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神火の君  作者: 鳥飼泰
番外編
8/11

神子は待つ

夏は、火の王が司る季節である。

火の王の力が強まれば、その影響を受けた火の精たちの力も活発になる。そうした火の精たちの行いを普段は放置している火の王だが、さすがに夏となればそうもいかない。あまりに目に余るようであれば対処に出る必要がある。

それに加えて、人間たちはいつも愚かで、神火による浄化が求められるような事態を引き起こす。


つまり、夏の間の火の王はとても忙しい。




火の王の神子シホは、このところホオリに会えていない。

今までは、ホオリの気が向いたときにふらりとシホのもとへやって来た。それでも長く間が空くことはなかったし、シホが会いたいなと思うころには必ず来てくれていた。

だが、暦が夏に入る前に会って以来、そろそろ秋の気配も感じ始めるころになってもまだホオリは現れない。


(ホオリがあのときに言っていたけど、)


最後に会ったときの、ホオリとの会話を思い起こす。



「シホ。これからしばらくは忙しいから、あまり会いに来られない」

「夏は火の王の季節だものね」

「うん」


ホオリは憂鬱そうに目を伏せた。


「そんな顔しないで。ホオリの仕事でしょう? 仕方ないよ」

「そう、わたしの仕事だから。……でも、わたしの神子に会えないのは辛い」


その瞳にますます憂鬱さをたたえて、ホオリはシホを見つめてくる。

だがだからといって火の王に対して、仕事に行かなくていいよとは言えない。さすがに神子が王を堕落させてはいけないだろう。

どうしたものかと悩むシホに、ホオリは小さく息を吐いて言った。


「……シホ、わたしに会いたくなったら、火を焚いて名前を呼んで」


それは、ホオリに用事があるときにシホがいつも行っている方法だ。ホオリに火を与えられて神子となり、シホから連絡を取る手段として教わった。

そもそも高位の存在の名前は特別なもので、それを口にするだけでも本人に響きが伝わることもあるらしい。それに加えて、シホの焚く火はホオリの火でもあるから、そこに名前を呼びかけることでしっかりと繋がるのだとか。


名前を呼ばれただけで分かるなら、普段もうっとうしいだろうなと思ったが。よく考えてみれば、火の王であるホオリの名前を呼ぶことを許されている存在は少ない。おそらく人間では、火の王の神子であるシホだけだろう。それほどに、火の王の名前は特別なものだ。


「うん。用事ができたら、呼ぶかもしれない」

「用事がなくても呼んでいいよ」

「それはさすがに……」

「シホはわたしの神子だから。他に優先するものなど、本当はないんだ」


目を細めて言われた言葉に、シホはどきりとする。

火の王が、もしもすべてを投げ出してシホを優先するようになったら、世の中は混乱するだろう。

シホは王の神子だ。王の心身が健やかであるようにお仕えする存在だと自負している。それにホオリの執着が、いつまでシホにあるのかも定かではない。そんな一時のお気に入りのために、火の王が道を踏み外すことがあってはならない。

だからそのときシホは、ホオリの言葉に対して返事はせず、曖昧に微笑むにとどめた。



そんなやり取りがあってから、もちろんシホはホオリを呼ぶつもりはなかった。夏が終わればまた会えるのだから、神子が王の仕事の邪魔をするべきではないと考えていたのだ。


(でも、ホオリに会えないのは、思ったより寂しいな…………)


だが、実際にホオリの顔が見られない日々を過ごしてみると、予想以上に寂しさがあることに自分でも驚く。

なんだか、長い間ホオリの姿を見られないことに、見捨てられたのではないかという不安まで湧きあがってくる。


そういえば、シホが水のお社でお仕えしていたとき、水の神子としてのお勤めというものが毎日あった。水の気配に包まれたお社でお勤めをしていれば、水の精に会わなくとも、それだけで水の神子であるという自覚が芽生えたものだ。

だが、今のシホはお社にも行っていないし、日々のお勤めというものもない。ただホオリがやって来たときに相手をするくらいだ。


(…………あれ、私って、すごく神子らしくない神子なのかな?)


ホオリが不満を抱いている様子がないので気づかなかったが、シホは一般の神子らしいことをあまりしていないのかもしれない。王の神子とは、そういうものなのだろうか。


(私はまだ、ちゃんとホオリの神子だ)


胸に手を当てれば、自分の体の中にぼんやりとホオリの火の気配を感じる。清浄で苛烈な、美しい火を。

以前はこんなふうに感じることはできなかったが、いつの間にかそこにある。これは、ホオリとの縁が深まっているということなのだろうか。ホオリはたまに、シホに告げずに何かしていることがある。できれば説明が欲しいものの、今さら抵抗する気もないので好きにさせているが。

今はこの火のおかげで、自分とホオリの縁は切れていないのだと実感できる。そのことが、シホにわずかな安堵をもたらしていた。



それから数日経ったが、やはりホオリは現れない。

相変わらず、シホの中にホオリの火の気配はあるが、もうそれだけでは我慢ができなくなってきた。

神子として、王の仕事の邪魔をするわけにはいかない…………はず、なのだが。


(一度くらい、呼んでもいいかな……?)


