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神火の君  作者: 鳥飼泰
本編
1/11

1. 水の神子をやめた

「シホ、わたしの神子」


名を呼ばれて振り向くと、そっと頬を撫でられた。


「わたしは君の熾す火が好きだけど、その火で焼いた栗も、この上ない嗜好品だね」

「…………つまり、まだ食べたいということ?」

「うん」

「残りはババ様へのお土産だから、もうだめ」


頬に手を当てたまま親指で懇願するようにすりすりされても、シホは簡単に懐柔されたりはしない。

悲しげに眉を下げた赤髪の男を見つめ、シホはこの男の神子になるまでの日々を思い出した。




シホは、お社で水の精に仕える水の神子だった。

水のお社には、他にも数人の神子がいて、みんな家族のような人たちだった。


今の世は、戦続きで乱れていた。いつもどこかしらで戦が起こっているのだ。

好戦的な隣国は、度々この国に攻めてくるし、その混乱に乗じてごろつきたちが徒党を組んで好き勝手に暴れている。


そんな世でも、お社の中は平和だった。水の精は気性が穏やかで、そのためか神子たちもおっとりとした者ばかりだった。

お社は、水の精を祀るのにふさわしく、湖の中の小島に建てられている。だからそこは湖によって外界と遮断され、一本の橋で繋がるのみだった。

周辺の民家からお社へ、水の精の王である水の王への供物が届けられるので、神子たちはお社から出る必要もなかった。


だがシホは、落葉を集めて栗を焼くのが好きだった。

水のお社で焚火をするのはあまり褒められたことではないので、よく抜け出して外でこっそり楽しんでいた。


お社が焼かれたときも、シホは森に入って空地で焼き栗をしていたのだった。




その日、森の出口まで戻ったシホが見たのは、一面を覆う赤だった。

水のお社にはありえない、小島をなめるように這いまわる大きな火。周囲を湖に囲まれていたことが仇となって、小島の中を逃げ場のない火が荒れ狂っている。

水のお社に火を放つなど、誰も想像だにしなかったことだ。水の王に敬意を持ったこの国の人間ならば。


呆然と赤に染まったお社を見ていたシホは、お社の門から出てくる者たちの姿に気づいた。

森の出口は高台になっているし、水のお社まではそれなりの距離があるから、向こうからシホは見えないだろう。

だが、シホには、黒い隣国の旗を得意げに掲げて橋を渡る五人の賊の姿が見えた。あの身なりは兵ではない。黒で染め抜いた隣国の旗をシンボルにしている五人組の盗賊が周囲を荒らしまわっていると、以前に聞いたことがある。きっとそれだろう。

戦利品らしき食料などを馬に積み込んでいる盗賊たちの姿を、シホは目に焼き付けるようにじっと見ていた。



盗賊たちが去って行ってからも、今朝までは自分の家だった場所ががらがらと焼け落ちるのを、シホは静かに見ていた。

その炎が映って、シホの瞳は、秋の実りの濃い黄色から、熱した鉄のような赤茶色になった。

ときどき小さな爆発のようなものが起きるのは、火薬を仕掛けられたのか。激しい炎に生み出された風で煽られて、水の神子としての青い服が裾を揺らす。いつの間にゆるんでいたのか、髪紐が解けてまとめていた留紺色の髪が散らばっても、まだシホは動かなかった。

