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大河北岸の中心部に、ヴォーバン式の宮殿があった。五稜郭風の城塞で、石垣と水壕が五角形の星の形を成していた。
宮殿の南側には旧朝香宮邸風の首相官邸と、渡辺福三案の国会議事堂が建っていた。前庭に、白地に金の源氏車の国旗がはためいていた。
宮殿の西側にはボザール建築の官庁街が広がっていた。ワシントンDCを模した白亜の街並みである。
官庁街の一角に、国軍を統括する防衛省庁舎があった。飾り気のない大きな建物で、ひたすら堅牢性を重視したデザインだった。
このビルの一室に、軍上層部が集結していた。出席者は皆厳しい表情で口をつぐんでいた。
この場で最も席次が高いのは、事務次官の有働佑である。豊かな白髪をポマードで整えた老紳士で、省内では閣下と呼ばれていた。
軍を実際に指揮監督するのは、小柄でおしゃれな作戦局長、道重俊作である。服装には十分な金をかけ、つまらない感情は表に出さない。英国紳士の鏡のような男だった。
閣下は沈黙を破って発言した。
「ともかく、僕はこれから官邸に詰める。官邸から正式な指示が来るまで絶対に動いてはならない。
何十年も争ってる所にホイホイ仲裁に入ったらこのザマだ。僕は今まで大小七十二回戦って、六十九回勝って二回負けて一回引き分けた。その僕が大戦争になると、税所総理に直々にレクチャーしたんだが」
作戦局長は閣下をなだめた。
「終わった事です。我々は今、救国の名将となるか、亡国の佞臣となるかの分かれ道に立っている。我が国の正義を輝かせましょう」
「分からんな。秋宗は軍をコントロール出来ているのか?」
「何の勝算もなくGDP比で八対一の国に攻め込みません。敵は例の秘密兵器を保有して強気になった」
「だから、矢田堀に丸め込まれたんじゃないのか?何も知らないニュースキャスター上がりが、地桶の大統領として、皇帝にも等しい権限を与えられている。彼はこの世で最も恐ろしい素人だ」
「どんな兵器であれ、我々の用兵術が必ず敵の野望を打ち砕きます」
会議は散会になった。作戦局長と三好作戦課長は退室して廊下を歩いた。
三好はチベットスナギツネ顔のエリート官僚である。三つ揃えのスーツを真面目に着こなしていた。
職員は顔面蒼白で廊下を走り回っていた。二人に敬礼しない者もいた。どの部屋からも電話の呼び出し音と怒鳴り声が聞こえた。
チベットは呟いた。
「終わりですね、皆殺される」
「国を見捨てるのか?」
「落ちるナイフを掴む馬鹿はいません。初動対応が終わったら退省させてもらいます」
二人はエレベーターに乗り込んだ。
外から「あー待ってください!」と声がした。作戦局長は開ボタンを押して、誰かが乗り込んでくるのを待った。
安スーツに眼鏡の男が入ってきた。
防衛局長の小久保昌大。地味で実直な男である。服装には金はかけない。見た目は中学校の数学教師といった印象だった。
議会や財務省と交渉して予算を取ってきて、それを各所に配るのが防衛局長の仕事だ。省内席次は次官の下だが、しばしば防衛局長が大臣に次ぐ№2として扱われる。戦時には国家予算の半分が無条件で防衛省に与えられ、それを防衛局長一人が差配する事になる。彼は着飾る必要がない男だった。
作戦局長は「何階だ?」と尋ねた。「四階です」と防衛局長。
エレベーターが動き出した。防衛局長は作戦局長に話しかけた。
「大変な事になりました。まさか向こうからやってくるとは」
「我々が勝つ。それは間違いない」
「政府の唯一の対策は『攻めてくるはずがない』と思い込む事です。それで、相手を挑発するから我々には何もするなと。勝てますかね?」
「政府を信じる以外、軍人に何が出来る?」
エレベーターは四階の情報局で止まった。ここも大騒ぎだった。
防衛局長は「それでは」とエレベーターから下りた。チベットは彼を追いかけて、廊下で問い質した。
「敵は国内のカルト集団に軍事支援を与えて、開戦奇襲と同時に首都攻撃を計画しています。政府は確認が取れるまで動くなと言っていますが、手柄首目当てで勝手に動いているグループがいます」
「だけどオペレーター回線を押えたら何も出来ない」
「昨晩、羽生山から特務仕様の有人機が一機消えました。情報局のプロ二人も行方をくらましています。大臣は軍のガバナンス不全を苦にして自殺したのでは?」
「こういう情報もあります。照石疑惑を最初に報じた北辰日報の記者が今朝から行方不明です。北辰の軍関係の記事は、大臣周辺がネタ元としか思えないほど確度が高かった。軽々に自殺と判断するのは早いんじゃないかな。
三好君はさ、軍部独裁を防ぐのがシビリアンコントロールだと思ってない?好戦的な軍人と空想的な宗教家を排除して、常識的な市民に委ねるのが本来の意味ですよ。今の政府は馬鹿の独裁じゃないですか。確かに閣僚の四割は市民活動家上がりですがね」
防衛局長は廊下を歩きながら、「情報局 八課 中村課長」にメールした。チベットはその場に突っ立ったままだった。
―「小久保です。盗んだのバレちゃったから、サクっと決めちゃいましょう!」




