
「なんでだよ!? 前は……?! いでぇ!??」
「落ち着けあほ。事情が変わったんだよ。どうせ剣教えるでもないし好きにしろってさ。」
どういう事だろう。絶対断られると思っていた。都合の良過ぎる状況に脳が追い付かない。
戸惑っていると、とても勢いよく病室の扉が開かれた。
「はははっ!!! 見付けたぜおっさん!決闘しようぜ!!!」
グリムだった。病院に似合わない快活さで胸を張ると師匠へ指を指す。一応怪我人のようで病人着だが、とてもそうは見えない。
「断る。」
「ははっ、じゃあ稽古としてならどうだ?」
「おい、てめぇ聞き耳立ててやがったな? ……ちっ、しょうがねぇ。都合が付けばな。」
「聞いたぜ? じゃ、またな!!」
「あ、おい!」
言質だけ取って嵐のごとく去って行った。振り回されたせいか、師匠の背中がどこかしょぼくれて見える。
「あいつなんでまだ病院に居るんだ?」
「……本人は大丈夫らしいんだが、なんで大丈夫なのか医者がわからないってんで止めてんだと。」
「なるほどなぁ。」
俺ですら身動き取れないのになんなんだろうあの回復力。
「バルク、皆で見舞い来たですよ……?」
「来たぞ。ん、二人ともどうかしたか?」
「「い(ん)や、なんでもない。」」




