第20話 婚約破棄
王太子の婚約者が行う、聖なる祈りの儀式が始まった。
多くの貴族が見守る中、私は王太子――エリアス殿下の婚約者として、光の精霊が祭られた祭壇の前に立つ。
だが、なにを思ったのか、突然殿下が私の隣にやってきた。
私は祈りを中断し、立ち上がって殿下と向き合う。
「ナティー……。このままでは、君との婚約を破棄しなければいけない」
エリアス殿下が私に言い放った。
「殿下、婚約破棄だなんて生ぬるい対応ではいけません」
アルシュベタが横から割って入ってきた。
あぁ、なるほど。
闇の精霊の力で、殿下を操っているのか……。
私はアルシュベタを睨みつけた。
「あの女は魔女です。捕らえて裁判にかけないと、大変な事態になりますわ!」
再び流れはじめていた悪女の噂を、私は払拭できていない。
そもそも、払拭しようとも思っていなかったので、当然だけれど。
聖女になり、社交界からは去る身。
それに、光の精霊の力で闇の精霊の影響を排除すれば、このような誤った噂なんて、すぐに消え去るはずだから。
「しかし……。ナティーが魔女だなんて、どうしても信じられない――」
「私はあの女に怪我を負わされたんです。嫉妬に狂い、手を出してはいけないものに手を出した……。そうに違いありませんわ」
怪我をした原因が私だと、アルシュベタはうそぶく。
「あぁ……恐ろしいですわ……」
「そうなのか、ナティー?」
震えるアルシュベタの姿を見て、殿下は眉をひそめながら私に視線を送ってきた。
「わたくしは無関係です。アルシュベタ様の勝手な妄想に付き合う必要性なんて、少しも感じておりません」
「まぁ、なんて図々しい!」
アルシュベタは臆面もなく言いのけた。
「ナターリエ様ったら、この期に及んで自己弁護ですわ」
「みっともないですわね」
案の定、周囲のご令嬢がひそひそ声で私を非難し始めた。
これまでの舞踏会と同じだ。
「ほら、皆さんも同じように思っていらっしゃるようです。さあ、殿下!」
「ナティー……いや、ナターリエ。どうやら、私の目が曇っていたようだ。まさか君が――」
「殿下はあくまで、アルシュベタ様の言葉を信じるのですね……」
殿下の言葉を遮り、私は頭を振った。
「私が間違っていると? ……間違っているのは、君のほうだろう!」
私の指摘が気に入らなかったのだろうか、殿下は激怒した。
周囲に再び、黒いもやのようなものが見える。
「ここは、次期王妃になる私の婚約者が、聖なる祈りを捧げる場。今の君は、この儀式の場にはふさわしくない。外で頭を冷やしてくるのだ。私の婚約者としてのあるべき君に、戻って欲しい!」
殿下は、婚約破棄という決定的な宣言はしなかった。
単に頭に血が上っているせいで、私が冷静な判断を下せていないと、そう思っているようだ。
本来なら、この場で婚約破棄をし、アルシュベタの言うように魔女として私を捕らえようとしてきても、おかしくはない。
時間逆行前、同じような場面で、殿下はアルシュベタの望みをそのまま受け入れていたのだから。
……もしかしたら、闇の精霊の洗脳に対して、殿下なりに抵抗してくれているのかもしれない。
これまでの行動で、私が多少なりとも殿下からの信頼を得られていたから。その結果として、あの時とは状況が少し変わってきているのだろう。
とはいえ、闇の精霊の影響下にある殿下とは、共に歩めない。
「……わかりました。わたくしも、こんな場所で捕らえられるのは不本意です。退室いたしましょう」
今こそ、聖女になる決意を周囲に見せる時だ。
私は直感した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
礼拝の間から、勝ち誇ったようなアルシュベタの笑い声が漏れ聞こえてくる。
「笑っていられるのも、今のうちよ」
アルシュベタの周囲が、闇の精霊の支配下に陥っていたのは間違いない。