実は、シホはこれまでにもホオリの名前を呟いてみたことがあった。火は焚かず、その名がすぐに宙に解けてしまうように、ひっそりと。

そうすると、シホの中のホオリの火がざわりと揺れるような気がするのだ。それが嬉しくて、つい何度か繰り返していた。


今日はちょうど焚き火をしているから、本当にホオリを呼び出してみようかとまで考えてしまっている。それくらい、シホの寂しさと不安は大きくなっていた。

だが、シホは神子としての理性で、ぐっと押しとどまる。


「………………」


そっと目を閉じて集中すると、ホオリの火の気配をより近くに感じられるような気がした。


(大丈夫。この火があるかぎり、私はホオリの神子だ。会えなくてもそれは変わらない。……………………でも、)


なんとか気を紛らわせようとしたものの、なぜだかうまくいかない。


目の前には焚き火がある。

あとは、名前を呼ぶだけで会える。

神子として、王の邪魔はするべきでない。

だが、ホオリは呼んでもいいと言っていた。


(会いたい)


シホは無意識に、王の名を呼んでいた。


「っ、」


その名を口にした途端、目の前の火が一瞬だけ大きく燃え上がった。

驚いたシホは、咄嗟に目を閉じて後退る。それから、そっと目を開ければ。

そこには白い上着を羽織った火の王が立っていた。


「……ああ、シホ。わたしの神子」


久しぶりに目にするホオリは、表情の抜け落ちた人外者らしい顔でこちらを見つめていた。ずいぶんと荒んだ気配に、機嫌があまり良くないらしいと分かる。シホへの害意は感じないが、周囲の空気がびりびりと肌を刺す。


「ホオリ…………」


呆然とシホがその名を再び口に乗せれば、火の王は口端を上げた。


「うん、わたしの神子」


少しだけいつものホオリに戻ったことで、シホは詰めていた息を吐き出した。


「…………忙しいのに、呼び出してごめんなさい」


ホオリは明らかに苛立っていた。きっと、それだけ忙しいのだ。

そんな中を、寂しいからという理由で安易に呼び出してしまったことが、シホは急に申し訳なくなる。


「どうして謝るの? わたしの神子は、いつでもわたしを呼んで構わない」

「………………」

「シホが何度かわたしの名前を呼んでくれたのが、聞こえていたよ。とても嬉しかった。だからわたしも、したくもない仕事を放り出さずに頑張っていたよ」

「……そう、なの?」

「うん」


寂しさに落ち込む気分を晴らそうとした自分勝手な行為が、実はホオリを喜ばせていたのだと聞いて、シホの罪悪感が少しだけ和らいだ。


シホが頬を緩めると、ホオリも嬉しそうに笑って腕を広げた。

それは、ホオリが学んだ人間の仕草のひとつ、抱きしめたいという意味だから、シホは遠慮なくその腕に縋りつく。

そっと顔を寄せれば、ホオリの上質な上着の感触が頬に心地よい。


「ああ、久しぶりのシホだ」

「うん、久しぶりのホオリだね」


お互いのぬくもりに安堵して、くすくすと笑い合う。

ホオリに先ほどまでの不機嫌さは影もなく、もうすっかりいつものとおりだ。


「やはりわたしの神子に会えないのは、辛い。はやく君をずっと連れ歩けるようになればいいのに」


ホオリの機嫌が戻ったことにほっとしていたシホは、思いがけないことを聞いて顔を上げた。


「…………私、ホオリに連れ歩かれるの?」

「今はまだ無理だけれど、もう少しわたしとの縁が深まれば耐えられるだろうから、そうするかもしれない」


にこりと笑って告げられた言葉に、シホは上を向いたまま目を瞬いた。

一般の神子はお社でお仕えするものだが、もしや王の神子とは王に連れ歩かれるのが普通なのだろうか。まったく初耳ではあるものの、シホは他の王の神子を知らないので、それが正しいのかどうか分からない。

どちらにせよ王がそうすると言うなら神子は従うしかないが、シホにはひとつだけ気がかりがあった。


「……ババ様を置いて行くことになる?」

「ん? ああ、君と暮らす人間だね。……どうだろう。その人間の寿命が尽きる方が先かもしれない」


ホオリはあどけなく首を傾げた。

火の王にとってはわずかな時間でも、人間にとっては老婆が寿命を迎えるくらいの長さがあるようだ。住む場所を失ったシホを拾ってくれた老婆の最期を見送ることができるなら、シホは他に気にかけるものはない。


「楽しみだな。ホオリについて歩いたら、ホオリの火がたくさん見られるね」

「ふふっ。いくらでも見せてあげる」


ふたりでにこにこ笑っていれば、ホオリが邪気のない笑顔のまま言った。


「じゃあ、守護を深めておこうか」

「え、」


ふっと影ができたと思えば、ちゅっと唇が触れていた。


「………………」


もう何度もされたこの行為に、シホはいまだに慣れない。

ひとりだけ羞恥に悶える状況に耐えられず、ホオリの胸に顔を埋める。

最近は、ホオリもますます人間の仕草を学んだのか、その後に頬や耳にも口づけてくるようになった。シホはどうにも恥ずかしくてたまらないが、そこまで守護を上乗せしてくれるのはありがたいことだから、ホオリが満足するまでじっと待つしかなかった。



その後、ホオリは現れたときとはまったく違う、いつものご機嫌な様子で帰っていった。まだしばらくは忙しいということだから、次にまた会えるのはもう少し先だろう。

だが、夏が終わってしまえば、またいつものように会えるのだ。


(そのころには栗の実が落ち始めるはずだから、焚き火で焼こう。きっと喜ぶ)


先ほどまでの寂しさがすっかり消えたシホは、ふんわりと頬を緩めた。


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