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2019年/短編まとめ

ショートケーキの幸福論

作者: 文崎 美生

オフホワイトを基調としたリビングは落ち着きがあり、その空気感に溶け込むようにして(サク)ちゃんは、分厚いハードカバーの小説を開いていた。

パラリ、とページの捲る微かな音が耳に心地好い。


淡い花柄のティーカップに注がれた紅茶は、白い湯気をゆらゆらと立ち上らせている。

茶葉はニルギリと言っていた。

ティーカップと揃いのデザートプレートの上には、ちょん、とワンピースのショートケーキが乗っている。

レースのような生クリームのショートケーキに合わせて、癖の少ないニルギリにしたようだ。


ミネラルウォーターを使い、ポットもカップも温めるゴールデンルールに沿って淹れられる紅茶は確かに美味しい。

紅茶だけではなく、コーヒーを淹れるのも上手で、学生の頃は苦手だと言っていた日本茶も年々丁寧に、上手に淹れている。

感心しながら、紅茶を啜り、俺も読み掛けの雑誌を捲った。


すると「そんなもので幸せに成れるなら、世界は平和だね」と言われる。

はて、何のことか分からずに顔を上げれば、つまらなさそうな顔をした作ちゃんが俺と雑誌を見比べた。

淀みのない黒目を見て、俺もまた雑誌を見下ろす。

すぐに、何のことを言っているのか分かった。


雑誌はテレビの合間に入るCMのような広告で、そこには一昔前によく見かけた『幸運のブレスレット』と大きなフォントで踊っている。

太い黒い縁取りに呆れすら覚える、使い古されたデザインだ。

『○○人が実感!』とか『これでは私は○○になれました』とか、オブラートに包んでも、ないわぁ、と言ってしまうような見出しが並んでいる。


「そんな高いもの買わなくなって、数百円のケーキで幸せになれるのにね」

「何百万円と比べるとすごくお手軽だねぇ」

「どういたしまして」


広告に書かれているブレスレットの値段にげっそりしながら言えば、小さく肩を竦めた作ちゃん。

そのまま、静かに小説に金属で出来たブックマーカーを差し込み、パタリと閉じる。


「それに、崎代(サキシロ)くんだって大差ないでしょう」


黒い瞳がまた俺に向けられる。

疑問符を付けずに断定され、乾いた笑い声を漏らすが、まぁまぁ、概ね間違いはなかった。

ティーカップの持ち手に指を絡め、湯気を立てる紅茶を飲み込み、細く息を吐く。


「まぁ、確かに。作ちゃんとお茶できるだけで幸せだよ」

「何そのプライスレス思考。怖い」

「ひどい」


銀色に輝く細いデザートフォークを持ち上げた作ちゃんは、理解出来ないものでも見るように眇めた黒目で俺を見た後、静かにショートケーキの角を削いだ。

三角形の天辺が、作ちゃんの口の中に消える。

小さく動く口元を見ながら「そもそも」と言葉を続けた。


「作ちゃんが用意するお茶って、高いんだよね」

「……」

「ほら、目逸らした」


ニルギリは紅茶初心者にも進めることができる、癖の少ないさっぱりとした口当たりだ。

値段も本来なら手頃なものでワンコインで買えるようなものだが、作ちゃんは決まったお店で決まったメーカーのものを数千円で買う。

この辺は全くもってプライスレスではない。


自覚があるので作ちゃんは目を逸らしたが「美味しいもの」と呟く。

そうだね、と頷きながらもニルギリ以外の茶葉も似たような買い方と値段で、紅茶に留まらず珈琲豆も右に同じ状態だ。

日本茶類も然り。


「まぁ、作ちゃんの淹れてくれるお茶は美味しいよ」

「そりゃどうも。それで?」

「うん?」


ケーキを小さく削り取りながら、口の中に放り込んでは、ゆっくりと紅茶を飲み込む作ちゃんが、緩やかに首を傾けた。

俺も問いかけられた意味が分からず、首を捻る。


「もっと他に無い訳?いくらボクがお茶にお金を掛けていたとしても、ご相伴に預かってる崎代くんはやっぱりプライスレスでしょう」

「うーん、まぁ、そうだねぇ」

「だから他に無いの?」


丁寧にケーキを切り崩していく作ちゃんは、薄く唇を開いて食べ進めていく。

柔らかなスポンジを押し潰してしまわないように、綺麗に片付けられていくケーキを見ていたが、丁度イチゴの辺りに辿り着くと、イチゴだけが、ちょん、とデザートプレートの端に追いやられる。