お社の最奥にあった水の奥間が大きな音を立てて崩れたころ、シホはようやく視線をはがして森へ引き返した。




戦乱の世で家が焼かれるのは珍しいことではない。


幸運なことに、シホは森に住んでいた機織りの老婆に拾われた。焼き栗をしていたときに出会って、おすそ分けしたことがあったのだ。

老婆が織った布を持って町まで行き、それを売って日用品を買うのがシホの仕事になった。


水の神子としての務めは、あの日以降していない。水の神子の青い服も着なくなった。

水の精であっても戦を鎮めてはくれないし、お社が燃やされても助けに来てはくれないのだと知って失望したのだ。

そのうちに、水の精の守護は失ってしまった。

守護が失われれば、シホはもう神子ではない。


代わりに、空いた時間で毎日のように焚火をしている。

不思議と、火への忌避感は生じなかった。むしろ、あの日に見た火を忘れられないでいる。

できるなら、お社を焼いた盗賊を同じように燃やしてやりたいと思っていた。

家族のように一緒に過ごしたあのお社の人たちは、どうやって殺されたのだろうか。刃物で刺されたのか。生きたまま焼かれたのか。

分からないから、最も苦しそうな方法を考えよう。なぜならこれは復讐だ。シホの恨みが加算されてしかるべきなのである。

自分で熾した火を見ていると、どう報復しようか想像が膨らんで、少し心が落ち着いた。

たまに、栗を焼いて楽しんでもいる。




機織りの家から少し離れた、開けた場所。

いつもそこでシホは落葉を集めて焚火をする。

今日は栗が手に入ったので、一緒に焼くつもりだった。いくつか持って帰れば、機織りの老婆が喜ぶ。



「何を焼いているんだい?」



そこへ、たまたま通りかかったといった様子の男が声をかけてきた。

男は長い髪をさらりとなびかせ、不思議そうに首を傾げてこちらを見ている。背中を覆うほどの髪は赤く荒々しいのに、その仕草にはどこか上品な雰囲気がある。

白い上着を羽織っているから、その髪の鮮やかさが際立つ。


シホは、この男が人間ではないだろうと気づいていた。

そもそも、この森の中に人が通りかかることなど滅多にないのだ。


シホが水の神子としてお社にいたころは、水辺にいると水の精が寄ってくることがあった。

同じように、最近は火を熾すと火の精が寄ってくることがある。

水の精はお社の中でしか見たことがなかったが、火の精は森で焚火をしているだけで寄ってくるという気さくさだ。

この男も、そんな火の精のひとりなのかもしれない。


「栗を焼いているの」

「栗……美味しいのかな?」

「ほくほくぽくりとして、とても美味しいわ」

「ふうん」

「……もしかして、食べたいの?」

「うん」

「じゃあ、もう少しで焼けるから、分けてあげる」

「いいのかい?」

「ええ。私の焼く栗は美味しいわよ」


火の精が飲食をしているところは見たことがなかったので、焼き栗を食べるとは思わなかったが、聞いてみると男が食べたいというので分けてやることにした。


水の精もそうだが、火の精は、それほどはっきりとした形をとることはない。ほとんどの精は意思疎通ができないので、なんとなくそこに漂っていると分かるだけだ。

一度だけ、先輩の水の神子に寄ってきた水の精が、少しはっきりとした形をしていたのをシホは見たことがある。先輩によれば、あれはそれなりに高位の水の精だったらしい。

ということは、これほどしっかりと人間のように見えているこの男は、相当に高位の存在なのかもしれない。


だが火の精も水の精も、通常はその場所にぱっと突然現れるものだ。

この男のように、歩いてやって来るというのは初めてだった。

そう考えると、男が人間だという可能性もなくはない。とてもあやしいが。



「君の熾す火は、不思議だね」

「そうかな?普通に燃やしているだけだけど」

「うん。でも、わたしには心地よいものだよ」


男の素性についてシホがあれこれ考えている間、当の本人は落葉が燃えているのを見ていたらしい。なぜか嬉しそうに微笑んだ。


「君の火はとても雄弁だ。激しい怒りの感情がこもっているのがはっきりと見える。それはわたしのようなものには、とても心地よいものなんだ」

「……よく分からないけれど、少し前に、家族のような人たちを盗賊に焼かれたの。だから、そんなことをした奴らを同じように焼いてしまいたいと思っているからかもしれない」

