世界のメガネ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふへ〜、昨日の雨も散々だったねえ。風も手伝ってうるさいのなんの。寝るのに時間かかっちゃったよ。おかげで眠たくって……ふああ〜。
今は見ての通り止んでいるけど、空は変わらず暗いまま。天気予報でも「今日は一日、ぐずついた天気になるでしょう」だってさ。
ごらんよ。まだまだ道路にも水たまりが残っているじゃないか。ここからは車が飛ばす水はねとの戦いになりそうだ。うまくかわしていかないとね。
にしても、水たまりか。一個一個だったら気にしないんだけど、少し間隔を置いて二つ並ぶという場所は、ちょっと気になっちゃうな。昔、不思議な体験をした関係でね。
――お、やっぱり食いついてくるかい?
まあ、登校中の時間つぶしにはちょうどいいだろう。おあつらえむきに、「移動」に関する話だしね。
小さい頃。僕は時間にルーズな人間だった。
なぜなら集合時間は把握できても、「集合場所に着くための、所要時間」を把握できていなかったからだ。
最初は連絡されていた集合時間に、家を出発するという有様。当然、集まっていたみんなからは総スカンを食らう。
当時の僕には理解ができなかった。
集合時間とは、すなわち開始時間。家に帰るまでがイベントというのなら、家から出た瞬間からが、イベントの始まりのはずだ。僕は何も後れをとっていないはずなんだ。
なのにどうして……僕は責められる? 無駄な時間を使わせられる?
家を出るまでの一分一秒。全てが僕の時間のはずだ。なぜそれを所要時間などに奪われなくてはいけないんだ?
でも、そんな僕の事情を、みんなは理解してくれない。重なっていく悪感情をやわらげようと、親が「もう出なさい」と声をかけてくれるようになったけど、僕の中の不満は収まらない。
――所要時間を限りなくゼロに、できやしないのか。
そう考える僕は、いつしか時計を頻繁に確認する子供になっていた。
その僕に大きな衝撃を与えてくれたのが、小学校2年生になった時のこと。
僕はある友達のひとりとウマがあい、二人で出かけて遊ぶようになっていたんだ。いまだに母親にせっつかれて、ぎりぎりに家を出る僕に対し、彼は必ず時間前に、待ち合わせ場所で僕を待ち受けていた。
その姿勢を見るうちに僕も思うところが、少しずつ変わってくる。母親に任せて、ぎりぎりの時間に出発するのは良くないのではないかと。
もっとも、時間を守る使命感より、彼を待たせていることに対する罪悪感と言った方がいいだろう。
けれども、「彼は本当に、あらかじめ待っていたのだろうか?」。そんな疑問を感じる出来事が起こったんだ。
それは夏休みに入って、少したってからのこと。その日も彼と遊ぶ約束をしていた僕だけど、集合時間でささいなミスをしてしまった。
夏休みに行われる、昔のテレビアニメの再放送。友達も同じものを見ていて、話題に上がることがしばしばあった。その番組終了直後の時間を集合時間にしてしまったんだ。
気づいたのは直前。友達からも連絡はなく、訂正する機会を得られないまま、今に来てしまった。
番組を最後まで見ていたら、集合時間に間に合わない。その日、初めて僕は自分からアニメの誘惑を振り切り、友達が待っているであろう場所へ急いだ。
僕と彼では、かかる時間はさほど変わらない。ましてや早く待っている彼だったら、アニメの内容を知る術はないはずだった。
果たして、すでに集合場所に彼はいた。
出会うや、彼の方からあのアニメの話を振ってくる。当初は僕と同じでギリギリまで粘っていたのだろうと思ったんだけど、やがて意外な言葉が出てくる。
「いや〜、まさか終わり10分で、予期せぬ放送事故でアニメが途切れちゃうなんてさ。びっくりしたよ」
僕には、にわかに信じがたかった。
仮に、アニメを知っている誰かから、前もってアニメの内容を聞いていたとしたら、最後までその結末を口にするはずだ。
放送事故などという、わざわざ起こる可能性が低いことを持ち出す意味がない。
――アニメが見られなかったことに対する、負け惜しみ? いや、それにしては声の響きが残念そうだった。まさか、本当に?
