私の可愛い妹
私はドルワイム公国の第一子、皇太子である。
ドルワイム公国は、建国から三千年ばかり経つが、一度も戦争など起きたことのない平和な国だ。誰もが穏やかで、日々の暮らしに満足しており、犯罪すら滅多に起きない……というか、最後に起きたのは、私が生まれる前のことで、記録によると宝石職人が仕上がった首飾りを届ける際、広場のベンチに置いてランチのサンドイッチを食べていたら、その間に盗まれたという案件だった。
ところが、調べてみると近所の犬が玩具と間違え、咥えて持って帰ってしまったらしい。直ぐに飼い主が届け出て大団円となった。
平和な国である。
そんな平和な国だから王族も平和な訳で、国王は代々、一人の妃と添い遂げる。長子は何故か必ず出来の良い男児が生まれ、世継ぎ争いもなく跡を継ぐ。私もこのまま順当にいけば、遠からず父の跡を継ぐだろう。自画自賛ではない。多分。
私の他に男児は、三歳年下の弟もいるが、体を動かすのが好きな弟は軍部に所属し、いずれは軍隊を動かす将軍になるのだと宣言している。子どもでありながら、既に大人用の剣を操い、兵法の勉学にも励んでいる彼なら良い将軍となるに違いない。
戦争もないのに軍隊が必要かと疑問を持った時期もあるが、平和とは言え周囲を他国に囲まれているので国境警備は必要だし、魔獣の襲来やハリケーンなどの自然災害は起こるので、国民を避難させたり、救助する役目も担っている。まあ、軍備に使う税金が国民の生活を圧迫している訳ではないし、血の気の多い者たちを鍛える役割もあるのだから問題ないだろう。
余談だが、後継者以外の王族は、それぞれが好きな道を歩んでいる。父上の弟である叔父上は医療の研究をしているし、叔母上は服飾デザイナーをしている。
私には弟の他に、1つ違いの妹もいるが、彼女は叔母上に良く似ており、服飾の勉強を始めたばかりだ。彼女は女性だが、なかなかの野心家で、兄妹というより同志という存在だ。弟は、武術も強いし、頼もしいが、まだまだやんちゃなところもあり、その辺はやはり、同志というより手のかかる弟といった感じが否めない。
そして、私にはもう1人、歳の離れた妹がいる。彼女は、両親にも私たち兄弟にも誰にも似ていない。ただ独り始祖たる女王に、髪と瞳の色を除けば瓜二つといって良いほど酷似している。
初めて彼女を見た時は、衝撃だった。すぐ下の妹と弟は父上や母上の面影があり、血のつながりを実感できるのだが、彼女だけは何故か無条件で平伏したくなった。始祖の女王を意識させるからなのか、それとも、生まれつき神々しいものを内包していて、それが表に現れているからなのか。
いずれにせよ、迂闊に近づけば己の身の内に在る醜いものが曝け出されそうな気がして、忙しさにかまけて遠ざかっていた。だが、末の妹は、「いちのあにうえは、しゅごい!かっこいいっ!」といつでも慕ってくれる。それが面映ゆく、嬉しくもあり、結果、彼女に嫌われないよう、帝王学に剣術、社交術など出来うる限りの学問に打ち込む日々である。
そんなある日、下の妹を連れ、散歩することになった。何故、そんな状況に陥ったのか全く覚えていないが、その時の出来事は衝撃的だった。池の傍を歩いていた時、突如として妹が泣き始めたからである。
初めは池の中の魚か虫でも見て驚いたのだろうと思ったが、泣きじゃくりながら話す言葉によくよく耳を傾けると、どうやら己の容姿が父上や母上、私たちに似ていないことにショックを受けた様子だった。正直、今更?!と驚いたが、まあ、万事がおっとりしている妹なら在りうるかと納得する。
涙ばかりか鼻水まで垂れ流している妹は、とても愛らしく、いつまでも眺めていたいが、泣かせているところを人に見られては2人で散歩に行くこともままならなくなる。そっと妹の小さな体を抱き上げ、背中をぽんぽん叩く。確か、小さな弟妹のいる友人は、こんな風に慰めていたように思う。
ちょっと大人になった気がして、擽ったいが、妹も突然のことにびっくりしたのだろう。小さな口をぽかんと開けて、ぽっちゃりとした手で必死にしがみついてくる。私は、母上が幼い頃してくれたように、そっとキスをして涙をぬぐう。くすぐったそうに身をよじる妹が、言葉に出来ないほど可愛いらしい。
「アンナ・マリーベル=エリナ、安心おし。お前は、我らの祖先である始祖の女王に生き写しだ。それに、私は父上と共に出産に立ち会ったから確かに母上から生まれたのだと断言できるよ」
妹は、こぼれそうになった涙を小さな手でこしこし擦った。うわ、その仕草も可愛いなぁ。宮廷画家に描かせたい!と、うっとり眺めていたら、妹は不思議なことを口にした。
「はしのしたから、ひろわれたんじゃなくて?」
「……橋の下?何故、橋の下から拾って来るんだ?橋の下には赤ちゃんが落ちているのか?」
つい、橋の下に沢山の赤ちゃんがハイハイしている姿が浮かび、くすりと笑ってしまった。妹も失言したと思ったのだろう。顔を真っ赤にして「なんでもないでちゅっ!」と噛み噛みで訂正してきた。もう、食べちゃいたいくらい可愛いなぁ、うちの妹はっ!!
思わず、頬をすりすりすると、ぷにぷにほっぺが気持ちいい。
「顔立ちは違うけれど、お前の太陽の光を集めたような金の髪は父上と同じだし、キラキラ輝く紫水晶のような瞳は母上と同じだろう。確かな血のつながりだよ」
妹は、小さな指で髪を引っ張り、ややもして、にこおっと笑みを浮かべた。ああ、眩しいっ!家の妹は最高に可愛いっ!!
「ほんとだ!ちちうえとおんなしで、あにうえともおんなしっ!おそろいねっ!」
私の髪はくすんだ金髪だけれど、妹が同じと言うなら喜んでお揃いになろう。泣き止んだ妹をそのまま抱っこしながら散歩を続ける。ぽちゃぽちゃした体がいつまでも抱いていたい気になる。
私は、幼児特有の甘い香りを堪能しながら、この笑顔をいつまでも見られるように、私の治世も平和で穏やかなものにすべく全力を尽くそうと誓った。