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首都南部の郊外の高台に、「五代」の表札を付けた唐門があった。広い敷地は鬱蒼とした屋敷森に覆われていた。
森の中に、接待用のチューダー様式の洋館と、日常生活用の数寄屋敷が建っていた。
朝、数寄屋敷の竿天井の和室で、星美とゴダイ社長は朝食を取っていた。
星美はベルスリーブのブラウスに、ミニのマーメイドスカートを合わせた服装。社長はスキッパーシャツとジーンズのラフな格好。二人の前には蓬莱庭園が広がっていた。
社長はやつれ気味の星美を心配した。
「大丈夫なのその人?騙されてない?あなた、集中すると視野が狭くなるから」
「自分で捜査するって決めました。社長には迷惑かけません。私の力で必ず引っくり返します」
「あなたの力というのは、あなたを大事に思ってくれている人の多さ。ね、もっと私を頼って。友達だって思ってたのに、水くさいよ」
星美は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「うん、お願いされた」
二人は顔を見合わせて微笑み合った。
「ところで、今日の予定は?」
「午前中は防衛省でお勤めして、午後からシンさんの所に行きます」
「夜は何かある?」
「今の所は何も」
「じゃあさ、私の代わりに娘と晩さん会出てくれない?行きたくないんだよね」
了介は朝一番でリサイクルショップを訪れて、ノートパソコンと、一山幾らのジャンク携帯を段ボールごと買った。
同じ頃、ガレージの帯刀はコアブロックをレーザーカッター一本で切り分けていた。マグロの解体ショーのようだった。
作業は全てカメラの前で行った。切った部品は床のブルーシートに並べられた。
マグロで言うと心臓の部分に、コーン型のコアユニットが入っていた。
コアユニットを切ると、中には丸めた紙くずが大量に入っていた。掻き分けていくと、オレンジ色に光るコア素材が入っていた。大きさはクルミサイズだった。
クルミは急速に光を失った。慌てて中に戻そうとするも、クルミは砂に変わってしまった。
了介が「ただいま」と帰って来ると、帯刀はこの世の終わりのような顔になっていた。
帯刀は気を取り直して、中の紙くずをホワイトボードに張り付けていった。
その隣で、了介はジャンク携帯を改造した。分解してチップを付けたり外したり、ノートパソコンとケーブルで繋いだり、携帯の裏に両面シートを張ったり。
帯刀はページを張りながら言った。
「これ、カルトの教典だぞ。一九三六年に地球でハルマゲドンが起きて、日蓮宗が世界統一国家を作るとか言ってる」
「経典の力でコアをパワーアップさせようとした。カルトの何がいいんだろう」
「脱会信者に治療の一環で『好きな絵描け』って言うと、ボロボロ泣くんだって。『何を描いたらいいか分からない』って。全部教祖任せが気持ちいいんだろうな。あいつらの最大の苦痛って、自分で選んで決める事なんじゃね」
了介の作業が終わった。
「外回り行ってきます」
「うーい」
帯刀の方も終わった。
紙は全部で四百六十九枚。タイトルは「銀河精神の統制(前編)」。作者は渡辺月召。版元は兵事撮影社。表紙はなかった。
渡辺の正体は分からない。兵事撮影社は昭和前期の総合国策メディア会社で、軍関係の映画や著作を多数発表していた。
内容はこのようなものだ。一八八五年、日蓮の使いが岡山に現れる。日蓮の使いは一九三六年に起こる第二次世界大戦で姿を現し、日蓮宗を国教とする世界統一国家「妙宗大聖国」を建国する。その後、使いは宇宙の霊的統制を唱えて地球を旅立つ。
文体は古かった。
―「敗戦は将帥が戦敗を自認するによりて初めて生ず」
―「機に応じて戦略を律せざるが如く着意するを要す」