「なるほど。それで君の火には、こんなに眩く鋭い怒りの感情がこもっているのだね」


男の言っていることは不可思議でよく分からなかったが、人間でないのだとしたらそんなものだろう。

にこにこと嬉しそうにしている様子を見ていると、なんだかシホは気が抜けてしまって、人間でも火の精でもどちらでもいいかと考えるのをやめた。



焼けた栗を渡すと、男は気に入ったのかぱくぱく食べた。

あまりに食べるので、老婆の分がなくなってしまうと、シホは慌てて止めなければならなかった。

止められた男はしゅんとしてしまったので、仕方なくシホが手に持っていた最後のひとつを口に押し込んでやると、目を丸くした後に嬉しそうに咀嚼していた。



「ねえ、君の名前を教えて」


シホは首を傾げた。

目の前の男は、たまたま通りかかっただけのはずで、もう会う予定もないのだが。今さら名乗っても、呼ぶ機会はないと思う。

だが、期待に満ちた目で待っているのをむげに断るのも悪い気がした。


「私の名前は、シホ」

「シホ……。わたしのことは、ホオリと呼んで」


嬉しそうにシホの名前を呼ぶ男、ホオリを見て、喜んでくれたならいいか、とシホは頷いた。


そこでシホは、ホオリの髪がただの赤ではないことに気づいた。

よく見ると、シホの瞳と同じ熱した鉄のような赤茶であり、夕焼けのようなオレンジであり、すべてをのみ込む赤でもある。いろいろな見え方をする不思議な髪色だった。それはまさに表情を様々変える火のような色であり、シホにとっては好ましかった。

それから、先ほどまではなぜか気にならなかった瞳は、孔雀石のような緑青色だということも分かった。


その後もしばらく話をして、ホオリは去って行った。




翌日。

ホオリは再びやって来た。


「やあ、シホ」


にこにこと寄ってくる鮮やかな赤を見て、よほど栗が気に入ったのかとシホは驚いた。

同じ火の精が寄ってきたことは、おそらく今までなかったはずだ。

そして今日も歩いてやって来た。

ますます、人間なのか火の精なのか分からなくなった。


「今日は栗はないよ」

「え、そうなんだ…………」


残念そうにしているところを見るとかわいそうになってくるが、ないものはない。


「でも、君の熾した火がある。今日の火も、いい火だね」


栗はなかったが、ホオリはしばらく楽しそうに話をして去って行った。



それからも、ちょくちょくホオリはやって来た。

栗がある日もない日も、楽しそうに過ごして帰って行く。

そのうちにシホもこの不思議なお客に馴染んで、いつかの復讐の内容を口に出したりするようになった。

ホオリはおそらく人間ではないし、シホの怒りの感情を気に入っているようなので、こういったことを話しても構えることなく受け止めてくれて、話しやすいのだ。


「今日の火も、いい火だね」

「うん。……この火をあいつらに投げつけたら、よく燃えるかな?」

「君が怒りを向ける相手に?そうだね、燃えやすいものと一緒に投げたらいいのではないかな」


家と家族のような人たちを焼かれたシホの怒りは、今も全く治まっていない。

すぐには無理でも、必ず復讐は遂げるつもりだった。




機織りの家に帰ると、老婆が慌てたように駆け寄って来た。


「おお、シホ。無事だったかい」

「ババ様、どうしたの?」

「町の友人が来て、近くの村が襲われたと教えてくれてね。ずいぶんとひどくやられたみたいだよ」

「え、それじゃあ逃げないと!」

「いや、それは少し前の話でね。昨日、火の王が現れて全て焼き払ってしまったらしい。今はもう、盗賊はひとりも残ってはいないそうだ」


盗賊という言葉を聞いたとき、シホの体がぴくりと揺れた。


「おかげで、その村の住人もいくらかは生き残ったという話だ。ただ、火の王はもしかしたらこの辺りにまだいるかもしれない。気性が荒く恐ろしい精だというから、しばらくは気を付けておいで」

「そうなの?」

「……ああ、お前は水のお社でお仕えしていたから、火の精のことはあまり知らないか。大きな戦乱になると、火の王である神火の君が現れることがある。災禍が大きくなりすぎないように、神火ですべてを焼き清めるのさ。神火で清められた罪のない人々は、迷うことなく旅立てるというよ。逆に、罪人は地獄の業火のごとく苦しみぬいて焼かれるのだとか。それほどの火を扱うのだから、苛烈な方なのだろう。なんにせよ、人間とは違うものだからね」


