空疎な法則
如何な仙人の術と云えどその力は永遠ではない。多少特殊な力を用いていようとも、所詮は魔力や気功の延長上の力だ。魔装術や気功と同じく身体能力は、纏う量。循環の速さに比例して上下する。
――故に、動くのすら止めてそれに注力すれば、最大限の防御力を得られるのは自明の理だろう。
無防備な胴へ迫る剣を眺めながら……体内に残った仙気を極めて繊細に爆発的な速度で循環させた。
「《不動金剛》」
――おかしい。
既に何度も斬り結んだ経験がこの一撃は必殺と云える威力だったと告げている。攻撃に仙力を割いた状態では到底受け切れまいと。……手応えはあった。渾身の一撃だ。だというのに……何故、剣が動かねぇ……!!
剣が空間に縫い止められたみたいだ。まるで岩にでも為ったかの様に武王に張り付き固定されている。動揺しつつも、なんとか引き剥がそうとするがびくりともしない。
常識外の出来事による思考の鈍化……対峙する相手はそんな大き過ぎる隙を放って置く存在ではない――。
「ぐぅ……!」
丸太の如き太い腕が伸びて来る。離れようとするが間に合わずバエルは首を掴まれ持ち上げられてしまう。
それによって解放された剣をこれ幸いと数度振るい、脱け出そうとするが地に足着いてない状態ではかすり傷にもなりはしない。反撃に強く首を絞められる。
「ぐっ……ガ、ァ……!!」
血が一気に上り、バエルは抵抗を止めて手足をだらんと垂れさせる。それでも剣を手離さないのは騎士としての矜持であろう。意識を喪い掛けるもなんとか取り直し、疲れた様子もない憎たらしい顔を睨み付けた。
「――見事だ。誠の称賛故、そこに虚偽はない。あと多少、鋭き剣であれば逆の立場であった。」
「……ざっ……けんな……!!! ゲホッ……ご、ぐっ……!こいつは……最強の……剣だぜ……? おい………。」
「うぬ……なれば勝ち目等端から皆無――ここで果てるが良い。」
「ガッ!!!? ガッハ…………!?!?」
首の締め付けが強くなる。万力の如き握力。バエルは指を掴み引き剥がそうとするも、酸素を喪いどんどん顔が青白くなる。少しの間抵抗を続けていたが、抵抗の甲斐なく糸が切れたように全身を脱力させた。剣が手から滑り落ち、地面に突き刺さる。
「……」
「………さらば。汝祖国にあれば大将軍に至りうる武であった。」
黙祷を捧げる様に数秒目を瞑る。止めだ。武王はバエルを必要以上に苦しめまいと掴む力を一息に跳ね上げた………。
「ぬ……?」
――力を込めた筈だ。最後の抵抗だとでもいうのか、その首の骨は未だ健在。……最後の仙気を振り絞ったか。疑念を抱きながらも再度力を込め直す。もはや一切の容赦等ない全力の握撃。空間すら握り潰すそれを……バエルは何事もなく耐えた……!? どころか……――持ち上げる手が下へ落ちて行く!?
終にはバエルの足が地面に触れる。
何かが変だ。疑念を抱き離れようと手を離すが―――それを実行する寸前に手首を掴み、止められた。
「……振り払えぬ、馬鹿な……。」
「ゴホッガホッ……くはぁぁあ~~!!!! はあ、ふう……し、死ぬかと思ったぜ……。」
バエルだ。解放された喜びか肺を破裂させんかとする勢いで息を吸い込むと、目を見開く。
「は、快調快調。絶好調。空気が美味しいのなんのって、実感したのはいつ以来かねぇ。――どうだ客人。うちの国は、良い空気してんだろ?」
「……なにを、した?」
バエルが突如鬼のように強くなったのではない。力が抜けていく。腕だけじゃない。身体全体が脱力し、遂に武王は地に膝を突く。
「何をってな? やっこさんの強すぎんだよ。俺の剣じゃ悔しいが硬くて斬れやしねぇ。なんで――斬れるようにした。」
「……なに?」
バエルは身体の調子を確かめる様に肩を回すと、ニヤリ。悪戯が成功した悪がきの如き笑みを浮かべる。
「仙力ってのは魔力と気功の混合。俺達が使ってるのは魔装術と気功術の合わせ技だ。」
「……」
不調の武王を前にバエルら唐突に語り出す。
外に纏う魔力の鎧と、体内を循環させる気功の術。それのくびきを解き放ち、魔力を体内へ循環させ、気功を体外で纏うのが仙人の技だ。
熟達すれば世界との境界へ溶け込み、空を飛び、大地に潜っることも可能にする無茶苦茶。世界に踏み込む片道切符。
だが、それも仙術においては一端に過ぎない。
「でもよ、それはちとおかしいと思わねぇか?
