火の王の噂
火の王が姿を現すとき。それは、大きな災禍の気配を察した王が、神火によりすべてを浄化するときである。ひとたび王が降り立てば、その場のすべては灰となり、あとに残るは塵芥のみということも少なくない。
だが、ときには王の気まぐれによって生き残る人間もある。そんな人間たちが目撃した王の話は、噂話となって他の土地へ伝わっていく。
ひとからひとへ伝わるうちに噂はどんどん変わっていくが、少し以前からの噂には、ひとつ、共通していることがあった。
それは、最近の火の王は供を連れているということだった。
「……シホ、足下に気をつけて」
「うん、平気。ありがとう、ホオリ」
火の王と深い縁を繋いで人間ではなくなったシホは、いろいろと体のつくりが変わってしまったらしい。
まだシホ自身に自覚はないが、ホオリの仕事の場に居ても耐えられるようになっているというので、ホオリの許しが出たときはついて行くようになった。
もちろん元人間にできることなどないので、シホはホオリのきれいな神火を見ているだけだが。
「シホ、わたしの手を離さないように」
「うん」
シホが頷いたことを確認してにこりと微笑んだホオリだが、次に前を向いたときにはその表情は抜け落ち、人外者らしい顔をしていた。
シホの前ではあまり見せないその顔も、シホは好んでいる。
「さあ、汚れたものを燃やしてしまおう」
小さく呟いたと同時に、白い上衣をまとった腕がすいっと宙を切る。すると、周囲に白く輝く火が現れた。神火はみるみる燃え広がり、瞬く間に眼下の村全体をのみ込んでいく。
慌てふためくどこかの国の兵士や、危険を察知して逃げ出そうとする動物たち、この場にあるものすべてに神火は襲いかかる。
動いている人間の中に兵士以外の姿はないようだから、住民たちはすでに死んでしまったか、避難したのか。それはシホの関知しないところだ。
シホはただ、火の王の放つ神火の美しさに見惚れるだけ。
(本当に、きれいだな…………)
シホは、やはりホオリの火が好きだ。
シホの中にはホオリから与えられた火があるが、シホの熾した火とホオリが扱う火は、どこか違う気がする。
扱う存在によって、同じ火でもその表情が変わるということだろうか。元は同じ火でも、ホオリの手にある火はホオリの色をしているのだ。
きっと、シホの熾す火もシホの色をしているのだろう。
(そうか、だからホオリは、私の火が好きだと言ってくれるのかな……)
不意に気づいた事実はさておき、ホオリが操る神火をシホはうっとりと見つめていた。
そんな神子の視線を感じて、火の王も嬉しそうにしている。
「シホはわたしの火が好き?」
「とても好き」
「そう。わたしの神子にそう言ってもらえるのは、嬉しい」
繋いでいた手をくいっと引かれ、頬へ口づけをされた。
ごく自然に行われた行為に、シホは目元を染める。
もっとも深い縁を繋ぐには、神子が王にすべてを捧げる必要があるのだという。だからあのとき、シホもそうした。
ホオリとの繋がりを感じられると同時にその想いも伝わってきたあの時間は、とても満たされた気持ちでいっぱいだった。
それでも、こういった接触はどうにも慣れない。
「ホオリ、ちょっと恥ずかしいよ……」
「どうして? わたしの神子を愛でているだけなのに」
「ここは外だし、」
「他の存在など気にする必要はないよ。どうせ人間にはわたしたちの姿は見えていない」
どうやら、人間たちにシホとホオリの姿ははっきりと見えていないらしい。
そういえば以前に見た夢で、そんなこともあったような気がする。
「人間には私たちの姿は見えていないの?」
「うん、ぼんやりとしか見えないようにしているよ。他のものにわたしの神子の姿を見せる必要はないからね」
にっこり微笑んだ火の王は、先ほど口づけた場所をするりと撫でた。
たとえ他の人間に見えていないのだとしても、やはりシホの中から恥ずかしさは消えないのだが、その手を心地いいとも思う。
「あの、できればふたりだけのときがいいかな……」
「そうなの?」
「うん…………」
「ふうん。わたしの神子がそう言うなら、そうしようか」
ホオリはシホに優しい。こうして望めば、大抵のことは叶えてくれる。
だからホオリが頷いてくれたことに、シホはほっとしたのだが。
「じゃあ、おしまいにしよう」
まるで羽虫でも払うようにホオリがもう一度手を振ると、それまでも燃え盛っていた神火の威力が増し、本当にすべてをのみ込むほどの火となった。
「さあ、帰ろう」
「………………」
触れてくるならふたりのときがいいとは言ったが、今すぐふたりになりたいと言ったつもりはなかった。
しかしながら、すでに原形をとどめないほどになった村を背にした火の王は、もう仕事は終わらせてしまいたいようだ。
シホが黙っていれば、ホオリが不思議そうに首を傾げた。
「シホ?」
「……うん、帰ろうか」
だが、けっきょくシホが一番に優先するのはホオリだ。シホの望みを叶えようとしてくれるホオリに意見する理由はない。
「今度はシホの火が見たいな」
「じゃあ、帰ったら焚き火をしようか。まだ栗はあったかな……」
ずっと繋がれていた手を引かれてホオリと共に足を踏み出せば、目の前の視界が、火が消えるようにふっと消えた。
隣国を攻め落とそうと、行軍していたある国の武装した一団。
長い距離を集団で進むには、その集団を賄うだけの食料が必要となる。彼らはそれを、行く先々の村で奪っていた。抵抗する村人は容赦なく斬り捨て、冬のための蓄えを根こそぎ奪い、ついでのように村の家々も破壊していった。
彼らが近くまで来たと聞いた隣国の住人たちは、家を捨てて逃げるしかできない。
そんな住人たちが、神に祈っていたそのとき。
神火の君は、現れたのだった。
避難した住人たちは、神火による浄化の一部始終を見ていた。
だが、火の王が自ら魂を繋ぐほどに執着する神子の存在を、人間たちは知らないままだ。
「神火の君」番外編を本にまとめました。
「火の王の神子」までの7話+書き下ろし小話「火の王と神子と老婆」「ある友人の驚愕」を収録。
文庫サイズ92P、31000字。PDF版もあります。
在庫なしになっていた本編の方も追加で刷りました。
ご興味ありましたら、2021年11月11日の活動報告をご覧ください。
もしくは、BOOTHへ直接どうぞ(^^)
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いつもお読みいただき、ありがとうございます。