僕はその時、疑念を表に出すことなく、友達と過ごした。だけど、帰ってからアニメを見ていた他の人に尋ねたところ、あの時、本当に放送事故が起きて、予定されていた放送時間いっぱいまで、アニメが中断されていたことが明らかになったんだ。
友達は本当のことを話していた。僕の抱いた疑念は、ますます大きなものになっていく。
彼は、移動時間をぎりぎりまで切り詰めることのできる、何かしらの手段を持っているに違いない、と。
まだ10年も生きていなかった、がきんちょの僕。腹芸など、こなせようもなかった。次に彼に会った時、真正面から彼に自分の考えをぶつけたんだ。
ひょっとすると、彼も自分の発見をひけらかしたかったのかもしれない。にやりと笑うと、その種明かしをしてくれた。
友達曰く、この方法には特殊な条件下にある「水たまり」を使う必要があるとのこと。
発見は偶然だった。今から三ヶ月ほど前、学校へと向かう道すがら、友達は冠水した歩道を歩いていたんだ。年季が入っており、ところどころにひびが入ったもの。
水たまりは道の両端だけにできていて、中央部に関しては、すでにひびの中へしみこんでしまったのか、水たまりはない。友達はそこへ足を踏み入れる。
一瞬、ひび割れが開いた気がした。左右の水たまりからわずかにあぶくが湧いたかと思うと、水面そのものが盛り上がるような感覚に襲われ……。
気がつくと、本来ならば十数分はかかるであろう、学校の正門近く。そこの脇にある、某企業の駐車場入り口に立っていたんだ。
そして足元には、先ほどの歩道で踏み入った時とほぼ同じ形。
舗装された歩道と、むき出しの地面の違いはあれど、両端に控える2つの水たまり。そしてそこをつなぐように渡された地面の溝、といったシチュエーションだったんだ。
それから友達は、試行錯誤を繰り返して、ある程度の性質を理解し始めた。
間隔を開けて並んだ、2つの水たまり。それをつなぐ、長い溝やひび割れ。
そしてひび割れの真ん中に足を踏み入れると、同じような条件を持った地形へ飛ぶことができる。一瞬で。
どうやら飛ぶ場所によって、到着場所も固定されているらしい。そして、一日に一回しか飛ぶことはできず、次に行うためには一度、水たまりを作り直す必要がある、と。
友達はこの現象を「世界のメガネ」と名づけた。
2つの水たまりはレンズ。踏み入る場所はメガネのブリッチ部分。自分はそこにしがみつくことによって、メガネを使おうと試みた「何か」と一緒に動くことができるのだろう、と断じた。
突拍子もない発言にとまどう僕だが、友達は論より証拠とばかりに、三日後に再びここへ集まる約束を提示してきた。そこで「世界のメガネ」をお目にかけると。
そして当日。彼に案内されてやってきたのは、いつも使っている集合場所から、さほど歩かない雑木林の中。彼についていった先に、木の枝でつけたと思しき横線と、その両端に位置する水たまり。
なるほど、木の枝で作った溝ならば急激に水かさが減ることはなく、直射日光を避けることで気温を下げ、蒸発の危険を防ぐ。地面の自然吸収にのみ気をつければいいという環境づくり。
「今まで複数人で試したことはない。もしかすると、タイミングがずれると変なところへ行くかもしれないんだ。『いっせーのせ』で、一緒に踏み込もう。前フリじゃないからな」
――どこに行くか分からない。
その言葉にごくりとつばを飲みながらも、僕は目の前に横たわる「未知」への足を止められない。ほどなく、すっと片足を上げていた。
「いっせーのせ」と友達の声。お互いワンテンポ遅れて、同時に溝の真ん中を踏んだ。
足元で、溝が幅を増した気がした。友達に聞いていた通り、水面にあぶくが立ちはじめ……。
まばたきひとつで、世界が変わった。
そこは友達の家のすぐ裏手にある、駐車場の隅。歩いても一分で友達の家まで行ける地点だった。
「成功だ。二人同時に」と喜ぶ友達。僕も最初は実感が湧かなかったが、そのまま友達の家を訪れ、彼のお母さんが顔を見せたことで、まぎれもない現実だと思わざるを得なくなったんだ。時間はあの雑木林にいた時間から、ほんの数秒しか経っていなかった。あそこからどんなに急いでも、ここへは15分はかかるのに……。
その時に僕が抱いたのは、楽しさよりも、怖いという気持ちだったんだ。
友達はその日からずっと、バケツと木の枝を持っては、あちらこちらの地面へ溝と水たまりを作り、どこへ飛ぶのか実験を繰り返していたらしい。ことあるごとに、僕に報告をくれた上に、地図まで作る熱心さだったんだ。
僕は表向き、彼の努力を称賛しながらも、それを利用する気にはなれなかった。
あの日。あぶくが湧き上がってきた水たまりだったけど、僕たちが踏みこんだ時に、その縁から水があふれて流れ出ていたんだ。斜面でもないし、実際に中へ足を踏み入れたわけでもないのに、自然にさ。
友達は気づいていたか分からない。でも、僕にはそれが流れ出る涙のように思えたんだ。
「世界のメガネ」と友達は話したが、あの行い、本当は溝を作ったり水たまりを作ったりすることで、真下にある「世界」を苦しめているんじゃないのか、と感じたんだ。
そして、友達も「世界のメガネ」を諦める時がくる。彼は例の駐車場で、車にひかれてしまったんだ。
運転手は後ろを十分に確認し、誰もいないことを見て取って、アクセルを踏んで一気に下がった。その拍子に「いきなり現れた」友達にぶつかってしまったんだ。
普段から荒っぽい運転をする人だったらしい。友達は身体を数ヶ所骨折し、今に至るまでかすかに後遺症が残っている。
そして彼が見つけた「メガネ」の地面は、いずれもへこみを残して水がなくなってしまっている。あたかもドライアイになってしまったかのようにね。