魔力ってのは魔術使うためのもんだ。」
気功と違い、魔装術はあくまでも魔術の一つ。
自然への適合を気功を用いた順応とするのなら、それとは逆に仙力を魔力として用いたもう一つの権能が存在する。
「世界に順応するのではなく。世界に己を強引に適合させる。
それが――《仙域》」
その言葉と共に、水の側に居るかのような水気が辺りを満たす。
「個人毎に違う固有の力。触媒を用いない数少ない異能の一つ。てめぇのそれを“金剛”と称するならば……俺のそれは凪の水面。月を映し、年縞刻む湖の権能よ。」
言葉を重ねる毎に涼やかな湖に居るような清廉な空気が二人を包み込んで行く。瞬間、バエルのその琥珀色の瞳が超常の色合いを含む。
「名を“水月”締めて《仙域:常世水月》
異常を消し去る永劫の仙水。お味はどうだい?」
“水月湖”というものがあった。風が少なく、注水も緩やかな湖。変化が無いに等しい湖には永い年月をへて砂埃が緩やかな層を造り出す。
それはまるで年輪。時をただ記す水底は広き平穏と世界の象徴。ただ今を――平穏を続けたいという騎士としての信念が世界をただ平常へと引き戻す。
「――弱ってるのではない。戻されている……。」
「ご名答。今のあんたは怪物でもましてや仏様でもない。
――只の人間よ。ま、ちとデカいがな。」
湖の水気を纏った仙力は一切の強化を喪わせる。金剛の鎧どころか、魔力や気功の使用を許されぬまっさらな肉体に回帰させられた。違和感を理解し腕を振り払い立ち上がる武王へ、バエルは引き抜いたばかりの剣を差し向ける。
「――来るが良い。」
「……降参しろって、言わせてもくれねぇのか?」
「答えは変わらぬ。……最も、唯では死なぬがな。」
「おっそろしいこって……。」
絶対絶命の危機ながら、武王は当たり前のように仁王立ちをし構えを取る。
敬意を払うようにバエルは剣を振り上げ、必殺の構えを返した。
「「……」」
言葉は無用。最後の立ち合いはただ武芸を持って。
奇妙な共感を得て、二人の武人はぶつかる――
そして―――すり抜けた。
「ぬ?」
「は?」
まるで幽霊になったかの様にバエルが武王の身体をすり抜ける。振り返り、思わず目と目を見合わせた。
なにやら武王の身体の輪郭がおぼつかず、霧に写った虚像の様になっている。
「……なんだそりゃ!?!?」
「ふむ、横槍が入ったか。時間切れでは致し方のない。」
「かってに納得すんなよ!? おい!?」
残念そうに言う武王に、バエルがつっこみを入れる。先程までの空気はどこへやらだが、どうやら戦いはここまでの様だ。
弛緩した空気に戦闘の終わりを見たか、国王が言葉を投げ掛ける。
「退くか。」
「そのようだ。如何せん不完全燃焼ではあるが敗北である。潔く退くとしよう。」
「余に仕えても佳いのだぞ?」
「二度問ても変わらぬ。」
にべもなく断られ王は残念そうに息を付くと、話は終わったと武王は王に背を向けた。
「ならば賠償代わりだ。一つ問いを投げるとしよう。宛先は東の山を統べる翁へ。其方の主はこの先をいったいどう乗り越えるのか……とな。」
「……言伝て承った。」
*
「命拾いをしたか。」
「それはどっちがだ? お前か? それとも――俺がか?」
「分かりきった事を聞く。我に挽回の目があったと?」
淡々と言う武王にバエルは鼻を鳴らす。
「はん、白々しい。何もないって風ではなかったろ? ほっとしてんのこっちの方だっての。」
「ふ……ならば分けとしよう。……懐かしい経験だ。」
満足そうに追想にふけり瞳を閉ざす武王に、バエルは呆れ、もはや危険は無いと剣を鞘へ仕舞う。
武王の輪郭が更に虚ろになって来た。消え行くその姿に、何をするでもなくただ見守る。
敵対者、これ程荒らし回ったにも拘わらず、それを見届ける者に彼に対する嫌悪や苦々しさは何処にもない。それは偏へに、彼が武人として誰よりも高みに居たからだろうか。
そんな中。ただ一人、去り行く武王へ待ったを投げ掛ける。
「……待ち……やがれ……!!! ……待ってくれ……満足そうにしてんじゃねぇぞ……! 俺は……まだ……負けちゃいねぇ……!!」
「バルク君!? いけない! 安静にしてないと駄目だ!!」
ベネが慌てて制止する。その声は届いていないのか。無視してるのか。バルクは血に濡れた包帯を獣の爪で強引に剥ぎ取ると、燃える様に血走った瞳が武王を射抜く様に睨め付ける。
「……俺は、負けれない……。……前で……こいつにだけは負けられない……!」
うわ言を呟きながらふらふらと歩く。獣化も左腕のみ、血が足りないのか青白い顔。死に体ながら足を進めるのは、彼には命よりも優先されるものでもあるのだろうか。
「我と戦い生還する。その名誉では足りぬか。」
「そんなん要らねぇよ……捨てれない。捨てちゃいけねぇ意地ってもんが……あんだよ……!!」
たどり着き、殴り掛かる。ふらつきながら放たれた拳は武王の身体をすり抜けた。バルクは無様に地面へ倒れ込む。
「……くっそ……。」
「我にこれは止められぬ。故に――追って来るがよい。それまで決着は預けよう。」
言い捨てると、怪我のせいか地面でもがき立ち上がれないバルクに武王は背を向ける。
根性を認めたのだろうか、その声色には多少の称賛が籠められている様に感じられた。
「……あ~あ~、隣国って言ってもくそ遠いぜ? どうだ、暇な時にでもあんたが来るってのは?」
「敗者が土を踏むわけにもいくまい。」
「別に良いだろ。俺達も引き分けじゃなんだしよ、今度は酒で勝敗を決めるなんてどうよ? 勿論、命賭けるとかは無しだぜ。」
「……争った相手を酒宴に誘うとは……。」
「良いだろ、俺の好きな文化だぜ?」
飄々と言うバエルに意外にも武王は感心した風だ。ちらりと倒れるバルクに目を向ける。
「したらその後にでも付き合ってやりゃいい。」
「ふ、考えて置こう。」
「ま……待て……。」
その返答を最後に武王の姿は完全に消え去った。バルクが手を伸ばした先には既に何もない空間があるのみ。苦し紛れに叩き付けられた手が力なく土を掻いた。




