プロローグ
最初に説明しておこう。
これは、俺が死に至るまでの物語だ。
ハッピーエンドを期待しているなら、読まない方が良い。初っ端から打ち砕かれる筈だから。
誰が人が死ぬまでの話なんか読みたいって思うか?
ご最もだ。だが安心して欲しい。
陰鬱としただけの話じゃない事は保証する。
もしこの話の続きを読むのなら、教えよう。
ある小説家の物語を。
小 説 家
それは、良く晴れた春の日だった。
まるで新たな門出を祝福している様に、雲は穏やかで風は木の葉を揺らしている。開花宣言を先週受けた桜は、まだ満開とは言えないが、今週末の嵐ではきっと大半は落ちてしまうだろう。
暑すぎず寒すぎず、絶好の昼寝日和。寝癖をつけたままの男はコンクリートの屋上に座って、持ち込んだノートパソコンに最後の文章を書いていた。
ダボついたスラックス、肩口のよれたニットベスト、襟首の潰れたシャツは、最後にクリーニングに出したのはいつだったか。
そんな呑気なことを考えながら、最後の文章を打ち終えると、ノートパソコンを置き、風に揺れる桜を見ながら草臥れた煙草に火をつけた。
男の吐いた煙が風に拐われる。たかだか10階建てのボロいビルでも、斜面に建てられたこの場所からの見晴らしは良い。
「…さて、そろそろか。」
特に干渉に浸る訳でもなく、面倒な打ち合わせにでも向かうように腕時計を見て、随分と値上がりした高価な煙草の残り三分程を吸い残して男は立ち上がった。
死ぬ時は普通、靴を揃えて残したり服を丁寧に畳んだりする物らしいが、男は特に気にしなかった。
便宜上備え付けられたお粗末な柵を乗り越え、風の吹き上がる縁に立つ。靴は履いたままだ。
男は一度振り返った。それは迷ったからではなく、ノートパソコンがきちんとそこにあるかを確かめる為だ。ちゃんとあるのを確認すると、満足した様に前を向き直す。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
さわりと風で揺れる桜の音に紛れる様に、男は屋上から飛び降り、36年と数ヶ月の生涯に幕を閉じた。
男が発見されたのは、それから数時間後。
屋上に残されたノートパソコンから発信された、最後のメールを受けた担当が第一発見者だった。
メールには簡素に「最後の小説が書き上がりました。どうぞ取りにきて下さい。」の言葉と、男の最後の場所となったマンションの住所が書かれていた。
遺作となった小説はその作品性から一時社会問題となり販売中止になったが、ほとぼりの冷めた頃、一人の男の自費出版により日の目を浴びた。
作品のタイトルは「小説家」
それは、作者本人による自伝小説だった。