―「先制主導権を拡張し強者の法則を強制せしめんか」
作中には日本軍高級幹部の養成テキストから幾つか引用されていた。例えば、「敗戦は将帥が戦敗を自認するによりて初めて生ず」。これは「負けたと思った方が負け」だ。テキストは戦後も極秘扱いで、一般公開されたのは一九七〇年代以降だった。
作者の渡辺が当時の陸軍現役幹部だった可能性はある。もしくは、後世の誰かが当時の軍人になりきってこれを書いたか。
了介は高分子材料製の宇宙服を着てシャトルの貨物室に立っていた。肩にはメッセンジャーバッグをかけていた。
シャトルの気密扉が開いて、宇宙空間が現れた。了介はシャトルから飛び降りた。
前方に何かが見えてきた。段々はっきり見えてきた。地桶軍の輸送船団だった。艦橋に地桶のホログラム国旗が掲げられていた。
船団は護衛の旧式駆逐艦二隻と、民間輸送船四隻で構成されていた。駆逐艦は小さな船体に多様な兵装を少量づつ乗せていた。民間船は急遽徴用された物で、船種はばらばらだった。貧乏な敵は戦闘部隊ばかり強くしていた。
了介は上空から輸送船団に接近した。旧式駆逐艦の対空システムは、バイク以下の速度で動く非金属物体には反応しなかった。
了介は民間ローロー船の甲板に降り立った。
旧式戦闘ロボが周囲を警備していた。オート三輪の胴体に、両手と三本足を付けたロボである。
了介は背後から忍び寄って、ロボのメインカメラに携帯を張り付けた。携帯は撮影のフラッシュを連発して、ロボの目を眩ませた。
ロボは動けなくなった。その隙に背中をレーザーカッターで切り裂いて、手で強引に中の回路をちぎったり繋いだり、改造携帯を差し込んだりしてロボのコントロールを奪った。
了介はメインカメラの携帯を剥がして、物理ハッキングされたロボを操作した。
ハックロボは了介からメッセンジャーバッグをもらって、船内に入っていった。
ハックロボは別のロボに会うと、信号を送って相手の背中のハッチを開けさせた。そして中の回路をひっかき回して、改造携帯を差し込んだ。別のロボはコントロールを奪われた。
ハックロボは改造携帯で仲間を増やした。仲間になったロボは船のコントロールルームで銃を乱射したり、ロボの格納庫で自爆したりした。
了介はエレベーターで船内倉庫に下りた。
銀行の金庫室のような部屋だった。中には大量の金塊が蓄えられていた。
金の表面には重さを示す「10‐10・1K」と、所有者を示す「地桶共和国 中央準備銀行」の刻印が印されてあった。敵が金を借りるために用意した金塊だった。
首都のビジネス街を、警備会社の輸送トラック数十台が走っていた。通行人はカメラを向けた。
車列はローマ神殿銀行前で止まった。先頭のトラックから、コブダイスーツの了介が降りてきた。
銀行内は騒然となった。銀行員が対応で揉めていると、正面玄関から了介が入ってきて、整理番号を引いて座った。
身なりの良い銀行幹部がやってきて怒鳴った。
「一体何のつもりです!」
「口座を作りたいんです」
「警察呼ぶぞ!呼んだからな!」
幹部は実際に一一〇番した。
了介は書類ファイルを差し出した。
「金塊二千トン持ってきました」
幹部は言葉を失った。
「犯罪のお金ではありません。たまたま対外起債用の金塊を輸送する地桶軍の艦隊に出会ったので、交渉して弊社にタダで譲ってもらいました」
「俺がいる限り何も貸さんぞ!口座も作らせん!」
パトカーの音が近付いてきた。
了介はファイルから飲み屋の伝票を取り出した。
「分かりました。一週間前、金融庁監督局の鴨井銀行課長を『どすこいキャバクラ ピンク回しでハッケヨイ 兵左衛門町場所』で接待なさった牧内洋二郎さん。では担当者を変えてもらえますか?」
周囲の銀行員はうろたえる幹部グループを冷ややかに眺めた。




