儂の稀有な教え子
儂の名は、ルーラン・リッカル。かつては、我が国の最高学府で教鞭をとっておったが、50歳の時、教えることに限界を感じてしもうたんじゃ。学問は不変のものではない。日々、新しい発見が生まれ、更新されていく。無論、教鞭をとるからには新しい知識を得ておったが、どうにもこうにも最前線の知識に触れてみたくなったという訳じゃ。
この世界は、たった1つの巨大な大陸に大小さまざまな国があり、それぞれの文化や暮らしがある。かつて現れた『渡来人』たちによって異世界の文化がもたらされ、時代の流れと共に独自の文化を確立していったのじゃ。10年以上もの時をかけて、それぞれの国を渡り歩き、異文化と直に触れ合えたのは誠に有意義な日々であった。
渡来人とは、読んで字のごとく『異世界から渡り来た人』を示す。長い歴史の中で初めて渡来人と認定されたのは、3千年前の始祖の女王じゃ。その後、わが国を取り巻く12の国に12人の渡来人が現れておる。渡来人たちは、いずれも混乱している国に現れ、瞬く間に混乱を治め、渡来人自らが降り立った国を平和にしてしまうのじゃ。
儂は昔から彼ら渡来人に興味があった。書物で読むだけでなく、実際に彼らが降り立った国へ行ってみたくて仕方がなかった。そして、念願叶って、各地を思う存分に堪能した後は、研究成果を書き記しながら、のんびり暮らそうと自国へ戻ったところを、かつての教え子であった現王に取っ掴まってしまったのじゃ。
あやつ、勉強はいまいちだったが、敵を捕まえ、打ち倒す戦略を立てるのは天才じゃった。惜しむらくは、今の時代、その能力を生かすことは出来ないことかの。ふむ。
いずれにせよ、奴は、儂に娘の家庭教師を頼んで来た。てっきり上の娘かと思ったが、儂が出奔した後で生まれた二の姫のことじゃった。王族の娘など色々制約がありそうで面倒だと断ったが、王族のみ閲覧できる貴重な書物を読んでも良いという破格の条件と引き換えに受けることにしたのじゃ。
儂の興味を引く条件などお見通しらしい。誰だ、奴に知恵を授けたのは……儂か、くそ。
まあ、適当に子娘の相手をして、王家の書物を読み終えたら理由をつけて辞退すれば良い。と姑息なことを考えておったのじゃが、二の姫を見て驚いた。何しろ、始祖の女王に瓜二つの顔立ちじゃった。髪と瞳の色こそ違えておるが、明らかにドルワイム公国の標準的な顔立ちとはかけ離れておった。
けれど、儂が調べた前評判では、家族を含めた城中の者たちから愛され、穏やかで、おっとりした性格らしい。いかにも凡庸な印象を受けたが、念のため、彼女に5歳から礼儀作法を教えておるスミルラーク侯爵夫人にも話を聞く。曰く、『完璧な生徒』らしい。外見から、少々、利発さに欠けるように見えたので、その旨を指摘すると夫人は確かに、と頷き、説明をしてくれたのじゃ。
「私は、これまで何人もの王族や貴族のお嬢様方に教えて参りました。大抵は、3つのパターンに分かれます。利発な生徒は呑み込みが早く、教えたことは直ぐに出来てしまう。普通の生徒は何度も教わって及第点が精いっぱい。あとは少数ですが、何度教えても覚えが宜しくない生徒でしょうか。姫様は、覚えるのに少々時間がかかりますが、覚えてしまうと『完璧』なのです」
完璧と判断する理由を聞くと、例えば、とカップの持ち方を説明された。右手でカップの取っ手を掴むのだが、小指の曲げ方が伸びていても駄目、曲がり過ぎても駄目らしい。儂にはさっぱり違いが分からんかったが。
「利発な生徒は、直ぐに覚えてしまいますが、指の微妙な角度まで気に掛ける子はいないものですわ。でも、二の姫様は細かい角度まで完璧に再現できるのです。カップの持ち方だけではありませんわ。座っている時の足の角度、ダンスの際の背中の反らし方。些細なところまで完璧ですの。あのような生徒、かつて教えたことはございません」
お茶会だの舞踏会だのとは縁遠い儂には、途中から、念仏にしか聞こえんかったが、兎にも角にも、夫人が二の姫に心酔していることだけは理解できた。
ふむ。面白い。若干の興味を抱き、二の姫と対面した。正直な所、噂通りおっとりした子供で期待外れかとガッカリしたが、引き合わせ役の侍従が退室した途端、目をキラキラさせながら内緒話を打ち明けたのじゃった。
「私、渡来人にとても興味がありますの。先生は、世界中を旅したと伺いました。勉強の合間で構いませんから、ぜひ、他国の渡来人の話をお聞かせ下さい」
渡来人は、儂の生涯をかけたライフワークとなっておる。それを知ってか知らずか、姫様に刺激され、思わず講義を始めてしまい、気付けば3時間も熱弁を振るっておった。結果から言うと、姫様は理想の生徒であり、夫人の気持ちが良く理解できた。
儂の話を聞きながらも、姫様は要所要所で鋭い質問を投げかけてくる。細かく、鋭い質問は、儂の混沌とした話を整理し、綺麗にまとめ上げた。そして、話が済む頃には、儂と姫様はすっかり意気投合しておったのじゃ。
いやはや、夫人ではないが、儂にとっても初めての生徒じゃった。それも、極めて優秀な。