私の大切な姫様
「姫様っ!」
私の大切な姫様が目の前でお倒れになられた時は、比喩ではなく、血の気が引き、足元が覚束なくなりました。ですが、この部屋には私と姫様の2人きり。ここで私まで倒れてしまっては誰が姫様をお助けするのかと震える足を叱咤し、扉へ駆け寄りました。ええ、走るなど淑女としてはあるまじき行為ですが、大切な姫様のためであれば私のちっぽけな評判などに拘ってなどいられませぬ。
「姫様がお倒れに!至急、宮廷医を!」
「はっ!」
扉の外で待機していた衛兵は、束の間、驚愕の表情を浮かべましたが、直ぐ様、踵を返し、本殿へ向かって走り出しました。私は、その姿を見届け、姫様の元へと駆け戻ると頭を揺らしてしまわぬよう、手で体に障りながら声をお掛け致しました。触った限り、特に出血や傷はないようです。
「姫様っ!聞こえますかっ?!姫様っ!」
意識はあるようで、小さなお声が聞こえるものの、何を呟いているのか……聞き取れないというより、別の国の言葉を話しているようでした。ですが、姫様はまだ幼く、社交界にも出ておりませぬし、外国語の授業も始めておりませぬ。つまり、外国語を耳にする機会などないはずですから、言葉のように聞こえるだけで、実際はただの擬音なのでしょうか。
いずれにせよ、今は姫様の命が最優先です。そっと手を握ると、氷のように冷たく感じられました。何か温めるものはないかと辺りを見回すば、展示物の中に始祖様の愛用なさっていた膝掛けが目に留まりました。一瞬、不敬かと躊躇いましたが、他に姫様の体を温めるような代物は見当たりませぬ。直ぐ様、始祖様の絵姿の前へ赴き、頭を垂れ、心の底から祈りました。
「始祖様の血を受け継ぐ大切な姫様が冷たく冷え切っております。全ての罰は、私が受けまする故、始祖様の大切なひざ掛けをお貸しくださいっ!」
無論、返事がある筈もなく、私は無言の許可を得たと勝手に解釈して、展示物の棚にあったひざ掛けを掴み、姫様の冷たい小さな御身を包みました。
心なしか、姫様の御尊顔が安らいだようにも感じられ、ほっと息を吐いた所で、先の衛兵と宮廷医、助手、そして伯父である国王、国王の衛兵たち……予想より遥かに大勢の人たちが扉を蹴破り、転がり込んできました。
「アンナッ、無事かっ!」
「二の姫様っ!」
直ぐに姫様を診て頂けるよう、伯父上と宮廷医に場所を譲り、脇に控えます。そして、ともに駈け込んで来られた王太子と侍従に事情を説明し、私がついていながら姫様を危ない目にあわせてしまったことを謝罪いたしました。
「宮廷医の判断を待つが、お前のせいではない。お前が、常日頃、どれほど妹に献身的に尽くしてくれているかは周知の事実だ」
あまりのお優しい王太子のお言葉に、緊張の糸が切れたのか、お恥ずかしながらその場に泣き崩れ、意識を失ってしまいました。後ほど王太子自らが私を運んで下さったことを伺い、別の意味で、謝罪いたしましたこと、付け加えておきましょう。
「すてきなおめめ!」
今よりも幼い姫様が、じっと私を見つめています。幼少時より切れ長で白に近い水色の瞳は、周囲に冷たい印象を与え、私自身、己の顔が好きではございませんでした。家族からも、冷たい印象を和らげるためにも笑いなさいと注意されましたが、意識すればするほど引き攣った笑顔になるばかり。
もう自分で自分が嫌いになりかけた頃、姫様とお目にかかる機会がございました。私は、幼い姫様を怖がらせないよう顔を伏せていたのに、姫様の方が背が低いため、簡単に覗き込まれてしまいました。そして、先ほどのお言葉を頂いたのでございます。
その時の、姫様の瞳こそがキラキラと輝き、にこおっと音が聞こえそうなほど微笑んだ愛らしい顔は、一生忘れることなど出来ないでしょう。姫様は、にこにこ微笑みながらお言葉を続けられます。
「ふゆのあさの、おひさまが、キラキらしているときの、おそらのいろねっ!」
その姫様の、宝物をみつめるような瞳に、知らず、涙がこぼれておりました。それ以来、あれほど嫌いだった自分の瞳が誇らしくなり、自然と笑顔になることが出来たのでございます。隣国の王族の方との結婚も、笑顔が綺麗だったからと私を選んで頂きました。それもこれもすべて姫様のおかげでございます。
姫様は、存在そのものが周りの人間を幸せにするのです。故に、殿方からお茶のお誘いも多いですが、それは、結婚の決まった私よりも、私をダシに姫様に近づく作戦なのです。姫様は気付いていらっしゃいませんけれど。ふふ。何しろ、淑女であれば、侍女に紛れて姫様に近づくことも出来ますけれど、殿方は姫様付きの衛兵でもなければ傍に近よることすら叶いませぬ。
ええ、私としては、不用意に殿方を近づけたくないのですが、彼らも姫様の性格を良くご存じですから、姫様のお好きなものを手土産に近寄って来られて、お茶のお誘いをされるのです。その時の、姫様の喜ぶお顔を拝見したしますと、ねえ?
勿論、殿方といっても王家に忠誠を誓った貴族や騎士たちのお誘いですから不埒なことなどありえませぬ。それに、庭園に面した人通りのあるテラスでお茶を飲むだけでございます。姫様は、殿方と私の間に入って必死に牽制なさって下さいますが、それがまた殿方の思う壺なところが分かっていらっしゃらないようです。
まあ、私は姫様をなだめるふりをしつつ、姫様のぷにょぷにょボディを堪能し、序に殿方へ姫様との仲の良さを見せ付け、不用意に近寄るなと牽制しているのですけどね。ふふ。本当に姫様は愛らしいお方で、我が国の宝といっても過言ではありません。
ああ、それにしても姫様のご容態が心配です。神様、女神様、始祖の女王様。私に出来る事がございましたら何でも致しますので、どうか姫様を連れていってしまわれるのはお許しください。
膝掛けには、劣化防止の魔法がかかってます。決して、三千年を経たボロボロの布ではありません。。。と後から付け足しました。(´▽`*)