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首都北部の新興住宅街の外れに、大きな映画撮影所があった。駐車場にはイタリア製やドイツ製の高級外車が並んでいた。
撮影所の裏口から白いコンパクトカーが出てきた。運転席に星美、助手席に女優の五代辰砂が乗っていた。
辰砂はリボンネクタイとブレザーの真面目な制服姿。黒髪をブラウンアッシュのワンカールパーマに巻いて、膝上に家が買える値段のバッグを置いていた。ティーン向けのデートムービーを撮影していたが、休憩時間を利用して抜け出してきた。
星美はショールカラージャケットのスカートスーツ。辰砂の隣に座っていると、教育実習の女子大生に見えた。
車は住宅街を走った。辰砂は信頼しきった顔で目を瞑った。
「こういう時にチャラチャラ映画作って現場の兵隊さんに申し訳ないと思わないのか、って言わないセイミンが大好きだよ」
「他の人がどう思うかは分からないけど、私は皆がいつも通り暮らしてるのが一番嬉しいよ。今どんなの撮ってるの?」
「JKが幼馴染のユニコーン男子とイケメンピュア同級生とサッカー部のハニカミクール王子と鬼畜眼鏡担任に告白される映画」
「チャラチャラしてんじゃねーよ!」
辰砂は花咲くような笑顔で笑った。
新しい街だった。植えたての街路樹は細く、作りたての道路は広かった。
新築だらけの民家の中に、茅葺の古い農家が建っていた。家に隣接して畑があり、蔵があった。無人除草機が畑の雑草を取っていた。
ここは故人の映画評論家、馬渡真澄の屋敷である。杉野は生前、真澄の遺族から敵国大統領の出演映画を借りていた。
二人は母屋の表座敷で真澄の息子、馬渡仁喜多と対面した。フォーマルスーツを着た幸徳秋水似の男である。芸能人を前にして緊張した様子だった。
辰砂は頭を下げて感謝した。
「今日はお時間取っていただき、ありがとうございます」
「いえ!いえこちらこそ!一生の自慢になります!」
辰砂は凛とした表情で微笑んだ。ニキタはお絞りで手を拭いてから、訪問者リストと名刺入れを机に置いた。
「蔵を見せて欲しい、資料を貸して欲しいという研究家はたまに来ます。杉野は去年の十二月九日に来ました」
「拝見しても?」
「どうぞどうぞ!」
辰砂はリストを確認した。杉野は去年十二月九日に「坂本龍馬のお通りだい」というタイトルの映画を借りていたが、返却はしていなかった。
「この『坂本龍馬のお通りだい』ってどんな映画ですか?」
「私も見た事はないんですよ。蔵の底から奇跡的に見つかったので」
「杉野は一人でこちらに?」
「はい。吉峰農民文庫の吉峰毅先生の紹介でした。これが先生の紹介状です」
ニキタは巻物の手紙を開いて置いた。星美は内容を確認した。
達筆すぎる字でまるで読めなかったが、何とか「差し上げた」「思い出し」「敬具 吉峰毅」は読み取れた。杉野に言われて思い出した、昔お前の父親に渡したのが多分あるから貸してやってくれ、といった内容だった。
「半年の約束で貸し出しました。結局まだ返ってきていません。殺人犯を信じた僕が馬鹿でした」
「吉峰先生と馬渡先生は昔からお付き合いがあったんですか?」
「はい。今でも秋には農場から野菜を送ってくださいます。何でも美味しいですよ」
「ベルリン陥落の幻のダーチャ上映版を家宝になさっていた馬渡先生と、宮沢賢治研究の第一人者の吉峰先生には交流があった。納得しづらい話ですが、この家を見れば腑に落ちます」
「息子の私から言わせてもられば、父はただの農家でした。生きていた頃は機械なんて絶対使わせなかったな」
「馬渡先生がウィリアムモリスに言及なさる時の熱量を以前から怪訝に感じていました。
吉峰先生は去年夏にお倒れになられた」
「先生もお年ですから、心配です。二度お見舞いに行きましたが……」
「他にどんな方がお見舞いに?」
「ご家族と、それと農場の方」
「吉峰先生が都市解体を唱えて設立された北地人協会ですね。写真あります?」
ニキタは携帯の写真を何枚か見せた。その中に気になる一枚があった。
窓を開けた病院一階のベッドで、ごま塩頭の痩せた老人がジュースを飲んでいた。顔は土色で、死期の近さを感じさせた。
窓から駐車場が見えた。
手前に「北地人協会」の軽ワゴンが止まっていた。
奥によく手入れされたセダンが止まっていた。ルームミラーモニターは上下二段付いていた。
二人は玄関で挨拶して家を出た。ニキタは頭を下げて見送った。
二人は庭先に立って車を待った。庭の蔵の横に、「エスペラント野菜 北地人協会生産」の段ボールが置かれていた。
星美は「どういう事?」と星美に尋ねた。
「馬渡は実は優しいアスパラベーコン系男子で、吉峰は実は狂暴なロールキャベツ系男子だった。二人は趣味の野菜作りで繋がっていた」
近くの駐車場に止めた車が自動運転でやってきた。辰砂は説明を続けた。
「吉峰は日蓮系カルトの残党を集めてレーニン系カルトを設立した。だけど吉峰は脳梗塞に二回かかっている。あの手紙の字を見たら分かるように、動ける体ではなかった」




