第22話 今、すべてを手に入れる
「ナターリエ……いや、ナティー。今まですまなかった」
エリアス殿下が私に向き直り、頭を下げた。
「いえ……。アルシュベタが闇の精霊の力を使い、殿下に悪影響を及ぼしていたのは、わたくしにもわかっておりましたので」
私は殿下を見据え、微笑を浮かべた。
「ですから、これまでの行動、言動が、すべて殿下のご意志だったとは、わたくしも思っておりませんわ」
「それなら……」
殿下は頭を上げ、険しかった表情をわずかに緩める。
「それなら、私と婚約を破棄し、聖女になるといった先ほどの宣言。もちろん、撤回をしてくれるのだね?」
「……いえ。申し訳ございません、殿下。わたくし、撤回はいたしません」
「なっ……。なにを、言っているんだい、ナティー」
殿下は途端に狼狽し、声を震わせた。
「今、申し上げたとおりですわ。わたくし、聖女になる決意を曲げるつもりは、毛頭ございません」
「バカなっ!」
私がきっぱりと言い切ると、殿下は怒声を上げ、私の両肩を掴んだ。
「操られていたとはいえ、私は君にひどい態度を取った。きちんと反省をするし、これからはもっと、きみを深く愛する」
痛い……。
殿下の指が、肩に食い込んできた。
それだけ、殿下も必死なんだと思う。
「だから……。だから、婚約破棄は、考え直すんだ!」
私を揺すぶりながら、殿下は聖堂中に響かんばかりに、声を張り上げた。
でも――。
私の心は、もうここにはない。
今更、殿下の言葉に惑わされたりはしない。
だって、もう決めたんだから。
「……申し訳、ございません」
「ナティー!」
確かに、殿下は闇の精霊に操られていた。
けれども、私にはもう、真に思ってくれる人がいる。
「……どうか、わたくしのことは、諦めてくださいませ」
殿下の隣には、立てないんだ。
それでも納得がいかないんだろう。
殿下は近衛兵と共に、強引に私へと迫った。
殿下、そういう強引な点ですよ……。
私がどうしても殿下を信じきれなかった、根っこの部分。
「きみの父上だって困っているじゃないか。聖女になる選択は、多くの者を不幸にするぞ!」
頭を抱えながら唸っている父様へ視線をくれながら、殿下は私を説得しようとする。
「いいえ、そんなことはありません。わたくしが聖女になることで、光の精霊の祝福が、王国中にあまねくひろまっていくのです。王族や貴族ばかりではありません。庶民にまで、です」
光の精霊も言っていた。
このままでは光の加護が薄まり、王国の繁栄に影響が出ると。
私が聖女になり、光の精霊が力を発揮できる環境を整える。
今、絶対に必要なこと。
これは、私一人の身勝手なんかじゃない。
多くの王国民のためにも、私は聖女にならなければいけないんだ。
「意志は固い、というわけか……。おいっ」
殿下の目配せに反応し、近衛兵たちが私を囲んだ。
「どういうおつもりでしょうか、殿下」
「このままきみを、むざむざと教会へ引き渡すわけにはいかない。しばらくは王宮で、頭を冷やしてもらおう」
「殿下……。たとえ王族といえども、何でもご自身の思いどおりになるものではございませんわ。もう、わたくしは自由なのです」
権力を使って私を無理矢理に婚約者へと引き留めようとしても、意味はない。
この程度で曲げる決意ならば、そもそも衆目の中で婚約破棄宣言なんかしない。
迫る近衛兵にもひるまず、私は殿下を睨んだ。
「なにしろ……わたくしは、聖女になったのですから!」
伸ばされる近衛兵の手を払いのけ、私は声を張り上げる
「致し方ない。強引な手段に及ぶこと、許してくれよ!」
殿下は顔を紅潮させながら、片手を上げた。
私を囲む近衛兵たちが、歩調を合わせてにじり寄ってくる。
私は下唇をグッとかみながら、手に持つ聖杖を握りしめた。
そのとき――。
「お待ちくださいっ!」
聞き慣れた声が、耳に飛び込んできた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ユリウス!」
「ナティー! 無事か!」
私がうなずくと、ユリウスはホッとした笑みを浮かべながら、強引に近衛兵との間に割って入ってきた。
そのまま、ユリウスは私を護るように、両手を広げながら近衛兵たちの前に立ち塞がった。
「おまえは……ナティーの従者!」
「ユリウス! どうして!」
「ナティーの危機だと聞いて、いても立ってもいられなくなったのさ」
ユリウスはちらりと見上げ、光の精霊に視線を遣った。
そうか……。
光の精霊が、ユリウスに呼びかけてくれたんだ。
「エリアス殿下。これは、あまりにひどい仕打ちではありませんか」
ユリウスは殿下を睨みながら、低い声で非難する。
「たかが従者が……。しかも、おまえは怪我をして役目を外されたと聞いているぞ。その『元』従者が、王族の私の邪魔だてをするか? これは、私とナティーとの問題――」
「違います!」
「ナ……ナティー?」
大きく頭を左右に振って、私は殿下の言葉を否定した。
殿下は驚愕の表情を浮かべている。
「ユリウスは、ただの従者ではありません!」
私は手に持つ聖杖を天に掲げた。
聖杖の先が小刻みに震え、甲高い金属音が響き渡る。
同時に、宙に浮かぶ光の精霊からキラキラと輝く光の粒が放たれ、ユリウスの身体に降り注いだ。
『ナターリエの大切な人に、癒やしの祝福を』
光の精霊の温かな声が聞こえる。
すると――。
「肩が……動く!?」
ユリウスは目を見開き、グルグルと肩を回し始めた。
「ナティー、動くよ! 肩、動くよ!」
ユリウスは感極まったような声を挙げ、そのまま私に抱きついた。
私もユリウスの背に手を回し、抱き合った。
よかった……。
私のせいで負った怪我、治ったんだ。
ありがとう、精霊様。
私、やっぱり聖女になってよかった。
「そう、か……」
殿下のつぶやきが漏れ聞こえる。
「これが、ナティーの選択」
殿下は力なく頭を振りながら、息を大きく吐き出した。
「おいっ」
「よろしいのですか、殿下」
近衛兵たちは戸惑いながらも、殿下の指示どおりに私とユリウスから距離を取る。
「かまわん。どうやら、ナティーの言うとおりだったようだ。私は、彼女の本当の気持ちに、気付いてやれていなかったみたいだ」
殿下はそう口にすると、私たちに背を向け、近衛兵たちを連れて祭壇の前に向かっていった。
ぽつりと、「今まですまなかったな、ナティー」との言葉を残して。
「さぁ、この女を監獄へ連行しろっ!」
殿下のかけ声の下、近衛兵たちは床の上で気絶しているアルシュベタに縄を打つ。
「明日には魔女裁判をかける。……卑しい力で私たちを愚弄し続けた報い、地獄で受けてもらうぞ!」
床を引きずりながら連行されるアルシュベタを見て、私は忌まわしい記憶を思い出した。
今のアルシュベタは、まさに、時間逆行前の私自身だといえる。
悪女として、魔女として、情け容赦なく聖堂から連れ出された、あのおぞましき出来事……。
でも、これはアルシュベタの自業自得。
同情なんて、しないし、できない。
感慨深かった。
今、私の復讐は成ったんだ――。