焚火をしていると気軽に寄ってくるので火の精は気さくだという認識だったが、火の王はそうではないらしい。

意外な事実にシホが頷いていると、老婆は聞き逃せないことを言い出した。


「お前がいた水のお社も、ずいぶんときれいに燃えてしまっていたから、もしかしたら火の王が現れたのかもしれないね」

「火の王が…………?」




翌日、シホは襲われたという村へ行ってみることにした。

村を襲った盗賊というのが、もしかしたら水のお社を襲った奴らと関係があるのではないかと思ったのだ。


殺された人や破壊された家が無残な姿をさらしているだろうと覚悟して向かったが、盗賊に襲われたという村は、まったくそんな様子ではなかった。

遺体も建物も全てが焼き払われ、すっきりとした荒野の更地になっていて、ただ燃えただけだとはとても思えない光景だった。

これが、火の王が現れて神火で焼き清めたということなのだろう。人の手の為せる技ではない。本当に、すべてがきれいに均されている。



そこで、懸命に穴を掘っている村人から少しだけ話が聞けた。

神火に焚き上げられたので遺体はないが家族を弔ってやりたいのだと、墓を掘っているらしい。


「襲ってきた盗賊は、もしかして黒い隣国の旗を持っていませんでしたか?」

「……ああ、持っていたよ。あれはこの辺を荒らしまわっていた五人組の盗賊だね。それが急に攻めてきたんだ。こんな小さな村の何が良かったのか…………。でも、もうあいつらもいないよ。五人とも、装備も馬も何もかも全部、神火の君が焼き払ってくれたからね」

「そう、ですか」


この村人は、火の王が現れたときに村に居たのだという。だから盗賊たちが苦しみもがきながら燃やされるところも見ていた。

だが、火の王の姿はよく分からないのだそうだ。


「神火の君のお姿は、私らには見えなかったよ。ただ、盗賊たちが暴れまわっていたところに、恐ろしい何かがやって来たのは分かった。盗賊も壊された家も、あっという間に全てを焼き払って、その何かは去って行ってしまった。本当に人間とは違う存在なのだとしみじみ分かったね。噂では、神火の君は燃えるような赤い髪だという話だけど、それも本当かどうかは分からないさ」



村人に礼を言って立ち去った後、シホは水のお社跡へ向かった。

実は、シホがここへ来るのは、すべてが燃えてしまったあの日以来だ。

あの日、焼け跡からお社の人たちを探し出して、きちんと弔ってやるべきだったのだろうが、シホは怖くてできなかった。

復讐を終えるまでは、お社へ来るつもりはなかったのだ。


そうして湖へ行き、焼け落ちてしまった橋の向こうにある、水のお社の跡地を初めて見た。

岸辺から見ても分かるほど、そこはきれいに燃え尽くして更地になっていた。いくらよく燃えたからといって、普通の火でここまできれいに燃えるとは思えない。

これは先ほどの村とまるで同じ光景だった。

老婆が言っていたように、シホが立ち去った後、きっとここにも火の王が現れたのだ。



なんということだ。



シホの復讐は、すでに火の王が終えてくれていたらしい。

では、シホが復讐をする必要はもうないのだ。

しかも、家族のように一緒に過ごしていたお社の人たちのことを送ってもくれたようだ。

あのときシホが期待していた水の王ではなく、火の王が。




シホは、しばらく湖のほとりで立ち尽くしていた。

小島を中央に据えた湖は、以前と変わらず穏やかに凪いでいて、清涼な水の気配を漂わせている。神火で清められたからか、おそらくこの場所自体は水の精の守護を失ってはいないのだろう。

ただ、今はなぜか、湖を前にしても以前のような高揚感はない。それはシホが水の神子ではなくなったからなのか。

それよりも、神火の君が熾しただろう、お社を清めてくれた神火を見てみたかったと思った。



そう考えてからなぜか、ホオリに会いたいと、思った。


第2話は、明日30日の朝6時に投稿します。

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