作ちゃんはショートケーキのイチゴは最後派なのだ。


「正直、このままだと、崎代くんはボクよりもお手軽だからね」と言われてしまい、苦笑い浮かべた。

紅茶を飲みながら、俺もデザートフォークを持って、うん、と頷いてみせる。


「新しい画材が手に入ることとか」

「うん」

「時間かけてた絵が完成した時とか」

「うん」

「締切よりも前に完成した時とか」

「分かる」

「美味しいものが食べられるとか」

「うん」

「干したての布団で昼寝とか」


デザートフォークを持ったまま、指折り数える。

作ちゃんはゆるゆると相槌を打ちながら、時折共感の強い事柄に関しては語気を強めた。


そうして、それからそれからと今思いつく限りをなるべく並べ、作ちゃんを見る。

長い前髪を横に流しているので、その顔に浮かべる表情が確認できた。

表情筋が存在しないような無表情だが、無感情ではなく、俺の視線に気付けば首を捻る。

いつも髪を結わえている水色のシュシュが鮮やかだ。


「あと、作ちゃんが生きてること」


もぐり、作ちゃんが結局ケーキを倒さずに、綺麗に最後の一口を口内へ運んだ。

もぐもぐ、唇をしっかりと閉じて咀嚼。

それを飲み込んだ後、一拍二拍と置いて「怖っ」と一言だけ吐き出した。


「え、怖くない怖くない」

「いや怖いよ。何なら不可解だよ」

「なんでさぁ……」

「だってボク崎代くんが生きてて幸せ〜とか、そういうの無いもん。ましてや、ボクが生きてる事で誰かの幸せになるとかもう怖い。そんな期待背負えない」


無理無理、やだやだ、そう抑揚のない声で言いながら首を振って見せる作ちゃん。

そうして、ポイ、と最後のお楽しみであるイチゴを口の中に放り込んだ。

咀嚼して咀嚼して、飲み込んで、今度は紅茶を飲み込み「嗚呼、でも」と続ける。


「崎代くんが生きてて幸せとか思わないけど、ボクよりも先に死んだら悲しいとは思うよ」


カチャリ、ティーカップとソーサーが擦れて高い音を立てた。

落として上げられた気分だ。

つい、ポカン、とした間の抜けた顔を見せてしまったが、作ちゃんは大して気にしていない様子で、本の硬そうな表紙を指の腹でなぞった。


それを見ていられなくなり、顔を覆って俯く。

肘をテーブルの上に置いたら、ソーサーかデザートプレートにぶつかって甲高い音がした。

しかし俺は、顔が熱いということの方が現状大事で、あー、とか、うー、とか小さく唸る。

作ちゃんは態とらしく空笑いをした。


「それはそれとしてね」

「うぅ、なに……?」

「今直ぐに、崎代くんがボクを幸せにする方法があるのだけれど」


相変わらず抑揚のない声だけれど、俺は顔を上げた。

淀みない黒目と同じで淀みない黒髪が、元々白い肌を更に白く見せている。

不健康そうにも見える顔色だけれど、当の本人である作ちゃんは本の表紙をなぞっていた指先を、静かに俺の方へと向けた。

桜貝のような小さな、それでもしっかりと形の整えられた爪が、まだ手付かずのショートケーキを指し示す。


「え?」訳が分からず眉を寄せた。

それから、俯いた時にズレた眼鏡を押し上げる。

作ちゃんは目を軽く細めて「苺」と言う。


「その苺を今直ぐくれれば、ボクは幸せになれる」


指先は相変わらずイチゴを指し示している。

よくよく見なければ分からないほどに薄い笑みを浮かべる作ちゃんに、今度は俺が空笑いのような乾いた笑い声を漏らす。

持ちっぱなしのデザートフォークを行儀も悪く一度回し、そのままの勢いで生クリームの台座に座るイチゴに突き立てる。


「はい、どーぞ」


仕方ないなぁ、ともいえる心情でイチゴを差し出せば、ぱかりと口を開いた作ちゃんがイチゴを食む。

白い歯が赤く柔らかな実に差し込まれたと思うと、そのまま軽く顎を上げて口の中にイチゴを収める。

吸い込まれていったイチゴを見て、苦笑いのような、仕方ないなぁという心情を表情に変えた。


それでも、作ちゃんはそんな俺の顔を見ながら咀嚼咀嚼と繰り返し、それを飲み込むと口角をきゅうっ、と引き上げる。

綺麗な曲線を描く唇は、やっぱり、態とらしいと思える笑みだ。


「うん、うん。良き。美味しかった」

「それは良かった」


イチゴよりは薄い色の舌が唇を舐める。

満足そうに息を吐いた作ちゃんは、そのまま行儀も気にせずに残った紅茶を煽った。

正直、拘りが強い割に、変なところが大雑把だ。

それでも「ご馳走様でした」と両手を合わす。


「うん。あのね、作ちゃん」


空いたデザートプレートにデザートフォークを置き、ソーサーの上にティーカップを乗せたまま、両手を塞ぐようにして持ち上げた作ちゃん。

椅子をガタガタと鳴らして立ち上がったのを見上げれば、横に流していた前髪がハラハラと落ち、その表情を見にくくした。

視界が悪くなったはずなのに、作ちゃんは気にもせずに「ん?」と短く先を促す。


「お誕生日おめでとう。生きててくれて、ありがとう」


俺は笑う。

すると作ちゃんは、すぅ、と目を見開く。

静かな表情の変化は、俺の瞬きの間に消え去り、顎を僅かに上げて不敵な笑みを一つ、見せた。


「産まれて来て、じゃないところがらしいかな」


カチャカチャと重なった食器が高い音を立てる。


「如何致しまして。それから、祝ってくれて有難う」

「どういたしまして。作ちゃんを幸せにできて、俺も嬉しいよ」


各種食器を洗うためにキッチンへ向かう背中を眺めて、俺はイチゴの乗っていないショートケーキに、今度こそデザートフォークを差し込んだ。

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