誰も彼も、アルシュベタの突飛な行動を不思議には思っていなさそうだったし。
殿下の言い分を聞いたふりをして礼拝の間から退場したのには、理由がある。
「聖女の正装をして、光の精霊様を顕現させてみせる」
あるべき正しい装いをまとえば、より精霊の力が強くなる。このように光の精霊から言われていたのだ。
なので、聖女宣言をする際には、この聖女の正装をしようと決めていた。
そこで、私は改めて自問自答する。
「ここで殿下を完全に見限り、聖女の宣言をしてもいいの? もう後戻りはできないわよ」
衆目の中で、殿下に恥を掻かせることになる。
一度口に出してしまえば、もう取り消しなんて不可能だろう。
でも。
それでも――。
「もちろん、聖女になる! ここで諦めたら、また同じことの繰り返しなんだ!」
決意を新たにした私は、あらかじめ用意をしておいた聖女の祭服に手早く着替える。
くるぶしまでの長い純白のローブに身を包むと、突如、全身が白い光で覆われた。
『ナターリエ……、うれしいわ。とうとう決断してくれたのね』
光の精霊が、脳裏に語りかけてくる。
「はい、精霊様」
『大丈夫、悪いようにはしないわ。あの場に顕現できさえすれば、あの女の持つ闇の精霊の力なんて、すぐに消し去って見せます』
光の精霊が語り終えると、全身の光は消えた。
「……いよいよ、勝負の時ね! さあ、行くわよ!」
私は礼拝の間の扉の前に立ち、ゆっくりと押し開いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ナティー、その格好は……」
私が身につけている聖女の祭服を見て、殿下は目を丸くしている。
「エリアス殿下……。そして、お集まりの皆様!」
私は祭壇の前まで進み、振り返って周囲を見渡した。
「わたくしは殿下との婚約を破棄し、光の精霊様を讃える聖女となることを、ここに宣言いたします!」
「なっ!?」
殿下が声を詰まらせる。
「バカなっ! ナターリエよ、愚かな真似はよせと言っただろう!」
「父様、すみません。でも、決めたのです」
礼拝の間の最前列に立つ父様に顔を向けて、私はきっぱりと言いのけた。
「信じられん……」
父様はその場にへたり込み、頭を抱えた。
「皆様にお伝えしなければなりません。あの女……シェリー伯爵令嬢アルシュベタの周囲には、闇の精霊によって人心を惑わす怪しげなもやが漂っていると」
殿下にしなだれかかりながら立つアルシュベタを指さした。
「な、なにを言うの! 闇の精霊に魅入られた魔女は、あんたでしょう!」
「愚かなアルシュベタ様……。嫉妬に狂ってしまわれたのね」
アルシュベタにとって、このような形での私からの反撃は、まったくの想定外だったのだろう。
顔を真っ赤にしながら、大声でわめき声を上げている。
「嫉妬になんて狂っていないわ! 狂っているのは――」
「もう、やめましょう?」
アルシュベタの言葉を遮り、私は感情を込めずに言い放った。
闇の精霊がこれ以上悪さをする前に、さっさと終わらせたい。
「光の精霊様……。どうかわたくしたちの前に、そのお姿を……」
私は祭壇の前でひざまずき、精霊像に向かって祈りを捧げた。
すると、精霊像がまばゆいまでの白い光に包まれる。
周囲のざわめきが大きくなってきた。
目の前で繰り広げられる現象に、皆が恐れおののいているようだった。
精霊像が放つ光は次々と天井に向かっていき、人型に収束していく。
やがて、光は女性の姿を形取った。
光の精霊の顕現だ。
『聖女ナターリエよ。ご苦労様でした』
礼拝の間に、凜とした精霊の声が響き渡った。
そのとき――。
「ギャアアアアアアアッ!!!!」
アルシュベタが悲鳴を上げる。
同時に、彼女の身体からどす黒い影が飛び出してきた。
「なっ……! アルシュベタ嬢が、魔女?」
誰かのつぶやく声が聞こえた――。




